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 園庭とは、土があり砂場のある場所だ。通常は地上階にあるが、用地確保が困難な場合、屋上に配置されていることもある。地上階で確保できないときは、園庭に与えられている意味をよく理解した上で、工夫はなかなかむずかしいと思うものの日射しを浴びる心地よい時間を確保したい。
 おとなが歓ぶ園庭と、子どもが楽しいと感じる園庭は違う。自然に対する見方が異なるからだ。たとえば、桜が満開になると美しい。本格的な春がやってきたと思い、おとなは心地よい。幼児はどうか。子どもの感性は〈おとなの感性〉が映りやすく、満開の桜を子どもも愛でるとは思う。一方、おとなはあまり関心をもたないが、吹きだまりに寄せられた花びらを、幼児は拾い集める。
 登りやすい木がありば、必ず登る。美しく手入れの行き届いた花壇に興味を示さないが、そこにチョウが飛んできたら、必ず追いかける。花壇に踏み込みたい気分。管理され手入れの行き届いた芝生を、ある保育園で見つけた。園長に「ここは自由に子どもが入って遊べるのですか?」と訊ねると、「決められた時間だけ開放しています」とのこと。園庭の中央、園庭面積の半分を占める。見学に訪れた親たちは綺麗な園と思うだろう。この園の倉庫のひとつは鼓笛隊の楽器でいっぱいだった。有効活用されていないスペースにがっかりしたものだ。
 たくさんの花が美しく咲きそろっていると、水やりは誰がしているのだろうと思う。花に限らない。緑が多ければ多いほど、水やりの苦労がしのばれる。水やりにまっとうな報酬が払われているのだろうか。ビオトープも同様。過去の誰かの発案でビオトープを建設したが、管理が大変だ。美しく保存され機能していれば、そこには無償の労働があるのではと私は想像する。

 指針や要領に「環境」項目があり、園庭の設計や運営は要(かなめ)であって付属物ではない。認可基準の広さだけでなく内容も問われなければならない。園庭に恵まれていても、後述するが「散歩」は必要だ。そして、散歩とは別に「野外活動」も必要だ。順序を変えると、散歩や野外活動への情熱を「園庭」にも向けて欲しい。なぜなら、園庭は保育の日常だから。

 散歩や野外活動で、子どもは花をよく摘む。「ママにあげる」とつぶやきながら摘んでいる。「パパに……」を耳にすることもあるが、ママが優勢勝ちだ。なぜだか、わからない。手に握られた花を、園に戻ってきてからは、子どもはすぐに忘れて気にならなくなるのだが、しばらくのあいだだけでもコップなどに水を入れて飾ってあげて欲しい。

(参考)創作はらっぱ

2021.1.7記す

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