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ライアル・ワトソン『エレファントム』
+ 象はなぜ遠い記憶を語るのか
+ ELEPHANTOMS Tracking the Elephant by Lyall Watson 2009
++ 訳:福岡伸一 / 高橋紀子
+ 木楽舎 2009年

p24
//メンバーの年齢に幅があるということは、クラブの伝統が引き継がれていくということだ。10歳の新入りが入ってくると、引退を控えた13歳のメンバーが生きるための技術を教える。そうやって一貫した文化が生まれる。あるいは文化が再創造される。//

※「ストランドローパー(砂浜を歩く者)」クラブの規則
1)女子を入れてはいけない
2)メンバーは10歳から13歳までの男とする
3)メンバーの間で隠しごとをしてはいけない
4)途中でキャンプを抜けてはいけない

p24
//どんなに出来の悪い息子でも、小屋から帰ってきたときにはどこか成長していた。以前の息子とは違っていた。ある父親はそれを「遠い顔つきをしている」と言い表した。それは軍隊にいたとき、困難な任務を終えた男たちの顔に見たのと同じものだった。
 私はそうした顔つきをインドネシアで見たことがある。クジラ漁で生計を立てている男たちだった。彼らは余った肉を丘の農民と交換するために市場にやってくる。そのときに見た彼らが、まさにその顔つきをしていたのだ。それは狩猟と農耕の違いをはっきりと示していた。石器時代と鉄器時代の違いを示していた。騎士道精神と家庭精神の違いを示していた。その顔つきには、自らの力で生きているというプライドがたしかに含まれていた。でもそれだけではなかった。そこには、危険を乗り越えて生きている者だけが手にする満足感のようなものがあった。
 まだ10歳になる前の私たちから見ると、小屋から戻ってきたストランドローパーたちはとにかく口が堅かった。彼らが口にするのはただ一言「10歳になるまで待て」だった。
 待つのは地獄だ。しかし、どれほど頑張って口を割らせようとしても無駄だった。私たちはすばらしい冒険についてのわずかな噂だけを頼りに、とても長い数年間をじっと耐えなければならなかった。キャンプはきっとすばらしいものに違いなかった。なぜなら10歳から13歳までの4年間のうち、一度でも小屋に行かずに夏を過ごした者は、今までにただの一人もいなかったのだから。//
p25
//もちろん私も4回の夏を小屋で過ごした。その4ヵ月は、私の人生のなかで最高の日々だった。とくにある年の1ヵ月は、その後の私の感じ方や行動を決定的に左右するものとなった。//

p27
//人間の本質は移動の中にあると言ったパスカルは正しい。//

p30
//私たちのクラブは派閥ができるほど大きくはなかったし、けんかが起きるほど小さくもなかった。もちろん偶然なのだが、歴史的に見てもそれは狩猟採集民が生き延びるのに最適の人数だった。//

p30
//ジュリアスという少年──度のきつい丸メガネのおかげでフクロウと呼ばれていた──は道化役として重宝されていた。//

p31
//しかし、私たちがクラブで学んだ最も大きな教訓は、自由な結びつきだった。水や食べ物を得たり、安全と快適を保つためには、毎日やらなければならない仕事がある。それはメンバー全員が何らかの役割を果たせば、ちょうど無理なくまかなえる程度の仕事だった。
 一人ひとりが毎日かならず何かを引き受けた。食べ物を探す、水を引いてくる。薪を集める、見張りをする──どれも大切な役割だ。仕事のリストや割り当ては決めていなかったが、誰が何をしたとかしていないとか言い争うことはなかった。すべてのことが、どの年にも、うまくおこなわれていた。私たちはストランドローパーなのだ。自分たちの望む場所にいるために、必要なことをやるだけだ。
 そこでわかったのは、自由が必要条件であるということだった。平等や友情というような大切なものごとは、自由のあるところにおのずと生まれてくる。
 当時を振り返ってみて、よくあれほどうまくいったものだと驚いてしまう。少年といえば普通は協力よりもまず反抗するものだ。でも後から考えると、そこには私たちを正しい方向へ導く要素があったように思う。//

