||||| 乳幼児理解と「鏡」|||

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 この稿では詳細を避け概略とする。そもそも、専門家ではないので詳細は無理。メモの集積になるが記しておこうと思う。

 ルドルフ・シュタイナーは、七歳までは鏡を見せないようにと言っている。鏡の前に立ちそこに映る自身を見せないようにということだろうか。シュタイナーのこれについては、この記述以上のことはわからないので、この一言だけにしておく。
 鏡という物理的装置は、光学的に自身を映す。もう一人の自分がそこにいる、ということだ。投影されている被写体を「自分としてわかる」ことは二歳未満の乳児で確かめられている。本人の顔にこっそりと口紅等でシルシをつけ、その後に鏡を見せ、自身の顔を手でさわるかどうかで確かめられている。
 光学式「鏡」ではなく、いわば”こころの鏡“が新生児(生まれて30日まで)に生じている。どんなふうに映っているかは定かでないが、一体となっている母に自分が投影されている。これを「間主観性」という用語で説明される。光学式の場合は、輪郭がはっきりとしていて奥行きもある。明暗もある。子は、何を母に”見る”のだろうか。

 ミラーニューロンという学術用語がある。イタリアのジャコモ・リゾラッティら神経生理学の研究者が1996年に発見して話題になっているが、その存在が証明されたというところまでには至っていない。他者のしぐさ(何かを食べている)を見て、自身に(唾液)が出てくる。注射されているのを見て、自分も痛くなってくる。これらの学習はこうした鏡の働き(ミラーニューロン)によるのでは──ということになっている。
 幼少期の記憶で「何歳頃までを思い起こせますか?」と尋ねたら、ある成人男性はいたずら坊主だったようで、幼児のとき先生によく怒られたという。なぜ怒られるのか、わからなかったと言う。喧嘩をすることで、相手の気持ちがどうだか考えろと言われる。しかしながら、それがわからない。だから、なぜ怒られているのか、わからないままにしておかれる。相手の気持ちがわかるということは、同じことを自分がされたらどうなるかという想像力だ。他者の気持ちが察せられるようになるには四歳を待たねばならないとされる。他者理解が自身を成長させることになる。他者を「鏡」にするということでもある。

 光学式「鏡」に映る像ではないが、間主観性期に始まり、「こころの鏡」は始終見ているということでもある。「こころの鏡(他者理解)」を見ながら育つということである。
 「こころの鏡」は一生持ち続けているような気がする。これに併せて、光学式「鏡」を使うということになるのだろう。

2023.12.1記す

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