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少々、わたしごとを書く。1970年9月を迎える前、つまり二十歳を迎える前に考えた。(ここまでの自分になったのは自然のおかげだ。自然にお返ししたい。)、と。日本自然保護協会に入会し、翌年(1971年)、兵庫県自然保護協会の創設に加わった。日本自然保護協会は自然のエキスパートの集まりで、一方、兵庫県自然保護協会はエキスパートに加えて、”愛好家”の集まりだった。
1970年は万博が開催されたトシだ。戦災復興の仕上げで、高度経済成長まっしぐらのとき。新聞紙面で「かぎっ子」の記事を読んだ。首からカギをぶらさげている子がいた。5階建ての”高層”住宅が林立し、”土”から離れて暮らす「かぎっ子」に思いが馳せた。タイミングよく新聞の投書欄で、田舎に招待しようという声を見つけた。詳細をここでは省くが、わたしの関心事は、自然保護に加えて、子どもとの節点が加わった。
1972年夏、全国に先駆けて「自然教室」の実践を神戸で始めた。その対象児は小学3年生から、だった。(これでは遅い)と思い、やがて1年生からとした。それでも遅いと思い、結果、幼児の世界に自らとびこむこととなった。
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環境教育に関する全国研究集会が箱根(だったか?)であったときに挙手してパネラーに質問した。「神戸だったら、(「遊びの保育」の)守屋光雄先生がいる」と教えられた。その後に、守屋園長の北須磨保育センターを訪ね、散歩専門の非常勤で週3日、3年間通うことなった。昨今、幼児教育で「主体」がキーワードになっているが、守屋光雄から子どもを見るまなざしを学んだように思う。当時、六領域のひとつ「自然」は、小学校理科の幼児版イメージであった。理科教育は博物学・形態学に基礎があり、しかし、自然教室の自然体験は、公害や環境問題を背景としたエコロジー(生態学)が主流で、「いのちの発見」というものであった。自然科学としての「いのち」と幼保一元を主唱していた守屋の考え方が、わたしのなかで、今に言う「主体」に結びついた、ということかもしれない。
1980年代には「感動という名のものさし」という表題で、なぜ感動するのかを説いていた。ピアニシモからフォルテシモというモノサシを想定し、その両サイドに触れないながらも近接しているところで感動する、というものだった。自然体験をその両サイドに求めていた。2008年、神戸こども総合専門学院で辻井正氏がヴィゴツキについて講義し、「発達の最近接領域」を説いたとき、「感動という名のものさし」に”そっくり”だと思い、驚いた。これをきっかけに、わたしの授業で「感動という名のものさし」を「発達の最近接領域」に沿って講義したところ、学生から「呼び方を変えたらいいのに……」の提案を受け、「ハートスケール」と改名した。
守屋光雄の「遊び」理論は、多くの「遊び理論」を時系列に整理するもので、抽象的でつまらく、少々むずかしかった。それを、「いつから「おとな」で、遊びを考える。」でわたしなりの遊び理論にした。そして、ハートスケールを基軸に、体験を「三類三要素」にまとめることができた。
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ある日、レヴィ=ストロース『野生の思考』がわたしに向いているのでは?──と、友人から紹介された(2017年)。気になりながらも着手していなかったところで、明石高専のある先生が、「野生の思考」を学生に教授していた(2024年)。はたと気づき、『野生の思考』を読み、レヴィ=ストロースに刺激を与えた言語学者ソシュールを読み、言語学者ノーム・チョムスキーを読み、ジュリオ・トノーニらの『意識はいつ生まれるのか』に辿り着き、「「あかちゃん」という主体」を記した。
2025.4.1記す
