冒険と探検

 野外活動施設や、子どもを対象とした遊戯施設では「ぼうけん/たんけん」を施設やイベントの名称によく使用されている。親しみやすさ基準で、深く検討したわけでないだろう。それはそれでよいが、私はその延長線上で使用していない。
 前人未踏の冒険や単独行と報道で知るとき、補給が無いなど冒険の過酷を想像する。しかし、実際は多くの支援を受けて「冒険」は成立している。資金や資材確保の支援によって冒険は支えられている。冒険者がめざそうとしていることに、冒険の当事者でない多くの人が目的に賛同している。探検は、過酷・危険について冒険と差異のないこともあるが、学術探検とも称されるように、未知の分野を開拓しようという研究心でもって周到な計画が用意され実施に及ぶ。

 胎内から生まれ出ようとするとき、その出産において、母も子も冒険なのだ。産科の医師は先進国の日本においてもそのように認識し教育されている。子が誕生したとき、母の無事を同時に確かめ安堵しているはずだ。
 あかちゃんは、いのちを生ききるために五感をフルに活用している。──あかちゃんは冒険家として生まれた──と私は形容している。その冒険家は、愛という名の支援を受け、やがて探検家になる。園庭を裸足で這うあかちゃんは冒険家で、山道を歩く幼児は探検家なのだ。だから、〈おとな〉は、冒険するあかちゃんや、探検に臨む幼児を、後方からサポートしよう、と呼びかけたい。

21.1.7記す