
M.S.ガザニガ『社会的脳』
:心のネットワークの発見
The Social Brain 1985
+ 訳:杉下守弘・関啓子
+ 青土社 1987年
p9
//25年〔1985年-25年=1960年〕にわたる私の脳研究活動の報告書としてこの本が少しでも読者を啓発できたら、またさらには楽しんでいただけたら、ということである。//
p15
//心理学の研究者の間では思考作用の要素が我々の「意識」の中で連続して認知を作りあげるという仮定がずっと主流であった。私はこのように意識的経験を直線的統一的に把えることは全くの誤りであると思う。
反対に私は人間の脳はモジュール様式の機構を持っていると考える。//
p18 自由意志について
//アルバート・アインシュタインも学問的には機械的宇宙という考えを持っていたにもかかわらず、自分自身は自由に行動していると思っていた。このように、我々が自由意志で行動しているという信念は強いものなので、おそらく人間の脳機構の基本的特徴から出てきたものに違いない。これから順に説明する心のモジュール説から推せば、当然このような信念を持つに至る。我々は独立した脳のモジュールによって生じた行動を自分が生み出した行動として絶えず解釈しているので、自由意志で行動しているという大方幻想にすぎない結論に達するのだ。人が抱くこの不可避の知覚こそが、様々な社会的影響力に応じて信念がその形を変えて行くという考えに導くのである。//
p19
//人類はこの脳を少なくとも4万年は持ち続けてきたことを知っている。//
p22 スペリーとの出会い
//約25年前『サイエンティフィック・アメリカ』誌に載った、私の後の指導者ロジャー・スペリーの論文──私はひどくこれに興味をそそられた──を読んだとき、私の頭をかすめたこれらの疑問には、どうしたら答が得られるのだろうか。私はそのときダートマス大学の学生だった。スペリーは世界でも有数の脳科学の一人であり、カリフォルニア工科大学のヒクソン記念心理生物学教授であった。//
p23
//神経がどのように成長するかを理解することは脳について学ぶのとほとんど同じくらい根本的なことである。
1960年代はほとんどの妥当な研究計画の財源が保証された頃であり、アメリカの科学者にとっては輝かしい時期であった。私の考えたことは長くかかりそうな企てであったが、私はスペリーに大学3年と4年の間の夏休みに仕事をすることができないかと手紙できいた。私の家はカリフォルニア工科大学に近く、私はそれが最上だと考えたのだ。驚いたことには、返事によるとそれが可能であるばかりか全米科学財団が夏期特別研究費を提供してくれるはずだということだった。私はとても信じられなかったが、ありがたくその申し出をお受けした。その夏の10週間は私の人生にとって転換期となった。
研究室は非常に暖い雰囲気で、スペリーはもうすでに伝説的人物であったが、とても暖かく私を迎えてくれた。//
p40
//あの1960年の夏を契機として、私は脳科学、特にそのうちでも行動という点から見た脳科学が私のライフワークだと確信した。//
//私はその夏の経験を心から消し去ることができなかったのだ。そこで私はスペリー博士に手紙を書き、私の大学院課程の勉学を彼の指導のもとでできないものかと依頼した。彼は喜んでそうしようと返事をくれ、ほとんど彼の尽力によって私は翌夏カリフォルニア工科大学に入学できた。//
p52
//ロジャー・スペリーは私が彼のもとへ行ったとき48歳だった。このときすでに彼は肺結核にかかって命びろいをしていた。スペリーは複雑な人物で痛々しいほど内気で、絶えず何が人間を行動へと駆り立てるのかを思いめぐらしているような人であった。彼は同僚からは遊離した存在とうつっていたようだが、学生たちからは、とても親しみを持たれていた。ノーベル賞を受賞したジョージ・ビードルがその才能を認め、カリフォルニア工科大学への招聘に尽力したおかげでスペリーがここに来たのが1950年代初頭だが、それ以前すでに、彼はこの分野で第二位の地位を得ていた。おそらくペリーはその当時活躍していた脳科学者の中でジョン・エックレス卿に次ぐ有名な学者であった。その神経の特性に関する革命的な研究により、神経生物学の分野で主要な学者の一人と考えられていた。1950年代に彼が観察結果を駆使して、描き出した理論からは神経生物学における膨大な量の研究が今なお生まれている。彼はまたゲシュタルト原理の基礎をなす生物学に関しての一方的な理論の限界を示すための一連の実験も行った。さらに彼は分離脳の研究の準備に約8年もかけていた。彼はもう名物的な存在となっていた。//
p54
//スペリーが偉大な指導者である理由の一つは、彼は一人にしておいてくれることである。うまく仕事ができるよう実験室を整備し、常にそこにいて仕事を見守り忠告し助け導いてくれた。しかし彼はまわりの誰にも命令しないし、どうしなさいとも言わなかった。年長の科学者たちの研究室はたいていそんなふうにはいかない。大学院生たちは将棋の駒のようなものだ。スペリーの研究室ではそのおかげでスペリーも学生たちもみなうまくいっていた。その結果仕事の成果は何でもチームプレーのたまものとして現われてきた。我々は自由にお互いに交流したし、いつも何についてでも話し合った。初めの何年間かの仕事は主にスペリーとボーゲンと私とでやったが、他にもたくさんの人が関わっていたのは事実である。
