養老孟司の本/唯脳論

  • 養老孟司(ようろう・たけし)『唯脳論』
    • 四六判 1989年 青土社 ISBN978-4-7917-5036-8
    • 1998年 ちくま学芸文庫 ISBN978-4-480-08439-2

 「唯脳論」は「ゆいのうろん」と読む。唯脳論とは何か? それをここで要約するのはやめよう。この本は「唯脳論とはなにか」の章から始まるが、じつは「・・・とはなにか」はこの本全体にかかわっているのと、この本の全部を理解するとなると、じつは難しいのです。ああ、唯脳論という言葉を創案したのは、この著者自身です。

 都会では人工物以外のものを見かけるのは困難であり、自然でさえもたとえば植物や地面も人為的に配置されている。人為的、つまり人間が考えた、そう、都会は脳の産物なのだ。情報化社会とは、社会がほとんど脳そのものになったことを意味する。したがって、伝統や文化や社会制度、言語もまた脳の産物だ。
 では、脳の産物でない、ものは何か? 我々の遠い祖先は自然の洞窟に住んでいた。脳化された社会ではなく「自然の中」に住んでいた。

 人間の社会だから、人間=脳が作った社会だ、といわれてみればなるほどそうかと思う。だが、それほど自明でないところをついてくるのが唯脳論なのだ。
 その一つは、「心」はどこにあるか、という問題。心は脳の産物であると割り切れない人たちは、じつは多い。それは個人的な印象を言っているだけではなく、歴史的事実なのだ。
 二つ目の例。言葉はやはり脳の産物だが、視覚にたよる言語と聴覚にたよる言語の違い。たとえば、数字を唱えながら本が読めるだろうか?

 ユークリッド幾何学やダーウィンの進化論、あるいは世界史についてある程度の素養があれば、さほど難しいものではないと思う。が、一般にはそんな素養がないのがふつうだから、やはり難しい。
 じゃ、なぜ、唯脳論を読むのか? 著者・養老孟司を知ろうと思えば「唯脳論」は必読書となるからだ。じゃ、養老孟司とは何者か?

 解剖学者です。脳を解剖してわかることは、ネアンデルタール人と比べれば違ってくるけれども、「現代人つまりホモ・サピエンスは、ここ数万年ほど、解剖学的、すなわち身体的には変化していない」
 古代から現代まで人間社会は様々に変化してきたけれども、脳は変化していない。だから、変化していない脳に還元してみることで検討し直そう、これが唯脳論である──と、私は大胆に要約してみたが……

 養老孟司が注目されるのは、そうした学術的な面だけでなく、独特の文章表現と論理の展開のしかたにあると思われる。難しいところは適当に読み飛ばしても「唯脳論」の意味するところは、”読んだ分だけ”わかるように思うのですが……

2000.7.31記す/2022.7.2再録

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