||||| 戯曲「夕鶴」:木下順二 わらべ唄と子どもの遊び |||

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 木下順二の戯曲「夕鶴」は、佐渡に伝承されていた「鶴女房」を下地にしている。いつの時代を舞台にしているのだろう。民話といわれる多くは、江戸時代にはすでに伝承であったらしいから、より古いに違いない。その夕鶴開演冒頭、与ひょう(つうの夫)を囲って子どもたちが言う。


木下順二『夕鶴』(新装版)未来社 1987年
p79 あとがき
// 『夕鶴』は一昨年の冬に書いて昨年1月の「婦人公論」に発表したが、この戯曲の原型を書いたのは戦争中、多分1943年であった。//……//最初に民話の面白さを僕に教えてその劇化を勧めて下さったのは中野好夫氏であったが、そのことを僕は今も深く感謝している。その民話が面白くて、戦争中僕は柳田国男氏編の「全国昔話記録」などを、次々出版されるごとに楽しんで読んだ。そしてそれら民話の中に篭〔こ〕められている謂わばわれわれの魂のふるさとの気分を、時おり素朴で単純な戯曲の形にまとめてみることが、あの頃のやり切れない雰囲気の中での、僕のひそかな、そして素朴で単純な楽しみであつた。そのことを今日僕は、ある感慨をもつて新たに思い起すのである。
 1950年1月//

p2 〔登場人物〕
//与ひょう
つう
惣ど
運ず
子供たち//

p3
//一面の雪の中に、ぽつんと一軒、小さなあばらや。家のうしろには赤い赤い夕やけ空が一ぱいに──

遠くからわらべ唄──

じやんにきせるふとぬうの
ばやんにきせるふとぬうの
ちんからかん とんとんとん
ちんからかんからとんとんとん

家の中ではいろりのはたに眠りこけている与ひょう。
唄がやんで子供たちが駈けて来る。

子供たち (声をそろえて、うたうように)おばさん、おばさん、うた唄うてけれ。おばさん、おばさん、遊んでけれ。おばさん、おばさん、うた唄うてけれ。
与ひょう (眼を覚して)何だ何だ
子供たち おばさん遊ぼう。おばさんうた唄うてけれ。おばさん。おばさん。
与ひょう 何だつうか? つうはおらんでよ。
子供たち おらんのけ? 本当け? つまらんのう。どこさ行ったんけ?
与ひょう どこだやら、おら知らんわ。
子供たち どこさ行ったんけ? いつ帰るんけ? よう、よう、与ひょうどんよう。
与ひょう ええやかましのう。(立つ)
子供たち (逃げながら)わあいわあい、与ひょうどんが怒ったぞう。与ひょう。与ひょう。与ひょうのばか。
与ひょう えへへへ。逃げんな逃げんな。おらも一しょに遊ぶでよう。
子供たち 何して遊ぶ?
与ひょう 何して遊ぶ?
子供たち ねんがら
与ひょう ようし、ねんがら。
子供たち 
与ひょう ようし、唄。
子供たち 雪投げ
与ひょう ようし、雪投げ。(いいながら子供の中にはいる)
子供たち かごめかごめ
与ひょう ようし、かごめかごめ。
子供たち 鹿、鹿、角何本
与ひょう ようし、鹿、鹿、角何本。
子供たち 鹿、鹿、角何本。
与ひょう さあ行くぞ行くぞ。
子供たち 鹿、鹿、角何本。(くり返しつつ駈けて去る)
与ひょう (行きかけて)そうだ、つうが戻って来て汁が冷えとってはかわいそうだ。大事な大事なつうだけにな。(鍋を火にかけている)

つうが奥からすっと出る。

つう 与ひょう、まあ、あんた……
与ひょう つう、どこさ行ってた?
つう ううん、ちょっと。……そんなこと、あんた……
与ひょう えへへ。つうが戻って来て汁が冷えとってはかわいそうだけに、火に掛けといてやった。えへへ。
つう ありがとよ。さ、ごはんの支度をしてあげような。
与ひょう うん。なら、おら遊んで来る。ねんがらをするだ。
つう まあ、ねんがら?
与ひょう それなら雪投げ。それから唄。
つう それから……かごめかごめ。それから鹿、鹿、角何本、でしょう?
与ひょう そうだ、鹿、鹿、角何本だ。つうも来い。(引っぱる)
つう だめよ。
与ひょう 来いちゅうたら来い。なあ、一しょに遊ぶだ。
つう だめよ。だめよ。だめだったら。(笑いながら引かれて去る)