p33
//イノシシにも水を見つけられないような時には、朝露で喉を潤した。険しい峡谷のあたりに行き、水分を含んだ一面のコケの中に深く顔をうずめる。そして、思いきり吸い上げる。
 食べ物を捕るのも楽しかったが、岩や砂から水を手に入れるのはまったく別の意味ですばらしいことだった。水を得ることには精神的な意味あいが多く含まれていた。なにか自分の内にあるものが共鳴し、喉の渇きだけでなく、魂が癒されるようだった。なぜ怪我人や精神的に不安定になった人に水を飲ませようとするのか、その理由がわかった気がした。乾燥した地で歓迎の儀式に水が供されるのも、こうした理由があってのことに違いない。//
※熱中症の疑い?

p34
//象と水との関係は深い。//

p44
//「インドスタンの六人の盲人」//

p44
//象は存在する。これまでに知られている353種のうち2種類しか残っていない//

p47
//それは底抜けの、みごとな笑いだった。笑いすぎて立っていられないほどだった。それにつられて、私たちのほうにも笑いがこみあげてきた。とくに理由もなく、私たちは彼と一緒に声を上げて笑っていた。
 紀元前4世紀には、すでに笑いの持つ修正作用をアリストテレスが指摘していた。彼は喜劇が社会的適応を促すものであり、対立を仲裁し、不適応者を社会の中に連れもどす作用を持つと述べた。//
※カンマとの対面

p48
//ウィリアム・ハズリットは『ウィットとユーモアについて』というエッセイの中で「笑う動物は人間だけだ」と述べている。しかし動物の行動を研究したことのある人間なら、それが事実でないことはすぐにわかる。//
※このあとチンパンジーで例証している

p55
//右腕を体の前に垂らし、象の鼻のようにして、何かを探るように手を小さく動かした。左腕は曲げて手のひらを頭の横につけ、肘を柔らかくはためかせた。体をあおぐ大きな耳だ。それから少し後ずさり、体重をうまく乗せて流れるようなターンを決めると、岩の陰に消えていった。//

p74
//カンマは鳥と短い会話を交わすが、やがて間違ったことを口にして鳥は飛びたってしまう。//

p75
//カンマはこうした美しい風景を素通りしていったが、やがて一本の巨大な木の前で立ち止まった。飛び抜けて背が高く、周囲の木々を見おろして堂々とそびえ立っている。非常に大きなイエローウッドだ。高さは20階建てのビルほどもある。//

p75
//私は足もとを見下ろし、蟻の姿を探した。何でもいいから、この不思議な空気を打ち破ってほしかった。//

p78
//そのとき、私たちにも聞こえてきた。実際のところは聞こえたというより、感じたと言うほうが近い。//

p81-82
象の「静けさ」に学ぶ「無」の意味

p84
//プレアデス星団の話で始まった。//……//すばる星とも呼ばれる七つの星だ。//
p85
//次はオリオン座//……//カンマは、棒の先で砂に三つの穴を開け、あの三つの明るい星を示した。そして目に見えるような完璧さで縞のある動物の真似をしながら「!ゴレグ」と言った。三頭のシマウマのことだ。シマウマたちは新たな命を孕(はら)み、群れを求めているという。//
※ここは南アフリカ。冬ではなく夏の夜空だ!