1960年の初め、こうした研究が進んでいたころのカリフォルニア工科大学には独特の雰囲気があった。//
p56
//ボーゲンはいつもやってきていた。彼は大男で生きることに対しとても積極的だった。スペリーは喫茶店に行くようなタイプの人ではなかったが、ボーゲンは親友で、食べることも飲むことも、おしゃべりも好きだった。彼はよいワインや料理、そして楽しい会話を教えてくれた。彼は頭もよく理路整然としていて、エネルギーの塊だった。この最初の時期に我々はやってみる価値のある事を数回試みたが、それはひとえにボーゲンが我々をひっぱってくれ続けたおかげであった。
それは単なる賢人の集まり以上のものであった。それは偉業をなしとげようとして集まった人たちのグループであり、最高の形で事が運ばれていった。我々は熱中して仕事をしたしカリフォルニア工科大学の特別な雰囲気のために自分たちも特別だと皆感じていた。カリフォルニア工科大学もそう思っていたのではないだろうか。1961年秋に徴兵通知を受けとった日、私はそれを慣例に従って学長のところに持っていった。するとその午後、地方徴兵局から私に電話があり、出頭する必要のない旨を伝えてきた。そこには疑いなくエリート中のエリートの雰囲気があった。本当によい時期であった。//
p61
//スペリーは人の考えをうまくひき出す名人であった。彼はあちらこちらにいくがままにさせてくれ、決して話しの流れのじゃまをしたりはしなかった。ここでの彼の役割は欠かすことのできないものであり、力強かった。この話し合いを通して、我々は環境を整備し今ではこの研究の典拠となっている枠組みを作りあげてきた。我々の結果は、意味不明の医学的表現などのない、明確な文で報告された。スペリーは書くことにも才能があったからだ。//
p62
//すべてが順調に運んだわけではなかった。「きのうの解決より単純なものはない。」と諺にあるが、科学を実践するとはまさにその通りである。一つのことをうまくやるには、二十もの失敗が必要だった。//
p64
//スペリーは私の知っている他の誰よりも吹聴しないことを好む人である。彼はまた、なぜ理性的な人間が宗教を真面目に信じるのかについて長年にわたって興味を持っている。//
p39
//(a)〔※a〕脳は厳密な発生学的支配のもとで発達する。
(b)〔※b〕脳の基本構築はそれができてすぐの非常に早期にしか変えることができず、また劣る方にしか変化しない。
(c)〔※c〕脳のシステム中のいたるところに比較的独立して作用するモジュールがあり、これによって脳は組織されている。
(d)〔※d〕脳は外界からの影響を複雑な制御された脳の化学システムによって自分で調整することができる。//
※a
p31
//発達心理学者の間では、正常な認知に至るまでに、様々な認知段階が特定の順序で出現するという考えが一般的である。BはCが成熟するまで使われる、という具合である。彼らはこのような心の能力の一つ一つについてその特性を論じるが、みなそれぞれの段階がその固有の順序に従って進むと信じがちである。その結果として発達の心理モデルがつくられ、この心理的過程が、個人の認知を構成する基礎的単位であるかのように論じられてしまう。
この過程について生物学的見地から述べるなら、必要な心理的過程を促進する脳の領域が結合され機能するまでは心理的レベルでは何事もおこらない。//……//人間がこのようにさらに発達していくことに対する生物学的可能性としては、人間の脳における異なる髄鞘化のパターンがあげられる。この髄鞘化の過程はゆっくりしており、幼児がある技能を獲得する頃になって、認知に最も関連の深い脳の領域でだけ成熟する。//
p30
//ということは、ある行動をとるためには、その行動をおこさせる脳の領域が一定のレベルまで成熟していなければならないことを示している。5歳から7歳がその重要な時期である。//
※参考:「子育ての公理」
p30
//髄鞘とは神経細胞のまわりを覆っている物質で、それぞれの鞘となっている。//……//この鞘が神経細胞の微細構造を変えて、それが電気刺激をより効果的に伝えられるようにしている。この鞘がないと神経細胞は不活発であり、脳の発達をみていく上で、この大脳皮質の髄鞘化を考えることは大変重要である。人間の認知活動の多くは大脳皮質でおこる。従って大脳皮質が効果的に働くためには髄鞘はぜひともなければならない。しかし髄鞘化はゆっくり進む。脳のある部分は30年たたなければ完全には働かない。//
※b
p28
//脳の機構が変更可能な発達の期間には明らかに臨界期があることが今では知られている。//
p29
