「段差で育つ」

  • 佐々木 正人
    • 東京大学教授・生態心理学
  • 朝日新聞 2004.6.21夕刊 11面 コラム「こころの風景」

[見出し] 段差で育つ

── 以下、本文(全文) ──

 このところ、あかちゃんのビデオばかり見ている。ある家庭にお願いして、誕生から2年間、毎週撮ってもらった。普通の日常、食事、着替え、遊びなどが映っている。しばらくして、床の凸凹の意味が見えてきた。
 首がすわった頃、仰向けのあかちゃんは寝返りをしようと全身をねじりはじめた。うまくいかず足で布団を何度も蹴(け)った。全身が移動し、ベビー布団からはみ出し、布団の縁と床の数センチの段差にのった。段差が「あと押し」したように、くるりと寝返った。
 はいはいは、はじめのころはゆっくりだった。部屋と部屋の間に、10センチぐらいの段差があり、尻を先にして慎重に下りていた。ある日、片手を段の下について、頭から下りた。全身がつっこんで傾斜し、はずみで一気に加速した。手足の動きが、スピードのあるはいはいのリズムを獲得した。
 引き戸のレールが床から出っ張り、はいはいでは越えられなかった。あかちゃんは、思いきった表情で、両手で戸の片端につかまり、よじ登り、立ち上がり、その姿勢のままレールをまたぎ越えた。つかまり立ちと、立ったままの横への移動がはじまった。
 床面にはいろいろな段差がある。あかちゃんはそこで大胆に「落下」や「転倒」を試みる。段差だけが与えられるこの不安定が、運動を育てている。段差は移動を妨害する。だから創造もしている。もしどこまでもただまっ平らな床の上で子どもを育てたら、運動発達は随分と難しくなるのではないだろうか。

2022.8.3記す

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