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ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』紀伊國屋書店 2005年。
p555
//二歳近くになると、鏡像を自分自身だと認識し、大人と同じ反応をみせるようになる。この最終段階に達したことを検証するための実験では、子供の鼻を赤く塗って鏡の前に立たせ、子供が自分の鼻に触るかどうか観察した。子供は二歳までには、たやすくやってのけた。//
p556
//二歳の子供が学んだのは、鏡像と肉体の一対一の関連性にすぎない。//

 何を言おうとしているのか。「ぼくだ!」「わたしだ!」という”意識”が働いているのでは「ない」ということである。「(鼻が)なぜ赤いの? 赤くなかったのに!」と思えば、それは”意識”である。赤くないのは私、赤いのは(「のも」ではない)私、それぞれそう思う私で、その限りのことだ。「一対一の対応」ということである。
 だとすると、「意識が誕生」するのは三歳以降ということになる。
p572 「訳者(柴田裕之)あとがき」
//著者の挙げる多様で圧倒的な数の事例を見ていくうちに、この〔意識の誕生〕仮説は、揺るがしがたい事実のように思えてくる。この仮説が正しければ、納得できることがじつに多いのだ。//
 仮説立証の一つ。わたしたちの脳について、左半球(例外あり)は言語機能をもつが、右半球はかつて(数千年前まで)神が宿っていた。左右をつなぐ橋で神が言語機能を操作していた。神が衰退する諸事情が続き、操作が消え、そして意識が誕生した──わたしの解釈である。
 //にわかには信じがたい。//(p572)と、訳者も言っている。著者は自信たっぷりだ。意識を手にした人間だが、神が潜んでいた痕跡を今日(現代)に至ってもひきずっているという。その事例の多くをわたしは読んで洗脳されてしまった。

 意識とは何か。考えざるを得なくなった。著者は、「知覚」と「意識」は同じでないと言う。哲学者として高名なバートランド・ラッセルは──
//「我々は、何であろうと自ら知覚するものを意識している」//(p541)と言い、
//ラッセルは意識の例として「私はテーブルを見ている」という表現を用いた。//(p541)と示されれば、わたしは、なるほどそうか!と思ってしまう。
p542
//知覚とは刺激を感じとり、適切に反応することだ。そしてこれは、車の運転を例に挙げて説明を試みたとおり、無意識のレベルで起こりうる。//
※「知覚」(の一部)は「五感」と置き換えればわかりやすい。事例はさらに続く。
p542
//白血球はたしかにバクテリアを知覚し、それを呑み込むという方法で適切に対処している。このように、意識と知覚を同一視するというのは、私たちは循環系を巡る血液中に、1立方ミリメートルあたり6000の意識ある実体を持っていると言うに等しい。これは、あまりにもいきすぎた論理だろう。//
 意識を意識して考えるようになった。正直、混乱を抑えられない。

2024.10.15記す

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