||||| 泣く、泣かない、泣けない |||

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 子は叱られて泣く。涙を流して泣く。幼いときは、叱られた相手に向き合って泣く。やがて、横向きにあるいは背を向けて、泣くようになる。隠れて泣くようになるのは、いつの頃からだろう。別室に閉じ籠もったり、長じては、家を飛び出してしまう。叱った側は心配になったりする。
 おとなは、映画をみたり本を読んで涙することはあっても、泣くことはよほどでない限りない(涙もろくはなるが……)。

 保育研究者の守屋光雄は新生児の「なく」を「叫喚きょうかん」と表現している。新生児の「なき」には涙が伴わない。※ 乳児の、「泣く」を考える

 乳児は、言葉を話すようになると、泣いて意思を伝えるというシーンは少なくなる。つまずいて倒れても、泣かなくなる。(泣かないでおこう)という意思が働くのではなく、泣く必要がないからだ。立ち上がれない(立ち直れない)危機を感じれば「泣く」を選択をする。
 二歳、三歳にもなれば、意思を伝えるほどには言語をあやつれる。にもかかわらず、涙が先行し、泣いて救援を待つことがある。眠いとき、空腹のとき、ご機嫌が悪いときは泣くが優先するかもしれない。

 四歳児20人ほどの野外活動で沢登り(崖登り)をした。安全を確認しての実践で、落ち葉ですべっても、枯れ枝に体重をかけてしまって落下しても、多くの子らは懸命に活動する。「おもしろい!」の歓声も聞こえてくる。一方で、一人や二人、泣き叫ぶ子が出てくる。なぜ、泣くのか?
 ●こわい……多くの子は楽しんでいるが、無理なのだろうか?
 ■何をしたらよいのか、次の動作に移れない……だから、泣くしかない。
 ●■とも、「自分と向き合って」泣いている。この泣いている子を抱き上げ、落ちつくまで待つ。すると、どうなるか。
 多くの事例で、次に何をしたらよいかみつけられるようになる。自分に向き合う時間を経過することによって、次への行動(遊び)を発見するということになる。むずかしい言い方になるが、自分という主体に導かれるということである。泣かなくても、多くのが「おもしろい!」と思うのは、自分という主体を獲得していく進行形にあるからである。
 五歳児になると、この一年の成長はすさまじいものがあり、沢登りを十分に楽しむ。泣く子も出てくるが、リクツは同じで、サポートすることで遊びを継続できる。

 小学三年生だったか四年生で「泣けない」子に出会ったことがある(わたしの20代)。あるとき、友達と言い争いになった。この年齢になると、泣く場面は少なくなる。子ども同士のケンカは誰かが泣くことでおさまる。泣かないと、ケンカはいつまでも続く。ときには立場を守るためにウソが登場する。険悪な空気になり、信頼関係にキズがつく。
 相手ばかりが気になり、自分に向かない。主体である自身に思いが向かない。だから、泣くヒマがない。強がりを見せることに精一杯……。泣けばいいのに……と、わたしは思ってしまう。泣くことは、自身に気づく貴重な体験なのだ。

涙は自分のために流す、人のために流すことはない。

2023.12.15記す

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