||||| 子どもの遊びはサブカルチュアー:子どもの遊び文化論 |||

Home > 「豊かさ」を問う > 子ども期の再生

 「文化論」と大上段に振りかぶって良いのか迷った。「論」を唱えるほどの私は文化人ではない。「サブカルチュアー」と位置づけたかったのでそれを論じるには「論」とするほかなかった。

 用語「サブカルチュアー」としての典拠は、『辞典の歴史と思想』(思想の科学臨時増刊号 1976年)にある。p172から始まる章は「サブカルチュアーの辞典」(石井紀子)。同章の冒頭で「サブカルチュアーの定義」が記されている。
 正統派(メインカルチュアー)に対して、同書p172──どうしたら自分たちの実生活の経験に根ざした意味づけや、具象的なふくらみ、あるいは感情的ふくみを与えることが出来るか──の対象をサブカルチュアーとしている。鶴見俊輔は「実質的にわれわれの生き方を律している裏文化」(思想の科学 1975年)としている。
 同章テーマに従い、筆者石井は自選した辞典群を分類し、①「表文化」に対して「裏文化」、②「正系」に対して「異端」、③「中央」に対して「地方」、④「強者」に対して「弱者」、⑤「公」に対して「私」、としている。これらを細区分し、「弱者」の枠組みに「おんな・子ども・老人」を立てている。「子どもの遊び」は明示されていないが、「弱者/子ども」に含められると我田引水ながらサブカルチュアーとしての位置づけを想定できるとみた。

 では、「子どもの遊び」をサブカルチュアーに位置づけて、何を論じることが可能になるのだろうか。

 (遊んでばかりしていないで、勉強しなさい!)の小言が言わしめているように、勉強が正統で、遊びは異端だった。時間のつかいかたとして、勉強に消費されることは望ましいが、遊び過ぎは無駄という考え方だ。
 先廻りして言い訳をしておく。「サブカルチュアー」は正統に評価されるとその価値を失う。サブカルチュアーは異端であり続けることが望ましい。つまり、私は遊びを良きものとして評価するが、だからといって「勉強はしなくてよい、もっと遊びなさい」を主張するものではない。(遊び過ぎた……今からは、勉強しよう!)ということを心の奥底で思うぐらいがちょうどよいと考えている。

 ということで、サブカルチュアーとしての「子どもの遊び」を正面切って論じることはむずかしい。この拙文を書こうと思いついたのは、かこさとし著『日本の子どもの遊び 上・下』(青木書店 1979,1980年)による。本書で蒐集されている遊びのうちいったいどれだけが今日に生き残っているだろうか。かこさとしは言いたかったことを箇条書きにしている。

 遊びとは何か
 遊びは何のためにあるのか
 遊びは子どものどんな役に立つのか

と、記したところで、

 日本の子どもの遊びが、なぜこんなになってしまったのか

と、憂えている。そして、

 日本の子どもの遊びについて、誰がどうすべきなのが一ばんいいのか
 ──というようなことを明らかにする必要を感じました。

と、ある。1979年のことだ。「子どもの遊び」の危機はすでに顕在化していた。サブカルチュアーとしての存在が消えつつあった。

 いろいろな鬼ごっこ、かくれんぼ、じゃんけんのしかた、虫とり、草笛、遊び歌、そのどれをとっても地域や子ども集団でさまざまな変型がある。変型はあっても、遊んでいる仲間にとっては始まりから終わりまで完結している。そして、伝承もされている。だからカルチュアーなのだ。変型され統一もされないから、サブカルチュアーなのだ。婆さまから聞かされる昔話もサブカルチュアーの類かもしれない。

 かこさとしの本(上p154)では「秘められた遊び」が8ページにわたって詳述されている。その詳細をわずかな行数では示せないが、p161──このことはエッチめいたことを明らさま(※)に述べたり口ばしったり、蒐集する、例の現代っ子観とはまったく基本的にちがったものであることを、しっかり知っていただかなくてはなりません。──(※)「明らさま」は仮名書き「あからさま」が正しい。

 現代っ子ではないかつての子どもは「秘められた遊び」を、秘められているよくない遊びとしてよく承知しており、裏通りだけで遊んでいた。社会の規範を守っていた。そういう方法(遊び)で規範を身につけていた。
 裏文化としてこそ生き残れる「子どもの遊び」を、テレビ番組が、子どもの遊びをおもしろおかしく素材にし、「かーらーす なぜなくの からすの かってでしょ」などと人気とり・うけ(お金もうけ)しか考えなかったからだ、と私は言いたい。「秘められた遊び」を表舞台に引っ張り出したのは、おとなだ。変型され統一もされない例えばじゃんけんの合言葉を「はじめはグー」と統一させてしまったのはテレビだ。子どもの遊びに含まれるかけがえのない良さ(文化)を断ち切ったのはテレビだと私は言いたい。

 下町(したまち)には「路地」はあるが、ニュータウンには路地がない。路地もサブカルチュアーの範疇に入るだろう。なぜなら、ニュータウンはわざわざ路地をつくろうとしないから。路地は、かつての遊び場だった。「ニュータウン」という言葉が生まれて50年は経つ。今ではすっかりオールドタウンだ。「子どもの遊び」はサブカルチュアーから脱落して50年が経ち、カルチュアーの価値も与えられていない。「子どもの遊び」はどこにいってしまったのか。
 1980年頃、毎日放送の取材を受け、タイトル「遊び方教えます」として30分の番組で放送されたことがある。大阪府だか大阪市だか覚えていないが、その教育委員会の提供だった。取材は半年くらい何回もあったように記憶している。この番組で、神戸市兵庫区の明親小学校と神戸市須磨区の高倉台小学校、それぞれの校庭にカメラを入れた。
 明親小──遊び時間の校庭にカメラが入ったとき、マイクを持つ取材陣に子どもが群がり、インタビューされる順序を争う勢いだった。私服が目立ち、校庭はカラフルだった。
 高倉台小──同様のことを行った。マイクを持つ取材陣が円の中心となり、子どもらとの距離に隔たりができ同心円になった。マイクを寄せるとさらに円は拡がった。体操服姿をカメラは映しだし明親小とは対照的で真っ白だった。
 明親小は体操時間の前後で着替える習慣があり、高倉台小は体操時間有無にかかわらず放課後も丸一日体操服で過ごす子が大半だった。
 取材陣は大変驚いていた。東京では、山の手/下町と対比されるが、ニュータウン/旧市街地の対比があり、明親小は下町で、高倉台小はニュータウンに立地する。マイクをとりまく子どもの動きや服装は暮らしかたの違いを象徴的に表した。もっとさまざまに、個別の文化が同時進行していた。
 この両地域で子どもたちと、私は遊びの実践をしていた。農山村と都会とでも同じことが起きていた。本稿の趣旨でいえば、サブカルチュアーとしての居場所が子どもには必須で、じつはおとなにも必要と私は考えている。今日のさまざまな社会問題とその解決には、この視点を欠かせない。

※カルチュアーの表記は、カルチャーやカルチュアの別表記がある。これを表記のゆれという。本稿は典拠に従ったことからカルチュアーで統一した。

(参考)かこさとしがいう「遊び」の意義

2021.7.1記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.