||||| 生活習慣病という名の功罪 |||

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 生活習慣病は日野原重明が名付けたという。明らかにしている本人の声をかつて聞いた。生活習慣病はその前、成人病であった。成人になって顕著になるということは生活習慣に関心を持たせることが予防につながるということらしい。
 塩分の摂り過ぎに始まる食生活や運動への関心は健康への常識として定着している。わたしも心がけ実践している。しかし……。

 高齢者や自宅療養者向けに配食を、週4日の実践を継続して20年になる「NPOひまわり会」の創始者Iさんが、過日 転倒して入院する災難に遭った。入院先の医師から「あなたは糖尿病です」と言い渡された。Iさんは家庭科教師でもあり家庭科教科書の執筆者であった。青天の霹靂(へきれき)を通り越して、「若い栄養士がわたしに栄養指導するのよ」と照れくささを表しながら訴えた。ヘモグロビン・エーワンシー(HbA1c)の値が6.8だから糖尿病という。「果物が好きだから、確かに食べ過ぎていたかもしれないけれど……」と心当たりを探索する。判じたのは整形外科医師。HbA1cの基準にあてはめれば糖尿病陽性判定になる。それは「生活習慣がよくない」を宣告するようなものだ。

 生活習慣病の罹患判定をBとし、病気発覚前をA、発覚後をCとする。20代を意識するようになるとB状態にならないよう食生活や運動を心がけるようになる。健診のたび、コレステロールや高脂血症の値、血圧にビクビクするようになる。国の健康指導指針がわたしたちの健康に対して主導権をとっているからだ。しかし、近藤誠ら少なからずの医師が健康指導指針に異論を唱えている。新型コロナウイルス感染症にあっては極めて政治的に操作されている。

 脳神経科学を学習し続けているわたしは、A,B,Cそれぞれの段階において、医師(専門家)の診断や指導に齟齬を感じるようになった。Bで医師がその専門性を発揮することは認めよう。医師の指導性はそのBで留まるというのがわたしが到達した理解だ。AとCは、わたしたち「個人」が判断すればよいし、わたしたち(個人)しか判断できない。Cは罹患後であるからこれをリハビリとすれば、Bの治療等は一定の処方が存在し、そのカテゴリにおいて医療行為が為される。しかし、退院や快癒してからのリハビリは患者それぞれ皆ちがうという。リハビリの成否・適否は個人それぞれでリハビリ指導のむずかしさがそこにある。

 生活習慣病(保険負担)を減らしたい国は強い指導力がある。乳幼児発達保障のために「遊び」の復権・再生を求めているわたしは、ここに施策があれば、国民の健康指導につながるとみている。しかし、B→Aと逆向きに思考していて、国民は管理されている。
 糖尿病を判定したならば、判明してからを出発点として医療行為がおこなわれ健康指導がなされればよい。「糖尿病」という病名が誤解を生んでいるという医師もいる。わたしも勉強して「血管毀損病」と改名すればと思いついた。それがわたしの理解だ。

 食生活は確かに大切だ。運動も大切だ。それは、生活習慣病としてあげられる病気予防のためだけではない。乳幼児に始まっている生活が、遊びを核とした生活が保障されれば、それでよいとわたしは思う。病気のクジをひいてしまったら、医療のお世話になるということでよい。

2023.8.11記す

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