|||||「体験」を、あいまいにしない |||

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 辞書をひいてみると「体験」は、//直接自分自身が経験すること。また、その経験。//とある(新明解国語辞典第三版)
 仕事上、「体験」についてわたしは、積み木遊びのようにもう何度も積んで組み立て崩している。素材は幼児が主だが、ときには小学生であったりあかちゃんであったりする。それらから学んで一定の認識に立ち、体験を「3類」に分けている。一つめは体験が発現する過程。〈初めて/繰り返す〉の要素があり〈安定した日常〉が発現に必要な環境となる。
 二つめは体験が得られ体験が習熟するフィールド(場所)は、年齢によって異なることだ。三つめは体験のいわば消化吸収の過程。心の表れ方というもので〈やりたい/食べたい/楽しい〉の表現がわかりやすいと思う。これら3つそれぞれの詳しいことは、簡単ではないので、リンク「体験とは」を参照していただきたい。

 なにを選んでも、なにをやっても、国語辞典的には「体験」であり、履歴として「経験」になる。(経験と体験の違いはどこまでいっても紛らわしいからこだわらなくてよいだろう。)にもかかわらず、お金をかける体験と、費用について意識することのない体験とを、ランクづけ(意味づけ)してないだろうか。子どもを養育するということは、健康が何よりも優先され、次に待っているのは「体験」だ。「遊び」は原則 費用のかからない体験とわたしは捉えている。そして、「遊び」はお金をかける体験と遜色は一切無いと考える。

 およそ3歳までは養育者が面倒をみる。目を離せないし、子ども自身も養育者から離れない。
 4歳5歳になると自己主張するようになる。「○○して遊びたい」「△へ行きたい」「……」。体験は自己の欲求に従い自分自身を育てていくことにある。子どもの希望(意思)に沿うことが体験の実現につながる。
 この年齢を過ぎると体験することの喜びを知り、いわゆる「やる気」を醸造させるようになる。知性の芽生えでもある。しかしながら、養育者の保護がまだ必要なときである。
 さて、3年生9歳にもなると、体験は、課題や目標になり得る。同時に、責任感も芽生えてくる。

 このように、体験は、自己に不可欠でありながら、養育者や他者との関係が複雑に関係する。社会を知る、人間関係を学ぶということでもある。つまり、「おとな」になるということである。小学高学年、およそ5年生(10歳)にもなれば、おとなになるための体験(修練)ということになる。

2024.1.15記す

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