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『なぜ、キツネに だまされなくなったのか』
(以下略『なぜキツネに…』)
+ 著者:内山節
+ 2007年 現代新書(講談社)

目次
(1) キツネと人
(2) 1965年の革命
(3) キツネにだまされる能力
(4) 歴史と「みえない歴史」
(5) 歴史哲学とキツネの物語
(6) 人はなぜキツネにだまされなくなったのか

 子どものとき、キツネにだまされる話をさんざん聞かされた。小学生時代は1956年から1961年に相当する。神戸の大都会に住んでいて、お伽噺を聞かされるようだったが、おもしろおかしく話す父とは対照的に、祖母は時に怯えていた。父は1923年生まれ、祖母は明治後期20代だった。
 小学生の頃は、「いととり」が呼称だった〈あやとり〉を、男女の別なく誰もがしていた。〈ひとりとり〉は〈川〉から始まり両手の親指と人さし指に、ひもがかかっていた。〈山〉は両手の親指・人さし指・小指に、ひもをかけてつくった。
 おはじき──これも男女区別なく遊んだ。丸いガラス玉は〈親指〉で、はじいた。母はお手玉がうまくて、三つを、数え歌などを唄いながら宙に飛ばしていた。真似たが、私は習得に及ばなかった。女の子たちは数え歌などを唄いながらゴム跳びをしていた。私たち男は「♪し~かの~つ~の、なんぼん」と抑揚をつけて、少々荒っぽい馬跳びをして遊んだ。これらはすべて大都会、神戸でのこと。

あやとり  おはじき

『なぜキツネに…』p4
//1965年以降は、あれほどあったキツネにだまされたという話が、日本の社会から発生しなくなってしまうのである。それも全国ほぼ一斉に、である。//

 〈1965〉という幅をもたせない数値で、なぜ表せるのだろう。
 子どもの遊びは〈伝承〉である、と言いたい。〈あやとり〉は、親指と人さし指と小指、この3本を主役にして遊ぶ。しかし、”今”では、人さし指は中指に取って代えられた。〈おはじき〉遊びは、消えた。敢えて遊ばせてみると、ガラス玉を人さし指ではじく。親指ではじいてみせると驚かれる。
 子どもの遊びは、なぜ伝承なのか。それは、真似たり見たりして身につくからだ。ということは、真似たり、見たりする機会がなかった、ということになる。あやとり遊びをしたことのない幼児や小学低学年が、元園長先生から教わったとき、先生が人さし指で糸をとっていたら、子どもも人さし指で糸をとった。
 本来、伝承のはずが断絶していた、と思われる。私は〈1965年〉を境に断絶した時期が生じたのではないかと考えている。

//1960年以降生まれとそれ以前の生まれでは、「食」に限らず生活の様々な分野の価値観、感覚、行動において、大きな違いがあることが私たちの長年の研究から分かっている// 岩村暢子『変わる家族 変わる食卓』(2003年、「序論」より)

食と家庭の崩壊 ── 2冊の本で考える

 遊びに対しての断絶や「食」については幅をもたせているが、『なぜキツネに…』では〈1965年〉を転機として、日本人の考え方が変わったとし、キツネにだまされなくなったとしている。

── キツネが人間をだましていた時代とは、自然を生きる糧にする能力を人間たちはもっていた。──『なぜキツネに…』(p76より要約)

 古代より(と、すれば科学的論理としては適当でないが)人間は、自然を相手にし、生きる糧になる智恵を得ていた。確かに、民話や昔話にその表れが豊富に存在する。1965年を境に、キツネにだまされず、民話や昔話の世界は過去のことになってしまった、ということだろうか。

 少々長いが、要約する能力が私にないので、辛抱して読んでいただきたい。この引用で、この章を終えるが、引用の前に、先にこの章の結論というか問題提起をしておく。
 以下の引用で「知性」が幾度もつかわれる。知性は、子どもたちにとっては学校で学ぶ学習に相当する。教養やたしなみに価値を認めるとき、キツネにだまされないですみそうだが、〈みえない〉世界を同時に失っているのかもしれない。つまり、〈豊かさ〉と引き換えてしまった〈失っては、ならない〉ものがあるのかもしれない。

