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 野外体験は「非日常」体験ともいえる。

 安野光雅の『ふしぎなえ』(福音館書店 1981年)は非日常をテーマにしている。タイトルの”ふしぎなえ”は13場面が描かれていて、最終場面では、蛇口からほとばしり流れ出る「水」が異国の街で川になる。
 川で釣りに勤しむ人、橋から流れをのぞきこむ人、アヒルらしき水辺の鳥が描かれている。街を通り抜けて「滝」のようになって流れ落ち、漏斗(じょうご)に注がれる。じょうごは蛇口に接続されているので、蛇口をひねれば水は流れ出る。山から流れ出た水は川をとおって海に出るものだが、海ではなく蛇口にもどり「山」に帰るしかけになっている。安野光雅マジックを文章に置き直してみたが、実物の本でご覧あれ。

写真 1
写真 2

 写真(1)は笹舟。川には規則正しい流れがある。笹舟を浮かべて、どちらに流れるかは幼児でも予測がつく。流れの速さにも気づく。その流れの先が消えるとき、あるいは、降るように落ちていくところが「たき」だ。

 写真(2)は、高速道路の排水が落ちてきて滝のようになっている。須磨の海で遊んだ雨あがりの帰り道、先に歩いていた少年(小3)が”滝”に入っていた。

写真 3

 写真(3)は、布引の滝。新幹線の停車駅・新神戸駅から15分もあればたどりつく。遊歩道は舗装されていて、革靴・背広・ドレス(は、言い過ぎか!)スタイルでも行けるほどに近い。

 但馬地方で小学生を引率して谷川をくだった。川のなかを歩いたので沢くだりだ。ひざ下までだが水量は十分にあった。流れがにわかにきつくなったとき、前方の景色から川が消えていた。(あれっ?)と思い(もしかして……)とも思い、川から皆をつれて引きあげた。(たき)だ! ヒヤッとした。脇道をくだり、滝つぼを遠めにして再び川で遊んだ。手持ちしていたポリ袋に水を入れ、風船のようになった水爆弾を互いに投げる・叩くして遊んだ。思い切り笑った。真夏の光景。子どもはもちろん、おとなもこれほど楽しんだことはあれから今まで、ない。水は最高。その子たち、今では60歳くらいになっている。きっと覚えているに違いない。

 尾瀬で出会った「三条の滝」は、私が出遭った滝でもっともすごかった。ネットで確認すると「幅30m、落差100m」という表記がある。水煙が立っていた。音もすごかったが、不思議な神秘さがあった。

 但馬地方(旧美方町)に裏見の滝というのがあった。正式名称は吉滝(よしたき)。滝の裏側に回り込めるということだ。滝を浴びる体験もできる。もちろん挑戦した、修行の気分で。上から落ちてくるのは当然だが、その水は、前に行ったり後ろに下がったりする。あまりにもおもしろいので結果40分も入っていた。流れているだけと思っていたが、「波」を打っていると気づいた。これは驚きだった。

 地球がまわっていることは誰でも知っている。航海する船は水平線を越えて異国に着くことを知っている。しかし、かつては、海の果てで水が滝のように落ちる絵を描いた人がいたらしい。
 水は空からも降ってくる。「滝のように」を冠にした大雨に見舞われる。
 「たき」の語源を調べると、激流のこと、とある。上述のような滝をさすようになったのは後年になってからということだ。滝の別字「」は、激流を遡るを想像してしまう。神戸に「垂水区」がある。この「垂水」が滝のことという。水が垂れると読めば、なるほど……と妙に納得してしまう。

2023.1.15記す

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