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養老孟司(ようろう・たけし)『唯脳論』
+ 四六判 青土社 1989年
+ ちくま学芸文庫 1998年 読書メモ
「唯脳論」は「ゆいのうろん」と読む。この本は「唯脳論とはなにか」の章から始まるが、じつは「・・・とはなにか」はこの本全体にかかわっている。「唯脳論」は著者の造語である。
都会では人工物以外のものを見かけるのは困難であり、自然でさえもたとえば植物や地面も人為的に配置されている。人為的、つまり人間が考えた、そう、都会は脳の産物なのだ。情報化社会とは、社会がほとんど脳そのものになったことを意味する。したがって、伝統や文化や社会制度、言語もまた脳の産物だ。
では、脳の産物でない、ものは何か? //われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中」に住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。// p7
人間の社会だから、人間=脳が作った社会だ、といわれてみればなるほどそうかと思う。だが、それほど自明でないところをついてくるのが唯脳論なのだ。
その一つは、「心」はどこにあるか、という問題。
心は脳の産物であると割り切れない人たちは、じつは多い。それは個人的な印象を言っているだけではなく、歴史的事実なのだ。
二つ目の例。言葉はやはり脳の産物だが、視覚にたよる言語と聴覚にたよる言語の違い。たとえば、数字を唱えながら本が読めるだろうか?
ユークリッド幾何学やダーウィンの進化論、あるいは世界史についてある程度の素養があれば、さほど難しいものではないと思う。が、一般にはそんな素養がないのがふつうだから、やはり難しい。
養老孟司とは何者か?
解剖学者である。「現代人つまりホモ・サピエンスは、ここ数万年ほど、解剖学的、すなわち身体的には変化していない」
古代から現代まで人間社会は様々に変化してきたけれども、脳は変化していない。だから、変化していない脳に還元してみることで検討し直そう、これが唯脳論である──と、わたしは要約してみたが……
独特の文章表現と論理の展開のしかた。難しいところは適当に読み飛ばしても意味するところは、”読んだ分だけ”わかるように思うが……
2024.7.12Rewrite
2000.7.31記す
