||||| 葉室麟『銀漢の賦』を読む |||

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 同名の時代劇をNHK-BSでみた。武士の子11歳の小弥太(こやた)、武士の子12歳の源五(げんご)、10歳ぐらいの百姓の子・十蔵(じゅうぞう)。武士と百姓の交友がメインテーマなので興味をもった。
 18世紀半ばから後半、田沼意次が登場した頃の話。徳川政権が誕生してすでに150年の歳月が経った。のち100年を経ずして武家社会は終わる。戦乱の時代は終わり100年になるが、各地で百姓一揆が起きていた。西国(九州と思われる)の月ヶ瀬藩で発生した百姓一揆の指導者は、青年になった十蔵だった。小弥太は将監(しょうげん)と改名し、藩の重鎮で政(まつりごと)の要にいた。//あきれはてたぼんくらよ//(p219)とうそぶく源五。3人は、身分も生き方も違う。彼らを結んだのは「銀漢」だった。

 3人が出会って2年ほどした頃……。
 文春文庫 p52 見上げると満天の星空だった。
//あれは天の川だ、と十蔵が指さす//
//十蔵が思いがけず星のことなど言い出したのがおかしかったのである。むっとした十蔵へ小弥太が微笑を向けた。
「知っておるか、天の川のことを銀漢というのを」
「ぎんかん?」
 十蔵は少し恥ずかしそうにつぶやいた。
「それは、どういう意味だ」
 源五は顔をしかめた、難しい漢籍は苦手なのだ。
「銀は金銀の銀、漢は羅漢の漢だ。天の川は漢詩では天漢、銀漢などの言葉で表される。この場合の漢とは、男という意味ではなく、漢江、すなわち大河のことだ」
 小弥太は説明しながら夜空を見続けていた。源五はそんな小弥太の横顔に、大人びた覚悟が漂っているのを感じた。
(小弥太は、もう大人の世界をのぞいているようだ)
源五はそんなこと思った。//

蘇軾(そしょく)「中秋月」

p159
//暮雲(ぼうん)収(おさ)め尽くして清寒(せいかん)溢(あふ)れ
銀漢声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず
此の生、此の夜、長くは好(よ)からず
明月、明年、何れの処にて看(み)ん

 日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう、という詩である。
(十蔵は、このように素養を積んでおったのか)//……
//十蔵はその後もひそかに勉学を続けたのだ、と思うと源五の目から涙があふれた。//

 十蔵は一揆首謀者の責めを負い刑死する。

p225 下の★↓を受けて、
//「わしはまったく覚えておらぬ。あの一揆の時、十蔵はわしを助けたが、わしは十蔵を見捨てた。十蔵は、そんなわしをかばって何も言わずに死んだのか」
将監〔小弥太〕はうめくように言った。
※小弥太に教えられた漢詩を百姓の十蔵は賢明に覚えて書いた。
☆☆
p224
//この手跡(て)は──」
将監は息を飲んだ。
「見事な手跡(て)であろう。お主は13,4歳の時にすでにこのような字を書いたのだ」
「やはりわしの字か」//
p225
//「わしら三人が祗園神社に祭りを見物に行った夜、お主は十蔵とわしに天の川は銀漢と呼ぶと教えてくれた。お主は覚えていないようだが、その後、屋敷に来た十蔵に銀漢にまつわる詩を書いてやったのだ」
「わしが書いてやったというのか」
「十蔵はお主の書いてくれた詩を大事にして手習いの手本にしていたらしい。捕まる時に、一揆の惣代が郡奉行の書いた物を持っていることで迷惑がかかってはいかんと思って、その書き付けをわたしに預けたのだ」
 源五は静かに空を見上げた。将監の書き付けを持つ手が震えた。//
※上の★↑に続く。

p225
//源五は白く輝く天の川を眺めながら、
(銀漢とは天の川のことなのだろうが、頭に霜を置き、年齢を重ねた漢(おとこ)も銀漢かもしれんな)
 と思っていた。いま慚愧(ざんき)の思いにとらわれている将監は、一人の銀漢ではあるまいか。そして、わしのまた、
──銀漢
だと源五は思うのだった。//

 「教育」と何なのか? 学ぶということの、主体性の重きこと。君主ありきの世は、いのちファーストではなかった。「この命、使い切る」(p167ほか)の台詞が幾度も出てくる。生きることの意味を考えさせられる好著である。文庫本、全283ページ。単行本2007年。

2024.4.1記す

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