||||| 新渡戸稲造『武士道』:武士階級の子育てと、”平民”の子育て |||

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武士階級の子育てと、”平民”の子育て

  • 〈武士道〉は武士階級の範を示したもので、武士階級を除く階級、新渡戸の言う”平民”とは無関係に独立している。
  • 〈武士道〉は武家家族の男子に範を示したもので、女子を対象としていない。おとなの女子については、男子が〈武士道〉の徳に励むことの出来るよう、新渡戸が〈内助の功〉で支えているとし、護身に対処する女子についても男子に邪魔にならない程度の心得に留まる。
  • 上述のとおり、〈武士道〉は武人男子の徳を説き、女子は範疇になかった。八歳の男子に腹切を命じたように男子であれば八歳であっても一人前とされた。
  • 武家家族の場合、その子育ては、たとえば、
    • 諺(ことわざ)に曰く、「就中(なかんずく)金銀の慾を思うべからず、富めるは智に害あり」と。この故に児童はまったく経済を無視するように養育せられた。経済のことを口にするは悪趣味であると考えられ、各種貨幣の価値を知らざるは善き教育の記号(しるし)であった。〈略〉考えのある武士は金銭が戦争の筋力であることを十分知っていたが、金銭の尊重を特にまで高めることは考えなかった。武士道において節倹が教えられたことは事実であるが、それは経済的の理由によるというよりも、克己の訓練の目的にいでたのである。(p95)
    • のように、〈武士道〉を修むるに限って言及され、子育ての詳細は不明である。
  • 父や夫が戦場に出て不在なる時、家事を治むるはまったく母や妻の手に委ねられた。──(p137)とあり、おとなとしての〈母や妻〉に言及はあるが、〈子のうち女子〉については一言も記載がない。〈子〉とするとき、それは赤子または幼児を示し、そこに男女の区別はない。
  • 一方、”平民”は、武勇伝を聞かされるなどして、武士の徳に感化され真似た可能性はあるが、男女の仲や、性別の分業においても平等であったらしい。このことから、”平民”の子育ては武士階級より自由度が大きく、愛情も制約されることも少なかったと推察できるが、その域を出るものでない。
  • “平民”の礼儀作法あるいは〈しつけ〉については、武士の所作に感化され、また、教育の機会について、なかったとはいえない。
  • 武士は国家主君の統治下にあり〈武士道〉に表れるように制約は大きいものがあった。しかし、”平民”は藩の統治下にあり、そこには地方自治や風土・慣習が深く関与したと思われる。

現代の子育てが、武士道に学ぶものとは……

 相手の存在を意識し、他者を気遣う心を養う。即ち〈〉この一つに尽きる。

 体験の積み重ねで〈〉の基礎は培われる。

 残る1つ〈〉(または独自〈〉)を、どのように学べばよいか。
 子どもに求める決心(決断)とは? 決心を揺らがせるもの、惑わせるものは何か?
 堪える・我慢する・欲しがらない・待つ・譲るなどか。

 〈仁〉が他者を思う「おもいやり」の心とすれば、〈勇〉(または〈素〉)は、モノに(あるいは「豊かさ」に)対する心のもちかたになるだろう。

2019.11.18記す

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