以下、『なぜキツネに…』p154~158
該当ページのPDF版

//もっともミクロな歴史である個人史をみても、そこには大量の「みえない歴史」が存在しているのである。それは人間の存在の根本にかかわることで、意識されていない知性の記憶、身体の記憶、生命の記憶というようなものは、私たちの「現在の知性」の及ばないところにある。さらに、もしも生命の記憶のなかにはかつてユングが述べたように、生まれてから以降の経験した歴史だけでなく、生命を受け継いできた「人類史」、「生物史」の記憶までが無意識の集合意識として潜んでいるとするなら、「みえない歴史」はさらに深淵で広大な世界を形成していることになる。
 私たちはこのような歴史世界のなかに存在しているのである。ところが知性によって語られた歴史だけが歴史であるように思える、現象的な精神世界のなかで暮らしている。とすると、全体としての自分の存在と、知性によってつかみとられた現象としての自分の存在の間には、大きな乖離が生じているということになる。
 そして、この乖離こそが今日の私たちの状況をつくりだしているような気がする。
 近代の思想は人間の知性に絶対的な信頼をよせた。いまその象徴的な哲学として、17世紀に書かれたデカルトの『方法叙説』をあげることは容易であるし、前記した「百科全書」派の人々もこの傾向を代表している。もっともそのことに対しては、19世紀に入ると、ショーペンハウエルたちのロマン派からの抵抗が生まれるし、20世紀に入れば哲学の世界ではこの動きはますます大きくなってくる。だがそのような反撃があったとしても、全体的にみれば、知性への信頼は確固としたものとして存在していた。
 そのことが歴史を発達史として描かせた大きな要素だったのではないかと思う。知性は現在の問題意識に依りながら、歴史はどのように形成されてきたのかを知ろうとする。どのような原因があり、どのようなプロセスを経てその時代は形成されてきたのかを合理的に知ろうとするのである。発生史的な、あるいは発達史的な歴史の把握の誕生である。しかもこのような歴史観が成立していく背景には、発展していくヨーロッパという近代ヨーロッパの人々の実感に裏付けられた「思い込み」があった。
 歴史を発展法則のなかでとらえようとしたヘーゲルやマルクスの歴史哲学が成立してくる基盤も、このことのなかにあったといってもよいだろう。こうして現在の問題意識を介して、知性によってとらえられた歴史がゆるぎない歴史としての位置を確立していった。
 今日の私たちはこの歴史の世界にまきこまれている。だから、たえず発達史的な歴史を求める。知性でとらえられるかぎりの発達史的な歴史を、である。
 そして、知性でとらえられた発達史的な歴史をひとつずつ実現していったというのに、私たちは何となく充足感をもっていない。このことに対して「物質的な豊かさから心の豊かさへ」などと言う人がいるけれど、問題はそんなに簡単ではない。なぜなら発達史的な歴史のなかで実現されたものは、けっして「物質的な豊かさ」にとどまらないからである。
 私たちは気軽に旅に出られるようになった。その気になれば世界中の情報を集めることもできる。言論や出版、思想などの自由もほとんどが実現している。教育の機会は満ちあふれ、政治に対する選挙制度なども確立している。街は人にあふれ「自由な市民社会」を人々は享受している。もちろんそういうすべてのことが、深く探れば何らかの問題をかかえているけれど、知性がみつけだした発達した社会のイメージは、そのほとんどが実現しているといっても私は構わないと思う。実現したのは「物質的豊かさ」だけではない。
 ところが、にもかかわらず充足感に乏しい。一体何が乏しいのか。
 身体の充足感。生命の充足感。現在の問題意識から切断されているがゆえに「みえなくなった知性」の充足感。
 知性を介してしかとらえられない世界に暮らしているがゆえに、ここからみえなくなった広大な世界のなかにいる自分が充足感のなさを訴える。それが今日の私たちの状況であろう。そして、だからこそ、この充足感のなさを「心の豊かさへ」などと再び知性の領域で語ってみても、何の解決にもならないだろう。//

※本書『なぜキツネに…』は哲学書(歴史哲学序説)で容易とは言い難いが、示唆に富む。関心のある向きには一読をお勧めする。

2020.4.21記す

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