p83
//パニックは感染する。最初に走り出したのはプーティだった。見事なフォームで腕を振り、来た道を全速力で走っていった。ブロッサムがすぐ後に続き、シダの葉にぶつかりながら走った。その音でプーティの走りに一層の拍車がかかった。残りのみんなが三番手を争い、フクロウを中心にひとかたまりとなって走り出した。
 ロックと私は最後尾で、後ろを振り返りながら少し遅れて走った。それ以外のことはよく覚えていない。でもとにかく私たちは恥も外聞もなく夢中で走り、転げるようにして森を出た。そして安全なところまで来ると、みんなその場に重なりあって倒れこんだ。//
※うまい!表現。

p85
//象はきわめて複雑な社会生活をおくっている。とりわけ雌の象は絶対に一頭では行動しない。結びつきの強い集団の中に生まれ、そこを去ることなく一生を終える。それぞれの集団は多層的なネットワークを形成する。ネットワークはさまざまに展開し、大きく見ればその地域に広く分布した象の群れすべてを含みこむものとなる。//

p86
//象どうしが出会うと必ず挨拶を交わすが、出会った相手が肉親だった場合には再会の感激もひとしおになる。//

p86
//象にとって個体は不確かなものに過ぎず、社会全体だけが確かな実体だからだ。孤立した象は、もはや象ではない。//

p86
//どちらも群れを失い、一人きりでさまよっていた。//
※やや遡って……
p85
//砂の上にこぼれた炭は束の間の光を放った。しかし全体の熱から切り離されて、すぐに輝きを失っていった。最後の光が消えてしまうと、彼は棒の先でそれに触れ、静かに「!カンマ」と呟いた。//

p90
//200~300万年前になると、私たちの祖先は別の大きな気候変化に襲われた。氷河期による長い冬の試練だ。地球上の広い地域に、雪が解ける暇もなく降り積もっていた。//

p91
//華奢(きゃしゃ)なアウストラロピテクス(猿人)//

p91
//大きくカーブした牙は長さ15フィートもあり、おそらく雪かき器の役割をしていたらしい。//

p92
//現在残っている象は2種類だけだ。アジアに住むエレファス・マキシムスと、アフリカに住むロクソドンタ・アフリカーナ。//

p102
//私たちは結局のところ、若い少年の寄せ集めにすぎなかった。みんな白人で、目隠しをつけた社会で育ってきた。南アフリカを自分たちの帝国だと思い込み、白人優位の考えを意地でも手離そうとしない社会だ。アフリカのことは好きだけれど、つねに一定の距離を置いて、それ以上近くには寄せつけないようにしていた。警戒を解いたときに何が起こるのか、それを恐れていた。
 私たちが他の人と異なっていた点は、ストランドローパーとして小屋に滞在していたことくらいだった。でもそれは大きな一歩で、世間から切り離され、否応なく自分たちや周囲のものごとを今までとは違う目で見るようになった。
 一年のうちのたった1ヵ月ではあるけれど、親による制約や彼らの持つ偏見から自由になることができた。そのおかげで、普段なら許してもらえないほど、アフリカに近づくことができた。小屋は別世界を垣間見せてくれる窓だった。//

p104
//フクロウとスターバックはうまくコオロギをみつけだす。食べるためではなく、気温を知るためだ。1分間に鳴く回数を数えて、そこから40を引いて4で割り、50を足す。すると、そのときの気温を華氏で表した数になる。//

p105
//私たちの小屋には本もなければ筆記具もなく、スケッチブックも置いていなかった。それは一つの取り決めだった。ここに来たからには、完全にこの場にいるべきだと思ったからだ。私たちは、どこか他の場所や他の時間を生きるためにここに来たのではない。
 本を読むのが好きなメンバーは、活字に飢えてくると浜に打ち上げられた欠片をあさった。何らかの文字が書いてあるものを夢中でかき集め、まるでモザイクのようにして堪能した。でもプロッサムは、それよりずっと生産的なやり方で欲求を満たしていた。
 潮が引く時間になると、プロッサムはたいてい砂浜のどこかにいた。そして濡れた砂の上に棒きれで絵を描いていた。みんな彼の絵を見にいったり邪魔したりはしなかった。でもときどき、潮が満ちかけてきてプロッサムが夕食に戻ってくると、私は彼が絵を描いていた辺りに歩いていった。そこには驚くべきものが残されていた。
 彼はほとんど棒を砂から離すことなく、流れるような絵を描きつらねていた。人物や動物、奇妙な樹木、見たこともない建築、未来の乗り物、古い蒸気機関車。あらゆる点が細部まで描きこまれた、空想の風景だった。どこにも存在しない、彼だけに見える場所だった。私はすっかり魅入られ、その場を去りがたく感じた。辺りが見えないほど暗くなるまで、あるいは波が戻ってきてその場所を飲みこんでしまうまで、私は絵を眺め続けていた。//

