||||| カタチとイミ |||

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「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない
レイチェル・カーソン 1907-1964

 要するに、「感じる」ことが大切と言っている。5歳になると図鑑を開く。「感じる」ことに増して知識が優位に立ち始める。日本に生息していないカブトムシの名を口にする。そうした知識欲を抑制するのはむずかしい。知りたいという気持ちがわくのは、自然なことでもある。
 期待を込めてだが、思うに、カーソン女史はそのあたりのことをよく承知した上で、知識欲にふりまわされることなく、もっともっと感じよう!と呼びかけているのかもしれない。

 「言語」に置き換えることで知識を集積できる。言語が伴ってこそ思考に及ぶ。一方、「感じる」には、見て・さわって・きいて・味わって・嗅いで ……など、五感を働かせることになる。感じてそれを表現するとなれば、言語の作用を求めることになる。だが、少なくとも乳幼児は、言語化することを目的として「感じる」のではない

 あかちゃんはおっぱいをのんで「おいしい」と感じているのだろうか。2歳・3歳の幼児は、小石をよく拾う。なぜか? 5歳の幼児は、棒をふりまわす。なぜか? 幼児は「なぜ?」としつこくおとなに問い、おとなを喜ばせたり、困らせたりする。なぜか?
 子どもは「こたえ」を求めていない。もちろん、正答を求めていない。その一方で、おとなは ──事柄(カタチ)には意味(イミ)があると信じている。子どもの「なぜ」には正答で答えなければならないと思いがちだ。「カタチとイミは切り離せない」という呪縛を一旦棚上げにしよう。

 乳幼児は、「なぜ?」と問うものの、「イミ(意味)」の理解に限界があり、必ずしも必要ではない。
 言語学では、カタチ(字形や音素など)とイミを分ける。カタチは見ることにより判別がつき、あるいは、触れたり、他の感覚でも得ることができる。言語学では、言語を大規模に収集する(コーパス)ことでカタチを分析しようとしているが、チョムスキーは、コーパスによる研究手法を天文学の天動説に喩え、科学的でないと批判している。そして、チョムスキー自身、言語獲得のシナリオは生得的に脳に(生成文法が)存在しているとしている。

 レヴィ=ストロースは民族学者(文化人類学者)として、地球上に生きる未開人を学術調査し、一万年前の新石器時代に相当する文明について、その先見性に光を当てている。(ソシュールらの)言語学に影響を受けていたレヴィ=ストロースは、未開人の思考方法において、カタチ(物体のカタチに限らず、働く人の姿など)に対する優れた観察眼を認めている。人類の進化において、限られた資源を有効に活用し、「見る」ことで得た知見を有効に活用してきたことを明らかにしている。これをブリコラージュ(器用仕事)と呼称してている。

 レヴィ=ストロースが認めるカタチ観察は、チョムスキーの生成文法(脳に生成)で裏付けられるのではないか。となれば、乳幼児(特に乳児)の「見る」は生得的と位置づけられる。

2024.7.20記す

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