コロナ禍と子育て

(1)連載のテーマを「さがす」

〈連載〉とは、「擬育 いのちに出会うドラマ」のこと

 新日本フィルハーモニー交響楽団が、よく知られている「パプリカ」をテレワークで演奏した。そのドキュメントをBSで観た(聴いた)。ある団員が提案したが、団員は即座に賛成したのではなく、メンバーは少しずつ集まった。ある団員は「オーケストラはテレワークから最も遠いところにある」と思っていた。これは技術あるおとなの集団だ。「パプリカ」は62人で演奏されるまでになった。
 乳幼児はおとな集団のようにはならないだろう。小学生も低学年は同じく成立しないだろう。野外活動はオーケストラ以上にテレワークに馴染まない。

 科学より宗教が支配していた西洋社会を、ペストが滅ぼした。その後に産業革命を招来した。天がまわる世は去り、地球自身がまわる時代になった。コロナ禍で惑う私たちは、これに相当する時代に遭遇したのだろうか。乳幼児の子育てに、その育ちに、小学生の学びに何が必要で、必要でないものは何か。オーケストラの取り組みで、私は大いに刺激された。

 現代人に無縁と思い込んでいた武士道。その武士道(新渡戸稲造の)を虚心坦懐に学ぼうとして(どこまでわかったか怪しいが)「きたえる・おもいやる・ゆずる」を発見し(他者からどう思われようと)見えや飾りを取り除ければ、この3つの言葉に尽きるとつくづく思う。新しい時代の子らに期待しよう!

 コロナ禍で野外活動にも制限が加わり、3月から保育園と芦屋で活動を休止してきたが、今月6月(2020年)から活動を復活させる。この連載についても、テーマをどうしようかと考えていると、それが浮かばない。つまり、テーマは、活動のなかで、子どもと向き合っているとき、または保護者と出会って気づいたことがヒントになっている、ことに気づく。

 〈コロナ後〉とは到底思えない。〈コロナとともに(ウィズコロナ)〉を受けいれる気持ちにもなれない。尊敬するノーベル賞学者・山中伸弥教授は「コロナとの共生」を主張しており、その主旨はわかるつもりで賛意を寄せている。それでも、私には本音でまだまだ遠い思想だ。「ペスト」を例に上述したように、時代の変革を感じるようになり、重々しく受け止め始めている。理解しようと努めているが、到来するだろう新時代を予期するのが精一杯で、その反動で取り残される自分を自覚するしかない。今の乳幼児そして子どものカテゴリーに含められる小学生の邪魔にならないよう、残された仕事は何だろうと考えるようになった。

この節 2020.6.15記す

(2)子どもは「地域」で育つ

 (2020年)3月の初めから6月半ばまで、子ども(幼児と小学生低学年)に接する機会を失った。そして、6月半ば過ぎから、ようやく再会となった。長かった。寒くても頑張って山登りをした2月から季節は一転、夜7時になっても明るい夏至を迎えてしまった。
 コロナが憎い! 悔しい! でも、グローバリゼーションや気温温暖化など人間の仕業の結果だから、受け止めるしかない。幼児と関わると、幼児らがおとなになったとき、私たちが置いていった負債をすべて背負い込むことになる。それが申し訳ない。

 保育園の園庭に足を入れると「♪ヤマダセンセー」と大きな声が飛んでくる。マスクをしていてもわかるんだと思う。「おじいさんになった?」と問いかけられた。どういう意味? 「前から、おじいさんだよ」と腰曲げ杖つくまねをした。ダイエットに成功したつもりなのに、年齢詐称はできない!と思い知る。子どもたちの元気な様子にホッとする。

 しかし、……。この3か月以上の空白。保育園の、保育士の、親の、地域の、それぞれの役割は何だったのだろう。これの影響は10年以上後に表れるのかもしれない。いや、何事も無かったように、時は語るかもしれない。しかし、……。私は、まず反省として、「遊び」の重要性を訴えながら、それの取り組みを急がねばならないと気づかされた。「遊び」はグローバリゼーションとは真逆で、極めて地域性を伴う。乳幼児の育ちについて、地域のありかたをこれまで以上に考えるようになった。子どもたちの育ちは、地域の暮らしと不可分で、地域があっての暮らしと言える(ようになって欲しい)

 しかし、……(が続いて、ごめん)。地域における子育て、というものは今や空虚だ。希望を見いだせる地域を創出して欲しい。コロナ禍で、子どもを救えるのは、その発達を支えるのは、地域(だけ)だと思う。その「地域」に「保育園(認定こども園・幼稚園も)」も含まれる。

 この節 2020.7.1記す

(3)ふるさと観

 若いとき、およそ20代の頃は、「ふるさと」という言葉は余所事だった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの

 室生犀星の名作とされるこの詩も、”名作”として味わう程度のものだった。
 コロナ禍で、世紀レベルで時代の変化を想像するようになった今、”ふるさと”を我が事として実感するようになった。

 私の「ふるさと」は3つある。1つめは、林田川以東の播磨平野。私は長男で育ったが、貧しかった。90になった母に確認すると、3歳のときから、しばしば母の母宅に預けられていたらしい。母の母、つまり祖母がいたのが播磨だった。「家のない子」と祖母は泣いたという。播磨の田舎で育ったことが、自然好きな基礎を育ててくれたと私は思う。2つめは、神戸市兵庫区の平野。有馬街道と都会の接点だった。ここに19年住み、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の初めと、子ども時代から青春期まで過ごした。だから、友達の顔と地域が結びつく。
 今の明石に移り住んで35年になるが、隣の町名すら覚えられない。「まちづくり」には深くかかわっているが、ここは「ふるさと」にならないだろう。
 ふるさとの3つめは芦屋だ。私のふるさとではない。ここでかかわっている子どもたちが〈芦屋をふるさと〉と思うようになるにはどうすればよいだろうか、と考えている。そして、「ふるさと」とは何だろうかと、コロナ禍で考えるようにもなった。それは、大切な発達の時期、育ちの時期を、コロナが奪ったからだ。正確に言えば、コロナが奪ったのではない。コロナに脅える子どもとその親、地域を導かない政府が奪った。
 ふるさと=地域。ここ芦屋で育つ子どもらに、誇りをもって「ふるさと」を創出したいと思う。

この節 2020.7.16記す

2022.8.20ページ作成

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