p116
//カンマは摩擦で火を起こす方法を教えてくれて、私たちはカンマに野球を教えた。//……//私たちは彼にあやとりを教えた。彼はあやとりが気に入ったようだった。//

p116
//私たちはカンマを真ん中にして火を囲んで座り、海のほうを見ていた。12人みんなが、無意識のうちに最後の晩餐を演じていた。//

p117
//月はかならず再生する。変化することのない絶対的な太陽とは違い、月は私たちと語らってくれる。//

p118
//野ウサギも報いを受けた。彼が間違った内容を伝えたことがわかると、月は太陽の火で真っ赤に焼いた石を野ウサギの口に押しあてた。野ウサギの口には消えることのない傷跡が残った。それ以来、野ウサギの上唇は二つに割れている。さらに月は野ウサギに宣告した。空に満月が昇るたびに、おまえは狂ったように踊らなくてはならない。//

p119
//でも何かが欠けていた。
 それは、魂だった。私たちは砂浜歩きの人々の真似をして楽しんでいただけだった。カンマがやってきて、初めてそれでは足りないことに気づいた。//

p120
//カンマは跡形もなく消えてしまった。//

p122
//私は彼がいなくなっても特に驚かなかった。この三日間のなかで初めて、空気の震えを感じなくなっていたからだ。象が近くにいることを知らせてくれる「温もり」が消えていた。あの谷で象を見たときから、私の中にはその静かな残響が残っていたのだ。でもそれは消えてしまっ。カンマも消えてしまった。//

p128
//思考と自己意識がどのようにして始まったかというテーマは、人間の独自性に関する議論の中心にある。そのなかで誰もが認めているのは、新しい大きな脳を発達させるうえで、私たちの手の構造が大きな役割を果たしているという点だ。//
p129
//彼らは手先ではなく、鼻先が器用な動物だ。//
p130
//キリンは首を長くし、象は鼻を変化させた。//

p130
//どうやってあれほど自由に鼻を曲げられるのかは、いまだに解明されていない。//……//象の鼻には、人間の手よりも便利な点がたくさんある。まず力が強く、1000ポンド以上の物でも持ち上げられる。それに細やかでもあり、直径10分の1インチしかない物を拾い上げて識別することができる。
 鼻は実にさまざまな用途に使われる。食べる、飲む、ほこりを払う、喧嘩をする、戦う、物を投げる、遊ぶ、水を吹きかける、引っかく、匂いをかぐ、鳴く、撫でる、他の象とふれあう、子象をあやす──これほど多くの表情をもつ器官は、世界中を探しても象の鼻しかない。//

p131
//象の赤ん坊の脳の大きさは、大人のたった35パーセントしかない。その後、大人の象に保護されて社会教育を受ける過程で、脳の大きさと能力が増していく。その学習期間はとても長く、どちらかと言うと私たち人間に近い。人間の場合、赤ん坊の脳の大きさは大人の29パーセント程度だ。象も人間も、発達の過程で大脳と小脳が大きくなる。記憶や意識、そしておそらくは創造性をつかさどると考えられている場所だ。
 遺伝的に言えば、象と人間は両極の存在だ。でも習性や方向性を考えると、私たちは奇妙に似通ったところを多く持っているらしい。//

p136
//19世紀の初めには、おそらく20万頭ほどの野生の象がアジアに住んでいた。しかし今では5万頭以下にまで減っている。ヘミングウェイの生きていた時代には、1000万頭のアフリカ象がサバンナを歩きまわっていた。今では、その数は50万頭にも満たない。//

