||||| 歩く「カミ」|||

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 ヨチヨチあかちゃんが歩いている。「ショッピングバッグ」の持ち手に、右手の腕を通している。左手にもう一つの紙バッグをぶらさげていて、持ち手から抜け出た手はママに握られている。背丈に合わせて紙バッグは小さい。たたまれていて空だ。右手がぶらりさがったとき、腕から抜け落ちた。2,3歩で気づき目線を向けた。ママが気づいて、再び腕のなかへ。
 言うまでもなく、かわいい!。歩きっぷりから、1歳2~3か月だろうか? 6か月ということはなかろう。明石駅前のスクランブル交叉点で立ち止まり、「アッ、アッ」と声をあげていた。〈宣言的指さし〉もしていた。ママは「信号、赤ね」と声かけしていた。青に変わり、再び手をひかれて歩いた。ヨチヨチ歩きだけれど、速い! ママは歩幅を合わせている。抱っこしないで/されないで歩き続けるあかちゃん。もっと眺めていたかったけれど、急ぎの用事があったので、心のなかでバイバイした。

 1時間ほど前、岩田慶治の『カミの誕生 原始宗教』という本を開いていた。ヨチヨチ歩くあかちゃんと「カミ」がわたしのなかで結びついた。それは、大脳基底核と「カミ」の親和性を「あかちゃん」に発見したからだ。ママは気づいてない(失礼ながら……)だろうが、間主観性でママとあかちゃんは今一体となっている。カミと手をつないでいるということでもある。
 文化人類学のその本は、あかちゃんが「カミ」とは言ってなさそう。世界の宗教文化を通して人類の「こころ」をたどろうとしている。
 「こころ」は、いのちとからだから発していると思ってしまい、目前のあかちゃんに「カミ」が宿っていると思ってしまった。

 その前日、わたしは保育園に居た。門を開け、園庭に入ったとき、女の子が抱きついてきた。「あれっ? なんで……」と言いかけて、「そうか、学校、春休みなのね」と言った。卒園児の1年生が来ていた。お姉ちゃんは、妹?(弟?)見極めるほうに気が向かなかったが、一緒に遊んでいるふうだった。表情はすっかり”姉”だった。かつて「カミ」だった姉は「カミ」をあやしていた。

 「こどもを核としたまちづくり明石」はすっかり有名になった。明石駅周辺の人通りで、あかちゃんを確かによく見かけるようになった(気がする)。子育て支援政策は人口増につながりシティセールスがもたらした”成果”といえるだろうが、果たして実際に、子育てに功を奏したかはこれからだし、「功」を確かめる方法は果たしてあるのか?とも思う。人口増が今後、負の効果にならないことを願いたい。
 市長退任を表明した泉房穂氏の後継に女性候補が指名された。候補は、子どもの教育と環境が得意。小学3年生のときに自然教室に参加し、これをきっかけにして自然に興味をもったという。自然環境教育がどのような成果をもたらすのかを継続して調べるようにと当時にわたしは課題をもらっていたが、象徴的な成果を生み出そうとしているように思う。当選することを願いたい。

 「カミ」はいたということであり、「カミ」は「カミ」に見守られてるということでもあるだろう。
 神さまに軽率だったかな。神さま、ごめんなさい。

2023.4.1記す

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