〈ふるさと〉と、こころ ── 擬育51

 小学生のとき音楽の時間で「故郷(ふるさと)」を歌った。今も歌われているのだろうか。「うさぎ追いし……」とくちずさみながら、自分には〈ふるさと〉がないなあ~と思っていた。〈ふるさと〉とは何だろう?
 歌詞にあるように、うさぎに出会うことは都会に住む子どもはまず経験しない。ふな(魚)をとる経験も限られる。メロディーを奏でる音風景にふるさと感があるかもしれないけれど、リアル(現実)でなくバーチャル(非現実)でしかない。

 私は姫路で生まれた。雑居部屋の一隅にいて、サーカス団の役者らと一緒だったという。1950年のことだ。母が健在のうちに確かめると、祖母宅に3歳の頃から、しばしば預けていたと渋々語った。記憶で呼び出せるのは、なぜか田舎の景色と小川だったから、その謎解きをしておきたかった。播州平野に流れる林田川を西端としJR網干駅との間が私のふるさとだ。今は電車基地がある西端あたりだ。
 近郊でも旅行先でも、水草がゆれる澄んだ小川の流れに出会うと胸が痛む。3歳の記憶はないが、小学1、2年生の頃は、夏休み40日間ずっと田舎にいた。お盆で両親が田舎に来ても、私を残して帰って行った。柱の陰で泣いたことを覚えている。(帰りたい)と言えなかったからだ。言ったとしても連れて帰ってくれないからだ。祖母は(家のない子)と言い、それをかわいそうと言っていたと、母が漏らした。祖母におんぶをねだり、歩いている途中でつまずき、背負ったまま顔面を強打した。血だらけになり鼻の下が大きく裂け一生の傷になった。それを見るたびに〈ふるさと〉を想い出した。
 4歳までは確かに家がなかった。5歳から23歳まで、男3人きょうだいの5人家族は4畳半と2畳の二間で18年間過ごした。長男だった私は、弟が幼少で預けられたということらしい。そうした田舎体験が今の自然志向につながったのだろうと、これは確かに思う。私事が長くなってしまった。

 〈ふるさと〉を唄う歌は多くある。例をあげるまでもないだろう。飛行機で世界中どこにでも短時間で移動できるし、インターネットの時代でもある。通信も物流もその必要が生じれば地球規模で移動できる。コロナもそうしてやってきた。〈ふるさと〉の定義は変更しなければならないのかもしれない、少なくとも都会に住んでいる人たちには。
 ──そして、〈ふるさと〉に、どんな意味があるのだろうと考えてしまう。

2021.1.11記す