遠くから聞こえているわらべ唄──
惣どと運ずが現れる。

惣ど あれか? あん女が与ひょうの女房か?
運ず そうだ。与ひょうの奴、急にええ女房を貰うて仕合せな奴だ。近ごろはろばたで寝てばかりおるわ。//


 「ねんがら」とはどんな遊び? どうやら「釘刺し」のようだ。陣取りで勝負をするのだが、私が子どもの頃は釘刺しのために五寸釘を大切にしていた。1955~1959年の頃だろう。夕鶴の時代では、竹や木を尖らせていたのだろう。
 「かごめかごめ」はご存じのとおり。古く伝統ある遊びだったのだ。そして最後、「鹿、鹿、角何本」。「♪しーかのつの、なんぼん?」と唄って、釘刺しよりも遊んだ回数が多かった。
 柱(はしら)役の股ぐらに頭を突っ込み「馬」になる。その馬の股ぐらに2番目の馬が連なり、さらに3番目が同様に連なる。じゃんけんで負けた者が馬になっている。馬が3人の場合、4人から5人が馬に乗る。この人数では7、8人の遊び集団になる。もっぱら男の子の遊びだが、女の子も混じったかどうか思い出せない。柱が片手を挙げ、指で「何本」かを示す。それを見て、馬に乗った側は唄う。「♪しーかのつの、なんぼん?」。乗った側は全員が唄う。馬は指の数が見えない。1本から5本まで見当をつけて返答する。返答する役割は、先頭の馬、つまり柱の股につっこんでいる者が担う。柱が2本を示しているのに2本以外を返すと、「♪しーかのつの、なんぼん?」と唄う。正答するまで繰り返される。指の数は、そのつど変わる。合わないあいだ、重いのを耐え続けることになる。馬より乗る人数のほうが多いからおもしろい。正答すると「♪おうた、おうた」と唄われて、先頭の馬は、柱の役割に移る。長く連なった馬には、3人目の馬から飛び乗り、先頭まで荒っぽく移動して柱に近づく。私の小学生時代、首の骨が折れるという理由で学校からは禁止と言い渡された。
 以上、「鹿、鹿、角何本」が伝承されるほどに古い遊びだったことに驚く。後年、1980年頃、当時の小学生対象に再現したところ、「こんな危ない遊び、でけへん」と言われてしまった。馬は簡単につぶされ、遊びを楽しむ間がなかった。
***
Hさん(男 70代)子ども時代は信州、のち神戸
 鹿の角は、単純に「馬乗り」として遊んでいました。信州では二組に分かれて、一方が連なって馬になると、もう一方は遠くから走って行って飛び乗るのです。その衝撃と重さに耐えるか潰れるか、何人まで耐えられるかが遊びでしたねぇ!男子女子分け隔てはなかったですねぇ。
 釘差しは得意でしたよ! 中心を決めてそこから自分の体の半径近くに五寸釘を刺して刺さると線を引いて、段々と渦を巻いて他の子供の線を囲んでいくのです。刺すのに失敗すると線は引けず、他の子供の渦巻きに囲まれてしまうのです。うちの子供に教えたのですが、全然乗ってきませんでしたぁ・・・


//
運ず うん……その……何だ、あの布を都さ持って行って売ったなら、せ、千……
惣ど ばか。いや、な、与ひょう。こんだ何百両と儲けさしてやるで、一ちょ織らせてみんか?
与ひょう 何だ、何百両?
惣ど そうよ、何百両だ。(運ずに)のう。
運ず そ、そうだ。何百両と儲かるだ。
与ひょう ほう、何百両……
惣ど だでな、与ひょう、もう一度女房に話して……(家の中からいつの間にかこっちを見ているつうに気づいて)ま、こっちに来う、とっくりと話して聞かせるで。(与ひょうを引っぱって物蔭に去る)

運ずもついて去る。
つう、外に出てそれを見送る。愁いのかげが顔に浮ぶ。
やがて子供たちが駈けて来る。

子供たち (口々に)あっ、おばさんおったぞ。おばさん遊ぼう。どうして逃げた? おばさん唄おう。かごめ。隠れ鬼。唄。輪つなぎ。(とりかこむ)よう、よう、おばさんよう。
つう あのね、もう暗いから、きょうはおしまい。
子供たち いやァん。遊ぶう。おばさん、唄。
つう (うつろに)唄?
子供たち 隠れ鬼。
つう 隠れ鬼?
子供たち 輪つなぎ。
つう 輪つなぎ?
子供たち かごめかごめ。
つう かごめかごめ?
子供たち かごめかごめだ。(つうのまわりに輪を作ってうたいつつ廻り出す)

かごめ かごめ
かごのなかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つるつる つうべった
うしろの正面だあれ うしろの正面だあれ うしろの正面だあれ

子供の一人 よう、おばさんよう。目隠しせんか。かごまんか。
子供たち おばさんよう。
つう (立ったまま思いにとらわれていたが)え? あ……(しゃがんで眼をかくす)

