||||| 中間報告・我が脳神経科学の学び |||

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 脳神経の勉強をしていていると、学者の言うことがあるいはニュアンスが違うことに戸惑う。学者といっても、生理学者・解剖学者・神経学者・心理学者・認知学者などそれぞれの立場で違う。20世紀末で高齢者の学者と21世紀現在で若手とでは真偽レベルで違う。いずれの場合も「学術用語」であるはずなのに脳の部位名称が統一されていないので混乱する。紛らわしい。脳疾患患者自身の記録や臨床医の場合を含めると、これまた違う。
 ドキドキするから「こころ」は心臓にあると思っても、それはやむを得ない。恥ずかしい思いをしたら顔が赤くなり温かみも感じる。思わず手で顔をおおう。それでも、「こころ」起原は「脳だ!」と認識しようと努力しているのに、心臓から脳に向かって通じている太い血管がドキドキするのだから、こころは心臓にあるともいえる、という学者(人工知能)の説を耳にしたのは、ついこのあいだ、のこと。
 こうした混乱は、学者自身にも存在する。科学的成果に到達していない事柄に対して、書籍(論文)において学者の態度が違う。有名な学者ほど根拠のない推測や、手前味噌の思想・倫理などが混在する。ネット情報利用は批判の的になりやすいが、学者の知見独占はリテラシーの大きな障碍になっていると思う。文章表現も学術的スキルに対して稚拙さが目立つ。
 脳神経科学は日進月歩でそれを書籍で学べることはとてもありがたい。毛内拡(もうない・ひろむ)には期待したい。私自身、まだまだ混乱しているが、理解の到達、納得だなあと思っていることを以下、列挙してみる。

(1) 脳はどうやら3層構造になっている(※図)。サカナにも、バッタにも、脳はある。生体反応にエンジンが必要だからだ。原始的な脳といえる。とはいえ、バッタとヒトとは機能としては同じだろうけれど、デザインはぜんぜん違うのではないか? 部位の名称としては、脳幹や扁桃核(へんとうかく)。真っ暗で見えない世界を怖がるのは扁桃核のはたらきらしい。虫が明るいほうへ飛ぶのも同じか? 飛んで火に入る夏の虫。

(2) あかちゃんが這い這いから立ち上がり、ふらふらしながらも倒れない。たとえ倒れても、かばう手が出る。一方で高齢者の場合。ふらふらしていたら、もしかしたらつまずくかもしれない。倒れたとき、手が出るだろうか? 筋力の問題でもあるだろうが、脳神経のはたらきなのだ。

(3) 脳科学者に言わしてみれば、”脳の完成”は20歳になっても「まだ」ということになる。その「まだ」の意味は、生誕1年未満と20歳以降とでは、およそ違う。1歳未満と5歳児とでもまったく違う。生得的機能については、近年そして現在進行形で”発見”が続いている。脳神経のはたらきはまだまだ不思議の世界。人工知能で脳の説明はつかない。その逆もない。

(4) 懸命に、集中して考える(思索)【A】ことはもちろん大切なことだけど、ぼんやり考える、ボーとしながらすごす、いや何も考えない、おいしいものを食べる、散歩する、よく眠るなど【B】していると、ふと何かを思いつく。AよりもBがよい、というのでなく、AもBも大切で、このインターバル(間欠)がどうやら肝要らしい。

(5) 保育士が子どもに向かってする「手遊び」に意味があることを悟った。幼児だから=手遊び、という補完的代用動作ではなく、幼児の脳神経に働きかける「積極的教育」と言ってよい。

(6) 医療行為は診断や検査を手がかりに医師が行う。患者に説明もできる。患者もおよそ理解できる。投薬や手技手術などで治療は進められる。しかし、治療後に控えているリハビリテーションはオーダーメイドでなければならない。医療行為はカテゴリ行為だが、リハビリは個別行為なのだ。これは、「法と道徳」や「ゲーム(やスポーツ)と遊び」の対比に相当する。

(7) 「脳」という漢字一文字で表すことにも問題があるようだ。心臓、肺などのように脳も臓器の一つになってしまう。脳は、全身に張り巡らされている神経の中央司令室だ。セロトニンなど神経伝達物質やシナプス、グリア細胞を切り離しては理解不能になる。したがって、「脳神経」とひとくくりにするのがよさそうだ。

(8)★

 さて、脳科学にまつわる大きな課題がある。
 脳は脳梁という境目に対して左右に分かれ片方を左脳、他方を右脳と呼び慣わしている。脳の活性に伴って電気信号が発せられ、それを測定することができる。特定の動作に対して左右のどちらがを個別に信号を認める。言語活動や計算では左が……絵画鑑賞や空間認識では右が……。多数派が左(右)であり、少数派も存在する。おいしいものを食べていて、おいしいと感じるのは左(または右)かもしれないが、スプーンの動作は右(または左)かもしれない。スプーンが運んでくれるから食べるという動作が完了する。脳機能の局在は知見として得られているが、脳のはたらきは極めて複雑で単純にロボットに代行させられるものではない。
 ありがたいことに、左脳右脳問題をはじめとする脳科学が生じさせている誤解に区切りをつけようとした論考にであった。誤解は「(脳)神経神話」と名づけられている。したがって、上述より続いて、辿りついた(8)★でもある。

(9) なんと!長年の課題が解決した。乳幼児のとき、特にあかちゃんは、写真をとるようにそっくりそのまま見たことをそのまま記憶するようだ──と過去に学んだおぼえがあるのだが、その根拠が曖昧になっていた。そのことに近似する記述を見つけた!

 以上だが、今後、修正するかもしれないし、まだまだ自身の思い込みのワナに はまっていることがあるかもしれない。いつまでたっても修了には至らないだろう。

2023.2.1記す

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