||||| じゃんけん考 |||

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 わたしは幼少時、「じゃいけん」と言っていたように思う。「いんじゃん」という言葉もあった。「じゃんけん」が一般的、代表的なのかもだが、かこさとしの「じゃんけん考」ではその掛け声を蒐集して、けっこうなボリュームを為している。

 ところで、いつのころから(何歳頃から)じゃんけんの、つまり「三すくみ」の規則を身につけ、遊びの始まりにつかえるようになったのだろう。この問いかけは、習得の経過としては、間違っている。規則を「身につけてから」ではなく、実践のなかで、気づけばいつのまにか習得しているのだ。
 年長者に教わったかもしれない。でも、想起できない。「♪いし かみ はさみ」という遊び唄がある。三すくみを表現したものだ。「じゃんけん」で重要なことは、
(1) 教えられることが優先するのでなく、遊びに「加えてもらって」身につく
(2)「見て(体験して)おぼえる」得意技を幼児が持っている
──ことだ。

二択と三択、階層化する選択肢
じゃんけんの「三すくみ」と「三択」:かこさとし

 さて、いざじゃんけんで勝負をするとき、その掛け声は一つだ。ばらばらではそろわないから一つになる。その一つは、どうやって決めていたのだろう。遊びは子どもにとって「じゃんけん」から始まる。遊ぶぞー!というメッセージがはっきりしている。
 しかし、5歳児を見ていると必ずしもじゃんけんで始まるとは限らない。遊んでいる子ども集団で、実際のところ、じゃんけんをしている風景をあまり見なくなった。

かこさとし蒐集:じゃんけんの掛け声

 じゃんけんをするときにつかう掛け声には、わらべうたに通じる謡いがある。じゃんけんの風景が減ったということは、謡いの声も聞けなくなった。
 鬼決めでじゃんけんをする光景は減り、何かを均等に分けるとき”不公平”にならない手段としてじゃんけんが選択されている。つまり、ゲーム化してしまった場面でじゃんけんは生き残っている。

 保育の現場で感心させられるのは、保育士がわらべうたを唄ったり、手遊びにあわせて唄い、子どもらをひきつけているときだ。そして、こうした場面以外で、子どもたち自身の声で、わらべうたや遊びに伴った唄や声を聞くことがない。
 早い話が、子どもが集団で遊んでいる場面に出会わない。子ども同士、声をかけあうことがない。時代が変わったからしかたない、でよいだろうか。
 「自助・共助・公助」という言葉がある。福祉や政治の場面でつかわれる。公助を除いて「自助・共助」は幼少期に始まる子どもの遊びで学ぶのではないか。「自助・共助」は人間関係の基礎になる。

 「じゃんけん ほい!」という掛け声が消えていくことはひたすら残念だ。文化遺産にしたくない! 子どもが子ども時代を生き生きと生きるには、そしてやがておとなになるために、じゃんけんの掛け声をなくしてはいけないと確信している。じゃんけんが消えることは、遊びが消えるということだ。

(話題)世界じゃんけん大会で優勝した話

2023.8.13Rewrite
2021.5.30記す

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