p136
//象は平均しておよそ65歳まで生きる。65歳になると歯が使い物にならなくなり、飢えて死ぬ。雌の象は人間と同じく12歳頃に思春期を迎え、50歳になるまで子どもを産むことができる。妊娠期間はほぼ2年間だが、アフリカに住む象の多くは5年に1度のペースで出産する。つまり個体数の増加率は、理想的な条件のもとでも、年にせいぜい4パーセントということになる。//

p153~157
//プレトリウスに狩られた体験は象の心にトラウマを残してはいけないだろうかと私は思った。そこで監視員〔アッド国立公園〕の青年に「家族が殺されるのを見た象に何かおかしな様子はないか」と尋ねてみた。
 彼は私の顔をまじまじと見て、慎重に答えた。
 「おもしろいことを訊くね。1920年の象狩りを生き残った大人の象たちは、もう歳をとって死んでしまった。若い象たちがあんなに警戒する理由はないはずだ。
 でも、あいつらは用心しなきゃいけない時と場合を知っている。遺伝で受け継いだのか、教えられたのかわからないけれど。プレトリウス世代の孫たちまでが、そういう警戒心をちゃんと持ってるんだ。僕は、自分でもうまく飲み込めないんだけど、先月とても奇妙なものを見た」
 彼は私のことを本当に信頼していいものかどうか迷っているようだった。私は信頼して先を続けるようにと促した。そして彼は、その体験のことを話してくれた。
 「この柵は、まだすっかり完成したわけじゃない。いくつか隙間を作ってるんだ。外をうろついている象が少しいるから、そいつらが戻ってきてから埋めることになっている。
 そのとき僕は一人で、歩いて、雌象とその子どもを見張っていた。その親子は柵の外に出ていた。丈の高い草が生えている場所だった。親子は僕の風上にいて、静かに食事をしていた。そのとき、雌象が鼻を持ちあげて空気を探った。耳を大きく広げていた」
「うちの作業班がトラックに乗って柵沿いを走ってきいた。雌象はその音を聞きつけて、すぐに子どもを柵の隙間から中へ入らせようとした。そのとき、近づいてくるトラックがバックファイアを起こしたんだ。ライフルが発射されたような音がした。
 それを聞いた親子はびっくりして、一気に走り出した。母親が先に立って、大急ぎで柵の隙間に向かっていった。だけど子どもは動転したのか、入口のところで方向を間違えてしまった。気がついたときには、すぐそばにいる母親と柵で隔てられていたんだ」
「母象は立ち止まって、ケーブルの間から鼻を伸ばして子象を落ち着かせようとした。そして次の行動を考えているみたいだった。今から隙間のところまで戻っている余裕はない。トラックはもうすぐ見えそうな位置までやってきている。急いで何とかしなければいけない。
 そのとき、あることが起こった。証拠はないし、仕事仲間にもまず信じてもらえないような話だけど、でも僕はこう思っている──」
「あの雌象は、子どもに話をしたんだ。どうすればいいかを正確に伝えたんだ。子象は騒ぐのをやめて、言われたとおりにした。母親に背を向けて、柵を離れて20ヤード先にある木の陰へ向かった。そこでじっと動かずに立っていた。
 深い陰のなかで、子象の姿はほとんど見えなくなった。僕には子象のいる位置がちゃんとわかっていたのに、いったん目を離すともう見つからないほどだった。母象のほうは、柵の隙間へ走っていって外に出た。そしてトラックが現れると、激しい砂ぼこりを上げた。地面を踏みつけ、鼻を吹き鳴らし、車に向かって少し突進した。
 追い払うには十分な脅しだったよ。気合たっぷりに向かってくる雌象を前にして、トラックは慌てて引き返した。その騒ぎが最高潮に達したとき、隠れていた子象も動きだした。そっと柵のほうに近づいてきて、隙間から中にすべりこんだ。そして森の中に逃げ込んで、母親を待った」
「雌象の行動は、敵を混乱させるための作戦だったんだ。間違いない。子象がうまく逃げたのがわかると、母親はトラックとその中の人間のことなんか放っておいて後ろを向いた。そして涼しい顔で公園の中の子象のところへ歩いていった。もう拍手したいような気分だったのよ」
 象とはそういうものだ。象の行動を語ろうとすれば、どうしても人間の行動と同じ言葉を使ってしまう。象を見ていると、私たち自身の姿やその欠点が否応なく見えてくる。
 象を知るにつれて、その顔は奇妙なほどに親しみ深く感じられる。表情の微妙な変化までがわかるようになる。ときには微笑み、ときには額に皺を寄せて苛立(いらだ)ったように首を振る。とくに機嫌がいいときには、軽い足どりでふらふらと歩きまわる。
 ゲームも得意だ。架空の敵を追いかけてみたり、手の込んだ水上競技をやったりする。どう見ても自己認識がありそうな様子を、いくらでも見せてくれる。ジョイス・プール〔獣医らしい〕もそれを見て、このように述べた。
「彼らは自分のことを大きな、いくぶん滑稽な動物だと思っている。いつも私はそのことを強く感じる。……自分で楽しんだり、他のものを楽しませる行動をとっているように見える。象は道化役者であり、彼らがそれを自覚していることは一目瞭然だ」
 私たちは擬人化を恐れすぎているように思う。もちろん客観視することは大切だし、科学的だ。でも象などの動物に意識があるかもしれないと考えてみることは、それほど悪いことだろうか?
 私たちは自分の赤ん坊に対して、意識があることを想定する。そうしなければ、理解を深めるチャンスを逃がしてしまう危険があるからだ。それは動物についても同じではないだろうか。
 15歳の私は、そのような哲学的問題のことは知らなかった。でも監視員の青年の話には感じるところがあった。クリューガー国立公園の象を見てきた経験からもうなずけるものだった。そして私はアッドの群れの特別な体験に興味を持った。象が逃避反応と防御行動を見せるのは普通のことだ。
 ライオンやトラといった昔ながらの敵から身を守るために、象はみんなそうした行動を見につけている。それは生まれつき備わった性質であり、遺伝子によって親から子へと受けつがれていく。でも人間を避ける傾向は、とくにアッドの象の場合、最近になって新たに加わったものだ。遺伝よりも、個体や群れの経験に基づいたものだと言える。
 監視員の青年の話は、経験によって身につけた行動が親から子へと直接伝えられる可能性を裏付けてくれた。親象は手本を見せたり励ましたりして、子象にそうした行動を教えることができるのかもしれない。
 しかし、他にも可能性は考えられる。象のように一世代の期間が長い動物であれば、新しい有用な情報を何か別の方法で遺伝的に伝えることもできるのではないだろうか。//

