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わたしの冊子『つまずきの主体論 β版』を配布したところ、「むずかしい」というお声を幾人か からいただいた。むずかしくないところも多々あるはずだ。雑多な寄せ集めであり、どれも短い。少々長くても、さほどむずかしくないと思っている。しかしながら、「むずかしい」ところは確かにある。なぜなら、わたしも「むずかしい」と思っているから。
それは、おそらく「意識」のところだろう。「つまずきの主体論」は「意識」への気づきでもあった、わからないにも……。

六面体のこのキューブ、浮き出たり凹んだりする。回転しているようでもあり、天と地が逆転する。しかし、── あるひとつの場面を見ているときは、他の場面は「見えない」。見えなかった他の場面が現れると、さっきまで見えていた像は消える。いくらがんばっても、見えるのはひとつだけだが、時間さえあれば、それぞれの像を一瞬でも見届けられる。
「主体論」に辿り着くにあたって、「みえる主体」つまり「他者」に対して、自身の主体は「①みられる主体」と「②内なる主体」のふたつで表した。「むずかしい」のは、ここも、かもしれない。①②は六面体と同じからくりかもしれない。
トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』313ページに小見出し//〈私〉と〈自分〉と自由意思//がある。むずかしいのだが、〈私〉は①で、〈自分〉は②かもしれないと、わたしは思った。わかりやすく説くことができないので、メモ程度に記しておくが、この「わかりにくさ」を受け入れられるかどうかが分岐点かもしれない。
こころや魂は、どこにあるか?
脳にあると”理解”していても、ときにはなぜ心臓がドキドキするのか。心身二元論はしぶとい。
祈りとはなにか。意識とはなにか。「こころ」とはなにか。悩ましい。六面体は、かたときもとどまっていない。常に揺れている。それが「むずかしい」ことの、こたえかもしれない。
2025.4.15記す