子供たち、うたいつつ廻り続ける。
あたりが急速に暗くなって、つうの姿のみ光の輪の中に残る。

つう 与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの? あんたはだんだん変って行く。何だか分らないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは。あたしは一体どうすればいいの?……あんたはあたしの命を助けてくれた。何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに思って矢を抜いてくれた。それがほんとに嬉しかったから、あたしはあんたのところに来たのよ。そしてあの布を織ってあげたら、あんたは子供のように喜んでくれた。だからあたしは、苦しいのを我慢して何枚も織ってあげたのよ。それをあんたは、そのたびに「おかね」っていうものと取りかえて来たのね。それでもいいの、あたしは。あんたが「おかね」が好きなのなら。だから、その好きな「おかね」がもうたくさんあるのだから、あとはあんたと二人きりで、この小さなうちの中で、静かに楽しく暮したいのよ。あんたはほかの人とは違う人。あたしの世界の人。だからこの広い野原のまん中で、そっと二人だけの世界を作って、畠を耕したり子供たちと遊んだりしながら、いつまでも生きて行くつもりだったのに……だのに何だか、あんたはあたしから離れて行く。だんだん遠くなって行く。どうしたらいいの? ほんとにあたしはどうしたらいいの?……

唄はいつかやんでいる。
明るくなる。子供たちは既にいない。
つう、ふとわきを見て、追われるように家の中へ。
惣どと運ずと与ひょうが出てくる。

惣ど な、分ったな? どうでも織らんちゅうたら、出て行ってしまうぞちゅうておどかしてやるだぞ。//


//
つう ……
与ひょう おい……つう……
つう (うつろに)おかね……おかね……どうしてそんなにほしいのかしら……
与ひょう そら、金があれば、何でもええもんを買うだ。
つう かう?……「かう」ってなに? いいもんってなに? あたしのほかに何がほしいの? いや。いや。あたしのほかにはなにもほしがっちゃいや。おかねもいや。かうのもいや。あたしだけをかわいがってくれなきゃいや。そしてあんたとあたしとふたりだけで、いつまでもいつまでも生きて行かなきゃいや。//


//
遠くわらべ唄──

じやんにきせるふとぬうの
ばやんにきせるふとぬうの
ちんからかん とんとんとん
ちんからかんからとんとんとん

つう ああ、あの子供たちとももうさよならだわ。……何度あの唄をいっしょにうたって遊んだことだったろう……。与ひょう、あたしを忘れないでね。あたしもあんたを忘れない。ほんの短い間だったけれど、あんたの本当に清い愛に包まれて、毎日子供たちと唄をうたって遊んだ日のことを、あたしは決して決して忘れないわ。どんなところへ行っても……いつまでも……
与ひょう つう……どこさ行くだ……
つう ほんとにあたしを忘れないでね。その布、一枚だけは、いつまでも大事に持っていてね。
与ひょう お、おい、つう……
つう さよなら……さよなら……
与ひょう つう、おい待て、待てちゅうに。おらも行くだ。おい、つう……つう……
つう だめよ、だめよ、あたしはもう人間の姿をしていることができないの。またもとの空へ、たった一人で帰って行かなきゃならないのよ。……さよなら……元気でね……さよなら……さよなら……本当にさようなら……(消える)
与ひょう つう。つう。つう。どこさ行っただ? おいつう……おい……おい……つうよう……つうよう……(うろうろと外へ出る)

惣どと運ずが飛んで出て抱きとめる。

運ず (息をはずませている。惣どに)おい……
惣ど (息をはずませている)き、消えてしもうた……

運ずの腕の中に喪神したような与ひょう──
子供たちたちが駈けて来る。

子供たち (声をそろえて、うたうように)おばさん、おばさん、うた唄うてけれ。……

しんとした間──

子供たち おばさんおらんのけ? つまらんのう。(与ひょうに)のう、おばさんどこさ行ったんけ? いつ帰るんけ? よう、よう、与ひょうどんよう。
与ひょう ……(こわごわ家の中に向って)つうよ……子供たちが遊びに来たで……いつもの唄、うとうてけれとよ……おい、つう……

しんとした間──

子供の一人 (突然空を指す)あ、鶴だ、鶴だ、鶴が飛んでる。
惣ど や、鶴……
運ず おお……
子供たち 鶴だ、鶴だ、鶴が飛んでる。(繰り返しつつ、鶴を追って駈けて去る)
運ず おい与ひょう、見や、鶴だ……
惣ど よたよたと飛んで行きよる……

間──

惣ど (誰にいうとなく)ところで、のう、二枚織れたっちゅうはありがたいこってねえけ。(与ひょうの手にある布を取ろうとするが、与ひょうは無意識のうちに離さない)
運ず (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ……だんだんと小さくなって行くわ……
与ひょう つう……つう……(鶴を追うように、一、二歩ふらふらと。──布をしっかり掴んだまま立ちつくす)

