|||||「カサ」の少女と一万時間 |||

Home > tide pool 潮だまり ||| Back |||||| |||||| Next |||

 先日7日は冷たい雨が降っていた。この日の夕方、明石駅に向かって歩いていると、「カサ」が”歩いて”きた。小さな子がカサをかぶり、向き合うかたちで前方にいた。(エッ! あの子?) 前回ここで記したあの子!(だと思う) 先を歩いているママが声をかけた。「ゆっくりでいいよ」と大きな声。つまりは、あの子に声が届くように。
 透明で透けて見える。カサを持っているようすが見える。まさか、1歳2~3か月と思う我が思いはガラガラと揺さぶられた。2歳? ……とすれば、小さい。2歳でも、ひとりでカサをさして道を歩く子は少ないだろう。そして、やっぱりあの子だ(と思う。また出会えるかなあ~)!

(見出し)一万時間

 一万時間って、どれくらい。
 10000時間÷24時間/日≒416日
//一万時間に及ぶ厳しい練習をこなすために、だいたい必要な年月// は「10年」という。
マルコム・グラッドウェル『天才!』p48

これを根拠に計算すると、10000時間÷10年=1000時間/年
1000時間÷365日≒2.7時間★
“厳しい”という条件下で★は現実的(実績的)な数値らしい。

 一方、一般的な8時間労働の場合、10000時間÷8時間/日≒1250日
1250日÷365日/年=3.4年
厳しい練習2.7時間を遥かに超える8時間労働をいくら積み上げても「天才!」になったという実感はない。どれほどの”厳しい”条件が必要なのだろう。

マシュー・リーバーマン『21世紀の脳科学』
p30
//10歳になる前に、脳は1万時間の”練習”をクリアできる。//……//私たちは知らず知らずのうちに、複雑な社会生活を送るエキスパートになる練習をしているのだ。//
と、マルコム・グラッドウェルの〈一万時間の法則〉をひいている。

 10年間(10歳)は、小学4年生に相当する。上記の計算を援用すると、あかちゃんのときを含めて、毎日およそ3時間「遊ぶ」ことでエキスパートになるというふうに理解してよいのだろうか。”厳しい”というより”たのしい”時間の積み上げだ。「カサ」の少女はすでに一万時間への道をたどり始めているということなのだろう。

 他者の心を推し量れるのは「心の理論」で4歳とされているし、共感する能力は7歳を待つ必要があるともいわれる。ともだちの気持ちや感情に共感できるようになるには、それなりの時間が必要ということがさまざまに心理学で”証明”されている。
 「にんげん=人間」が天分を発揮するようになる過程として、4歳・7歳を通過して、10歳に一万時間の到達をみるということだろうか。
 就学前のそのほぼすべての時間は「遊び」で埋め尽くされている。遊びの効用=価値は十分にあるということだろう。わたしはそう思いたい。生まれながらにして、後年に「天才」と呼ばれる人はいるのかもしれないが、「天才」という天分は必要条件で「一万時間」という十分条件で成立する。「一万時間」は”努力”の必要を説いている。天才に「遊び」は必須なのだ。
 翻(ひるがえ)って、「遊び」に制限を加えてきたときは、いずれ負の効果を受けることになるということか。さまざまな社会不安の要因は、遊びの不足がもたらしてきたことによるのかもしれない。「はらっぱ」は放置された価値のない土地利用とみなされ、乱開発でその”すきま”を埋められてしまった。整備されてきた子どものための公園はそれなりに意味はあるのだろうし、否定はしないけれど、「自然」とは切り離されている。一万時間に必然的な意味や価値があるとすれば、「カサ」の少女から始まる乳幼児たちのために、遊べる空間を見直すときにきているのでは、と思う。

2023.4.15記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.