||||| 自身と「自身でない」知覚 |||

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久保田正人『二歳半という年齢』新曜社 1993年 p28
//歩行をじゃまされれば怒りが生じるけれども、人がじゃましたのなら人への怒りから利益(見返り)が生じるが、倒木がじゃましているのなら木に怒りをぶつけても何にもならない。怒りは人に対してで木に対してではないという工合になっているのはこのようにしてだろう//
※B.F.スキナー(1904-1990 アメリカの心理学者)からの引用。

開一夫『赤ちゃんの不思議』岩波新書 2011年 p109
//自己運動に起因する刺激とそうでない刺激を区別できないと、外界の重要な情報に向けることができない//
p109
//もしも歩いているときに、あなたを発見した友人がトントンと背中を叩いてきたら、すぐに後ろを振り返ることでしょう。もしも歩いている道の脇の建物にかかっていた看板が突然落ちてきたら、すぐにそれに気がついて避けようとするでしょう。//
※あかちゃんは、看板が落ちてくる危険と自身の感覚に及ぶ触れ合いを区別できるという。だから、外界の刺激に集中できるというわけ。生後まもなくで備わっているという。

開一夫『赤ちゃんの不思議』p97
//左足の親指で自分の鼻の頭を触る//
残念ながらわたしは体がかたくてさわれない。あかちゃんならいとも簡単にくっつくだろう。

p98
//神経における信号の伝達速度はおおよそ1秒間に50メートルであると言われています。//
p98
//新幹線のぞみ700系は、秒速に直すと毎秒80m以上//
ということで、比較すれば人体のほうが遅い。
p98
//身長170cmの人が左足の親指で鼻の頭を触ったとすると、足の指から脳までの距離と鼻の頭から脳までの距離の差は、150cmぐらいあるので、脳の場所Tまで信号が到達するのに約0.03秒のタイムラグが発生します。//
p98
//こうしたタイムラグがあるにもかかわらず、鼻の頭からの刺激を最初に感じ足の指からの刺激がそれより遅れて感じることなく、「同時である」と感じるのはなぜなのでしょうか。//
p100
//ここでは、自己身体(部位)の位置や姿勢などに関する感覚のことを「ボディ・イメージ」あるいは(すこし難しい言い方をして)「自己身体のモデル」と呼ぶことにしましょう。正確な自己身体のモデルがあればこそ、「物理的に」同時であるべき現象(自分で自分を触る)を、脳が補正しつつ「同時である」と感じられるのでしょう。生後半年ぐらいすると、赤ちゃんは身体をぐっと曲げて、自分の足を舐める動作をよくします。清潔好きなお母さんは、「ばっちいよ」とやめさせたいと思うかもしれませんが、ひょっとすると正確なモデルを形成するための訓練をしているのかもしれません。//

p99
//時間順序の判断に関して、私たちの脳はそんなに敏感ではなく、0.03秒ぐらいの差は気づかないのかもしれません。しかし、別の実験で身体の異なる2ヵ所を(他人が)刺激した場合には、「同時」か「非同時」なのかは0.01秒以上の隔たりがあれば弁別可能であることが分かっています。つまり、身体における2ヵ所からの触覚が「同時」であるかそうでないかは、自分自身で触った場合とそうでない場合で結果が異なることになります。//

p99
//新生児(生後18時間以内)で実験を行った結果、赤ちゃん自身の指で刺激した場合は、実験者によって刺激された場合と比べて、ルーティング行動の頻度が少ないことが分かりました。つまり、新生児であっても、自分自身で身体に触れた場合と他人に触れられた場合を区別している証拠が得られた訳です。//
※ルーティング行動……//母乳を摂取する上で非常に大切な(生得的)反応//。赤ちゃんの頬を刺激すると刺激された方に顔を向けて口を開ける、その行動。p99要約。

p104
//小さな子どもがボタン好きなのは状態変化を楽しんでいるから、と先に書きましたが、単に「状態変化」を楽しんでいるだけでなく、「自らが行った行為とそれに付随する状態の変化を楽しんでいる」と言えます。//
バス降車ボタンに始まり、リモコン操作、照明スイッチ、これらは「小さな子ども」にありがちなことだが、あかちゃんに至ってはボックスティシュの箱を空にしてしまうこともある。これら状態の変化を楽しんでいるということだが、肝腎なことは自己の行為という因果関係に基づくという。降車予定のバス停近くになってさあというタイミングで先を越されたとき、あとから押しても子どもには悔しさだけが残る──という事例も記されている。

p108
//赤ちゃんには、早いうちから、自己の運動が原因となって変化する状態を、そうでない場合と区別する能力が備わっている//
「早いうち」に相当するのは
p108
//3ヵ月児まではライブの映像の方を長く見ますが、4~5ヵ月児から自分の足の動きとは関係しない他人の足を長く見るようになるとの報告があります。//
別の実験事例で
p107
//この結果は、どのように解釈したらよいのでしょうか。まず、生後6ヵ月ぐらいから、「ライブ映像」と「遅延映像」を区別していることが分かります。さらに、生後6~7ヵ月ごろには、原因の直後に現れる結果との対応関係は既に獲得済みであることが示唆されます。つまり、原因(自分自身で足を動かしたこと)と、結果(その画面上での変化)の対応関係については獲得しているから、「遅延映像」の方を長く注視したと仮説を立てることができます。//

p110
//英国のダニエル・ウォルパートの研究グループは「自分自身で自分をくすぐれないのはなぜか」という面白い問に答えるために研究を行っています。この研究では、被験者の片手が操作するロボットアームによって、もう一方の手のひらがくすぐられます。こうすることで被験者には気づかれずに、実験者が(ロボットアームを操作する方の)手の動きとは違う向きにロボットアームを動かしたり、ロボットアームが動作する時間を微妙に遅らせたりすることができます。被験者は、自分の手の動きとロボットアームの動きが異なっているときには、「くすぐったい」と感じますが、時間的にも空間的にもアームを操作する手と同じようにロボットアームが動いても「くすぐったい」とは感じません。ウォルパートらは、普段から自分自身の運動とその結果の対応関係を学習しているため、手の動きとロボットアームの動きが一致する場合はどんな刺激がくるのかを(脳のなかで)「予測」できるので、自分自身で自分をくすぐってもくすぐったくないのだと結論しています。//
※自分自身の行為と他者からの行為を分けて感じとることができるということだ。手をつなぐ、スキンシップなど触れ合いが伴うコミュニケーションあるいは愛の交歓に通じる考え方ではないかと思う。

2022.10.9記す

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