||||| 親の寿命 |||

Home > 砂をすくうように > 「子ども期の再生」実現への道のり

 我が子を産院で抱いたその初め「父」の実感はなかった。父になったと無理して思う自分がいた。父になったというより、責任というようなものがズッシリ重かった。「覚悟」が似合っていたかもしれない。いつから「父」になったのか、それは思い出せない。
 「子育て=親」は、けっこう早くに卒業できた。子ども3人のうち、卒業はバラバラで高校生になったとき、バラバラに卒業した。理由は明快だった。してやれることはもうない、と。学費など経済的なことはもちろん大きな負担だった。それは”親(保護者)”として当然なことで、子育てとは切り離していた。
 娘が保育園年長のとき、卒園を控えて震災に遭った。我が子も含めて園児らの元気な顔を見たときは、おろおろと泣いた。
 娘が「学校がこわい」と言った1年生のとき、しばらく一緒に登校した。
 子育てで親らしいことをしたことは小学生までだった。40代だった。江戸末期、明治の初めと比較すれば、平均寿命に近いときだ。

 江戸時代や明治時代は、寿命の”平均”に今ほどの意味がない。食糧・住宅・医療を受ける環境が均等ではなかったからだ。決めつけた言い方はできないが、江戸・明治は子育ての期間と親の寿命はほぼ一致していた。子どもにつくすことが親の一生だった。でも、理解は正しく行われなければならない。現代のように、子育てに腐心したのではなく、子育てに必要な食糧を確保することに汗をかき、命を守るための住宅だっただろう。医療は天命を待つしかなかった。

 さて、現代は、子育てが終わってからのほうが余命が長い。余生でもない。そして、これらのことは「我が子」のことであって、「よその子」のことを考えるとき、社会的には子育てに終わりはない(と考えたい)。
 昭和を通過して、平成・令和の時代、(私は元号をつかわないので、そういう意味で)21世紀は、子育てが終われば、再び「自分」の時代が訪れる。「自分の時代」を展望するには、子育てのさ中に、おそらく計画されるだろう。このセクションで重要なことは、子育ての意味や価値は、江戸や明治の時期とはもちろん、昭和の時代とも異なってきている。親と子の情感は変わらないだろうけれど、子育てのありかたに時代を超えて普遍的価値があるのではない。子育ては、常に「今」を読みとることが求められている。
 「子ども期の再生=The Renaissance of Childhood」は、古いことを今に再生するということでなく、子育てや子どもの育ち(発達)に必要な環境を整備すること・発見すること・実践すること、と整理しておきたい。

2021.10.1記す

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