p158
//夕闇のなかで幽霊のように、音ひとつ立てずに姿を現した。
 それまでは空地には何もなかったのに、気づいたときには象が一列に並んでいたのだ。首を振り、鼻を伸ばして地面を探っている。何度か立ち止まり、耳を澄ます。先頭の雌象が群れを制止し、しばらく沈黙が続き、安全を確保すると再び歩きだす。//

p175
//死体の山に腰かけて満足そうに写真を撮らせ、死んだ象たちを「大まぬけ」と呼んだ男〔プレトリウス〕を許すことはできない。//

p179
//神を恐れ、象を「大足」と呼んで恐れた。//

p180
//彼らが森の人間であることはすぐに見分けられる。背が高く、手足が長い。おそらく何世代ものあいだ森の木々によって弱められた日光しか浴びてなかったせいで、すらりとした体型になったのだろう。//
※ホウトカッペル(木樵)

p181
//ようやく作業が終わると、彼は背筋を伸ばして振り返り、私のほうを見た。その目はまさに鷲のようだった。澄んだ茶色で、鋭い眼光を湛(たた)えている。すべてを見尽くし、そしてなお好奇心を失わない目だ。その両目のあいだに、鋭く尖った鷲鼻があった。
「クロース・アレントさんですね」と私は言った。//

