加古里子『伝承遊び考 4 じゃんけん遊び考』小峰書店 2008年
以下、p56より引用(要約)
子どもたちは なぜ、
「じゃんけん」の三すくみに関心を寄せるのか。
大人は、──
遊びにおいても上下、優劣、勝敗に拘泥(こうでい)し、敗北をいとうくせに、黒白をはっきりさせ、敵か味方かで処置しようとする。
しかし子どもたちは、──
たとえば親が忌避する「パッとしない子」も、意外なよき一面を持っていることを知って密かに親しくするなどの経験から、黒と白以外の灰色の存在、しかもそれはたがいにある種の功罪、利害の関係につながる多次元的な状態となっているのが、生きている子どもの世界だということに気づき、そうだ、あたかも三すくみのように勝者もなく、敗者もない状態、いや常に優者であり続けるのでなく、また劣者にとどまるのでもなく、次回には状況を変転しうる点に魅せられるからであろう。
幼稚な子どもがそんな深い思索をめぐらすなど、あり得ないと大人は一笑するかもしれないが、前述のごとき単純幼稚な判断で、子どもの友人を比較判断してきたのは、大人でなかったのか。子どもが、そうした親や大人を「一面だけで断定する幼稚な人間」と思いつつ黙って従っていたことを、大人は少しも気づいていなかったではないか。それは子どもたちが密かに大人の「拳遊び」をぬすみ出し、自分たちの「じゃんけん」遊びにしていったのに、少しも気づかなかったのとまったく同様である。
2021.5.29記す