//人間が言語を学習する時期もこれと同様である。もし子供がある時期までに言語を獲得しなければ、正常な言語発達は決して望めない。//
p31
//発達途上の脳に関するもう一つの重要な原則として、これまでの研究はみな脳への外界からの影響は負の方向で働くことを示している。この事実は初期の環境の重要性について脳研究者自身から出された主張とするどい対比をみせている。有機体の自然な発達史の中で、それが最大限にまた妨害されずに発生学的潜在力を生かせるのは平穏無事な出生後のしばらくの間だけである。//……p32 //豊富な環境が脳の力をさらに増すことを納得させるような観察結果はない。//
※c
p36
//成人の脳はある部分が別の部分に階層的に連結していくというような統一的な、一枚岩のようなシステムから成っているのでは決してないことである。つまり情報は連続的に処理されるのではなく、もっと並列的な処理過程であることが、今では明らかになっている。//
※d
p39
//重要なものに、生物が経験できる苦しみや喜びの量は有限だということがある。この機能を仲介する化学物質が有限であるからである。//……//個人差は非常に大きい。//……//〔人物Aの〕エンドルフィンつくる能力は〔人物Bの〕その能力あるいは自分でつくった化学物質に反応する能力とは違うかもしれない。個性に含まれる数多くの面//
p72
//左手がさっさと課題を遂行してしまうと右手が延びてきて左手の完成してものをこわしてしまったのである。その様子はまるで二つの手が決闘でもしているようだった。この観察から後に述べる多くの他の実験構想が生まれてきたのである。
この観察の主要な点は二つの半球の間では能力が分離されてしまっているという点であった。この発見から我々は左脳は言語作用について優位であり、右脳は視覚-構成課題で優位であるという主張を導き出した。しかしこの考えはその後、他の人たちの行った新たな一連の実験結果から根本的修正を迫られることになった。この新しい実験の解釈をめぐって私はスペリー及びその新しい同僚たちとたもとをわかつことになってしまったのである。いうのは、彼らの見解は私には受け入れ難く思えたからである。例えばジェル-レヴィとスペリーは方針を変え、右脳は総合的処理を行い、左脳は分析的処理を行っているという考えを発表した。//
p134
//コンピューターは情報がたくさんになればなるほど処理に時間を要するというのに、なぜ人間の脳は知れば知るほど速く働くのだろうか。//
※この喩え/比較は、現代においてもう通用しない。人間の場合はさておき、コンピューターの情報処理速度は人間のそれを超えている。
p150
//対象とした患者の海馬は正常な新陳代謝の速度より遅いことがわかった。これは海馬が正常に機能していないことを示唆しており、それが患者が記憶障害をおこす理由と考えられる。//
p150
//というのは神経細胞が機能するために必要な酸素を運んでくるのはこの血液であるからである。ところが時々この二つの作用が連結しない事態がおこりうる。つまり血液量は多いままなのに新陳代謝は減少したり、またその逆であったりするのである。こうしたすべてのことがPETスキャンに表われ、またこうしたすべてのことが異常な作用を示唆している。//
p152
//もし二つのシステム〔右脳/左脳〕が完全に独立していれば、それは問題ではないはずである。しかし両者が脳の構造において〔分離したのちも〕なお結合していることを生物学的に示すようなある共通の資源に依存しているなら、必ず影響があるはずである。//
p152
//資源分配〔※〕に関する分離脳の研究によって、脳全体には一定量の資源があること、もしそうでないなら分離脳が両半球の相互作用を示すはずはないからである。//
※資源分配……p151//この語の意味は定められた時間内に人間が解決するそれぞれの精神作業は、人間が問題の解決にあたって用いる資源の全体量の中である一定の部分を占めるということである。極めて簡単に言えば、我々が新しい情報を処理する能力には限界があり、この限界は脳でおこっている生物学的過程と結びつけられているとわかっても驚くにあたらない、ということである。//
p153
//患者の脳の生物学的活動の全般的な低下は、血液量の全般的な減少という現われ方でおこり得る。一つのおもしろい可能性として、こうした代謝を目じるしとして見ることによって、記憶機能の様々な側面に関与している特別なモジュールを同定できるのではないか、ということが考えられる。//
p156
//フロイトは彼独特の方法で、現代認知理論の多くを予見していた。彼は統一された意識的過程という考え方を受け入れようとはしなかった。彼は今世紀の早期に、様々な区分された心理システムについてすでに論じていた。