最古の科学 ── 動物の跡をたどる技術 ── 象も…

p199
//私は脚は独自の生命を得て、体を運んでいった。//
p200
//私の脚とクロースの老いた脚に羽が生えていた。駆けだす一瞬間に、あるものを見たからだ。//……//鼻が私たちの足もとまで伸びてきたが、雄象にできるのは熱い息を吹きかけ、吠えることだけだった。//
p201
//彼が話しだすと私たちをじっくりと見つめ、耳を広げて高く上げた。まるで言葉を完全に理解して、自分が紹介されるのを待っているかのようだった。クロースはそれに応えた。
「こいつはアフタントだ。昔、俺の弟を殺した」//

p206
//象の社会に関する最近の研究によると、一頭で行動している象は孤立しているわけではないようだ。「群れ」という概念は、私たちが思っていたほど堅固な結びつきではないらしい。孤独に見える大人の雄象でも、実際には雌と子の集団や他の雄たちと常に連絡を取り合っている。完全に孤立した象は、もはや象ではない。そこでは、本来の象らしさが失われてしまう。//

p208
//あいつの目を通して、俺は見ることを学んだ。//
p209
//それに俺はまだ16の子供で、あいつは黒人だった。//……//あいつの名は、カンマだった」//

p209
//「やはりそうか。あいつを知っているんだな」
 私は頭の中を整理してみた。私の知っているカンマは年齢がわからなかったけれど、私より年上なのは確かだった。かなり年上だ。クロースは60代の終わりだから、彼がその男に会ってから50年以上が経っていることになる。それは同じ人物だったのだろうか。
 私の会ったカンマは、クロースよりも年上だったのだろうか。私たちの小屋に来たとき、カンマは80代だった──そんなことがあり得るだろうか?
 そうだったのかもしれない。コイ族とサン族の年齢がわかりにくいのはよく知られた事実だ。若い頃からかなり歳をとるまで、中年のような外見をしている。でも私はいまひとつ納得がいかなかった。何かが欠けている気がする。//

p46 「カンマと初めて出会った場面」に遡る
//そして私たちは、そこにいるものを見た。
 音の主は岩の間にうずくまっていた。小さな茶色い生き物だった。皮膚には皺が寄っている。小さな手をひざの前に組み、前後に揺れながら悲鳴をあげ、息を切らしている。//……//悲鳴ではなく、笑い声だった。私たちのことを笑っているのだ。
 やがて笑いもおさまり、は立ち上がった。私たちよりも背が低かった。//
※以後、「彼」は、「彼」または名を知ってからは「カンマ」だった。読み直して、どこにも「少年」と表現されていない。いつのまにか、わたしは、“少年”と思い込んでしまっていた

p218
//「〔クロースは〕初めはガンマだと思っていた。ライオンという意味だ。だが吸着音を学んでみると、自分の舌の位置が正しくなかったことに気づいた。最初に”チッ”の音がついた”!カンマ”という名前だとわかった。この言葉の意味は”夢”、あるいは”夢見るもの”だ」//

p235
//ヤコブソン器官の神秘//

p242
//私は1958年に大学を卒業すると、すぐに南アフリカを離れることにした。私の身を、そして私の抱えている象の問題を、ローレンツのもとに委ねよう。そう決意した。//

p245
//私は今でも動物園というものに疑問を持っている。どれほど熱心に取り組もうとも、そして珍しい動物を飼育して繁殖させるのがどれほど大変なことであろうとも、檻の中というのは決して望ましい状態ではないからだ。
 野生は、何ものにも換えがたい。とりわけ象のような、高度に社会的で、行動的で、頭が良く退屈を嫌う動物は、とても動物園では満足できない。//