惣どもそれに引きこまれるように、三人の眼が遠い空の一点に集まる。
微かに流れて来るわらべ唄──//

-完-


 おかね……おかね……どうしてそんなにほしいのかしら……
 江戸時代を背景にしている物語のようだが、「おかね」が人の暮らしをすでに支配し、子どもの遊びを喪失させてきた今日を木下順二は予言していたのであろうか。
 ところで「子供たち」とは、何人だろうか? 一人二人は大きいお姉ちゃん、お兄ちゃんがいるかな。そのほかの「子供たち」は5歳から7歳ぐらいだろうか? と、想像してみた。


p76 あとがき
//ハーキュリーズとひとこと云えば、それがジュピターの子供で怪力を持ち、プロミシアスは彼に助けられたというギリシャ神話の知識は、山へ柴刈りに行ったおじいさんは、川へ洗濯に行って桃を拾ったおばあさんの夫であるというわれわれの知識と同じ位に、いやそれを知識と呼ぶのが却つて滑稽であるほどにも、ヨーロッパ人の血となり肉となつているわけなのであろう。それは一所懸命諳記して覚えた知識ではなく、謂わば何千年の時間をかけて代々自然に、つまり「歴史的に」蓄積された知慧であり、だからそれだけ本当に民衆の血となり肉となつている。//
※鶴女房という民話は智慧を超え、民衆の血肉になっている。

p77
//芝居の最初の幕があいた時、観客は既にその芝居が分つている。もちろんその芝居そのものの筋がどう発展しどんな問題がそこに展開されるかは、だんだんに舞台を見て行かなければ分らないにきまつているが、しかしその芝居全体を含む世界は、観客にとつて既に最初に親しいものであり、だから観客は、何とはなしのある安心感をもつて、(つまり内容について行くための無駄な努力を要求されることなしに)、その芝居に自然に融けこみ、心ゆくまでそれを味わい楽しむことができるのだ。そして芝居とは本来そういうものである筈なのだと僕は思う。//
※わらべ唄と子どもの遊びとのかかわりは、この「安心感」が生み出す成果物であろう。

p77
//ところで、芝居が「そういうもの」であり得るためには、これは今云つたことを裏返して云うわけだが、芝居以前に、そのように民衆の血となり肉となつている知慧が、「歴史的に」蓄積された知慧が、民衆そのものの中になければならない。//
p77
//その知慧を仮りに「テーマ」という言葉で呼ぶとしよう。ギリシャ神話はヨーロッパのテーマである。キリスト教もヨーロッパのテーマである。ある意味では「政治」もヨーロッパのテーマであろう。そして古今を問わず、ヨーロッパのすぐれた戯曲は、大体みんなそういうテーマの上に立つて書かれている。逆に云えば、社会の中にそういうテーマがあるからこそ数々の傑作が生れているのだと云つても云い過ぎではないであろう。
 そこで日本のことになつて、日本の社会の中にはテーマがあるかないか。//
p78
//その有る無しについてはいろいろな意見があることと思うが、少くとも確信をもつて云えることは、日本にはヨーロッパのように力強くエネルギッシュなテーマがないということである。//
p78
//例えばヨーロッパのギリシャ神話に対する日本のテーマとしては、民衆の中への滲透度から云つて日本神話よりむしろ民話が考えらるべきだと僕は思うが、エディポス王の物語り一つ眺めてみても、その中に含まれている問題がいかに複雑であり巨大であり強烈であることか。そしてそれに対して日本の昔話しがいかに素朴であり矮小であり穏和であることか。
 ヨーロッパと日本のテーマの間に何ゆえそのような相違があるかということはもちろん歴史と伝統の問題であり、その問題を論じることはこの「あとがき」の埒外であるが、結論的にひとこと触れれば、日本の近代劇の不幸の一つは、三百年の鎖国という変態的な時代の後に続く、開国以来八十何年の木に竹を継いだようなこの国の歴史の中に、テーマが、複雑な巨大な強烈なテーマが当然殆んど発見されがたかつたということであつた。そしてしかも現在のわれわれとしては、その日本の現代の中に、やはりすぐれたテーマをとらえるべく努めなければならぬということである。
 『夕鶴』と『彦一ばなし』は、素朴で矮小で穏和なその日本的テーマの中に湛えられている美しさや楽しさを、僕なりに追求してみた作品である。//
※江戸期まで伝承されてきた子どもの遊びは、明治になって西欧化を推し進め、それが「木に竹を継いだような」ことになったのではないか。「民話が考えらるべき」という意見は、そのとおりではないかと思う。

ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波書店 1976年
p126
//「人生でだいじなことはひとつしかない。」と男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間には、そのほかのもの──友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでに集まってくるものだ。きみはさっき、友だちが好きだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」//

2023.10.28記す

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