このフロイトの説の「無意識的過程」という概念を、私がここで述べる「意識的なしかし非言語的なモジュール」という考え方におきかえることによって、モジュール説としてそのまま適用できそうである。とはいえ反応傾向、つまり非言語的な心理モジュールの側における行動の決定は無意識的ではない。それはまさに意識的なことであり、そして行動を果たすことができる。その特徴の一つとしてあげられる優位半球(左脳)の言語と認知のシステムへ内的に伝達できないということに「無意識的」というレッテルをはってはならない。しかしこの一点を訂正するだけでフロイトが精神生活のために重要だとしたことのほとんどは、現代の機械論的用語でながめていくことができる。//
p157
//無意識的過程は操作的には、実験刺激が被験者に与えられるが、被験者はそれが何だか報告できない。しかしその刺激は彼らがどう反応するかに影響を及ぼすということを意味する。こけは古くからの閾値下知覚〔①サブリミナル〕の現象を科学的に扱ったものである。
これに加えて記憶の現象に関しての議論で略述しておいた自動的過程〔②〕という考えももちろんある。新しい情報が脳の中に貯えられるにつれて、自動的過程はそれがいつおこったのかに従ってその情報に目印がつけられるのを確実にする。情報に時間的前後関係を附すのは無意識的過程であるが、それは通常覚醒した意識状態のさなかでおこる。//
p159
//そして彼の右脳は、どういうわけか、左脳が正しく言えるようにすることが可能なのである。//
p159
//どのように、そしてどんなルートで右脳が左脳を賦活するのかについてはまだじゅうぶんわかっているわけでないが、しかしそれは確かであり、左脳がその過程について無意識のままにしておくことについては疑いはほとんどない。ここでも神経学的患者は全体的な個人的認知感を産出する際様々なレベルが存在することを我々に教えてくれる。//
※「神の存在」を認知する──ことを意味するのではないか?
p163
//眼球運動追跡装置//……//まず患者に気づかれることなく、その一方の目に赤外線を投射する。赤外線は裸眼には見えないが特別な検波探知器によって目の異なった部分からの反射を正確に測定することができる。異なる部分からの反射を比較することをコンピューターで行い、目の位置についての正確な、そしてどのように動いているかという記録が得られる。//
p198
//ネアンデルタール人の作る道具の質が多かれ少なかれよくなってきたのは、意思を伝えることのできる言語の存在を反映しているものではないか//
p200
//突然岩が丘をころがり落ちていくのを見、それが砕けないのに気づいた。すると直立猿人はこの石で道具を作ればもっと長持ちするだろう、と恐らく推理することであろう。//
p201
//この左脳の過程の特別な能力は、脳の言語野と一致する場所に備わっているようである。//
p213
//先史時代の記録には、事実上誰かが誰かを襲撃したという証拠は一つもない。//
p213
//しかし集団の出現とともに敵意も頻繁にみられるようになった。つまり人間が集団という多様でますます成長していく環境を自分たちのために作ると、独自の好みを持つ機会もふえていった。そして全面的な戦争がおこった。//
p215~p236
第11章 //宗教的信念の必然性//
両半球働きの違いを根拠に、宗教的モジュールの考え方が披瀝されるのかと思ったら、違った。意思の表れ、産出を、「信念」でガザニガは論理を展開している。「神を信じる」ことも信念の一つとし、信心はどのように産出されるかを説いている。ドーキンスやクリストフ・コッホとは、ずいぶん違うと思った。
p261
//我々は信ずる存在です。そして我々は我々の脳の作られ方のため、また左脳にある一定の能力のために両方〔神も〕を信じるのです。//
p248
//左脳の解釈機構の元となるシステムであるこの推理能力は、言語システム自体とは独立して存在することを明らかにしたと思います。言語は解釈機構の活動を報告しますが、解釈機構の仕事をしているのは言語ではありません。これがモジュール様式の脳のもう一つの特質です。//
p262
//通常は左脳にある特別な非言語的過程によって解釈を施される。この解釈するモジュール(「解釈機構」)が次には事象間にある原因関係について、解釈モジュールが仮定したことを左脳の言語中枢──これを「話し手」と呼ぶ──に報告する。//
p249
//人間が社会問題にどのように最善の反応をするかについては二つの主要な絶対的信念があります。//
p249
//文化に対する第一の信念は、私が「形式尊重主義者」的見解と呼ぶものです。//
※//社会的システム//p250
p250
//もう一方の見方は私が「主観尊重論者」的見解と呼ぶものです。//
※//個人的責任//p250
p250
//もちろん形式尊重主義者と主観尊重論者という二分法だけで、社会的行為を是認したり非難したりする黙した人間の信念の微妙な点を残らず語ったりあるいは捕えたりできるわけではありません。しかし、それが人間の本質についての仮説──我々の多くはどのような社会的立場をとるかを決める前にすでにある立場をとる傾向がありますが──を多かれ少なかれ明確に描き出すことに役立っていることは確かです。//
※枠組みを見直す
2025.12.9記す