p272
//ケイティー・ペインと夫のロジャー・ペインは、バーミューダ諸島でザトウクジラの行動を研究していた。そして鯨の雄が発する求愛の歌が、すべての動物の中で最も長く変化に富んだものであることを発見した。
 そのなかには、普通の人間の耳では聞き取れないほど高い音や低い音も含まれていた。超低周波のピッチを上げ、超音波のピッチを下げることで、やっと私たちにもその複雑で洗練された水中音楽の一端が理解できるようになる。
 1984年に、ケイティーは少し方向を変えて、最も大きな陸上の動物はどのような音を使っているのだろうと考えた。そして好奇心から、オレゴン州にあるワシントンパーク動物園の象舎で一週間を過ごした。
 ケイティーは象舎の中のあらゆる音を録音した。そのとき、彼女は「空気の震え」あるいは「無音の轟き」のようなものを感じた。それは巨大なパイプオルガンの響きや、水中の大きな鯨が出す音を思わせた。//……//象舎の中は、超低周波の音に満ちていた。//

p275
//あるいは国全体を覆い尽くしている。この自然界のインターネットは、私たちの象社会に対する想定をすべて疑問に付してしまう。象の群れというのは、生態系全体の象をすべて含むのかもしれない。//

p285
//さらに驚くべきことが起こった。
 空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが再び海面に浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹き出す穴までが、はっきりと見えた。
 太母は、この鯨に会いに来ていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの100ヤードの距離で向かい合っている。そして、間違いなく意思を通じあわせている。超低周波音の声で語り合っている。//

p293 匂いと「ヤコブソン器官
//匂いの記号をうまく目的地へ届けるために、特別な梱包をするという方法もある。普通の嗅覚では感じとれない形にして、より機能が限定されたシステム──たとえばヤコブソン器官──だけで知覚できるようにするのだ。
 普通の嗅覚は、特定の意味を持たない匂いを幅広く分析している。しかしヤコブソン器官の役割は、特定の情報を本能的に識別することに限られている。性別や生殖能力、力関係などの情報だ。ヤコブソン器官はそうした情報を、前頭葉ではなく脳の後部にある辺縁系に送り込む。
 辺縁系は前頭葉よりも古い部分で、そうした基本的な事柄の処理を今でもおこなっている。そしてどうやらヤコブソン器官からの情報は、長期記憶として辺縁系にそのまま保存されているらしい。//

p294
//すべての匂いに共通する興味深い特徴は、それが瞬間的な体験だという点にある。ふつう何かを感じるときには時間や空間をともなった形で体験されるが、匂いにはそれがない。そのように自由な形式なので、他の記憶のように記号化して分類することが非常に難しい。
 おそらく人生を変えるような重要な匂いは、脳の奥深くに何か具体的な形で刻み込まれているのだろう。だから匂いと結びついた記憶は、多くの年月を経た後でも、その雰囲気を損なわずにありありと浮かびあがってくる。
 匂いは知性よりも、感情と強く結びついている。左脳よりも右脳的な感覚だ。論理よりも直感に近い。そのため、意識ではなく無意識的に知覚されることが多い。こうした性質のせいで、匂いと結びついた記憶は忘れがたいものとなる。
 私たちは多くの匂いをヤコブソン器官によって知覚し、極めて重要な原始的防衛システムに役立てている。そのおかげで多くの試行を繰り返すこともなく、回避すべき危険なものを覚えることができる。//

p299
//匂いはコミュニケーションを媒介する重要な手段だが、その語彙はかなり限られている。匂いが私たちに教えるのはぼんやりとしたシルエットや大ざっぱな概略のようなもので、あまり詳しい情報は含まれない。//

p324
//子どもたちの三人に二人は「架空の友だち」を作っている。//

p325
//サンタクロースなどは大人の作った面白みのない文化なので、誰も本当に懐かしいとは思わない。//

p325
//意外なことに、マザーグースには象の歌がひとつもない。//

2023.6.13記す

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