声の力 ── 擬育24

 舞台演出家の竹内敏晴は「ことばが劈(ひら)かれるとき」(1975年)という文章を記している。ことばや声を職業としている。この本を読んで、そのアレンジを考えた。
 Aさん・Bさん・Cさん・Dさんが、この順で互いに前方を向いて並んでいる。BさんはAさんの頭の後ろは見えるが顔は見えない。CさんはBさんの頭の後ろは見えるが顔は見えない。左右に体をずらせば、Aさんの後頭部は見える。というふうに並んでいる。さて、Dさんに心の中で誰か前方にいる人を決めてもらい「おい!」と呼びかけてもらう。A・B・Cの各人は「おい!」の呼びかけをどのように受けとめたでしょうか?
 子どもと向き合っていて子どもから声をかけられるとき、必要以上の大きさで話しかけられると「私はここにいるよ。そんなに大きな声を出さなくても大丈夫だよ」と言いたくなる。正確には声の大きさではない。大きな声で自らの意思を伝えようとしているときもある。他者との距離を意識しないで言葉だけを発声しようとしているように思える。会話にならず、伝えようとしている内容にかかわらず不快だけを相手に届けてしまう。

 三角形のピラミッド構造を思い浮かべよう。水平に切り分け、4段にする。最下層の広い部分に「聞く」を置きその上に「話す」を配置しさらにその上に「読む」を置く。頂点になる三角部に「書く」を置く。つまり、基底部にあたる下から「聞く・話す・読む・書く」となる。それぞれの構成比が著すように、十分に「聞く」練習が出来てこそ「話す」が身につく。十分に「読む」経験を積んでこそ「書く」ことにつながる。この構成比はおそらく生涯変わらないだろう。
 ここからひもとけば乳幼児の体験において、十分に「聞く」ことが必要といえる。絵本を読んでもらうことはすぐに思いつくが、それだけでなく、おとなの声かけがまず第一に大切で、語りかけが常に先行することが必要になるのだろう。人の話、愛する人の話をしっかり聞けることが、のちに「話す」力つまり「声の力」として育つのではないかと思う。

2019.12.24記す