|||||「手の労働」の機会喪失:薄れる人さし指の役割 |||

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 てのひらの親指と人さし指は直角に開ける。足の場合、親指から小指まで同じ方向を向いている。からだの外側から見られるそれぞれの部分、見えない内臓のひとつひとつの臓器は、おそらく個別の役割を担っているはずだ。とすれば、指について、手と足のその違いは何を意味しているのだろうか。

 「おはじき」は百均ショップで売られている。しかし、おはじきで遊んでいる場面に出会ったことが久しくない。売れるから売場にあるのだろうと思うが、不思議だ。ビー玉(ラムネ玉)も同様だ。両者はおそらく手芸または装飾に使われているのだろうと思う。そのおはじきは、かつて〈親指〉ではじいた。おはじき遊びはすっかり廃れたものの、敢えて2つの玉を並べて はじくように指示すると、100%〈人さし指〉を使う。親指の働きを人さし指で代用できるのだろうか。

 おはじきとは対照的にあやとり遊びは辛うじて今も続いている。かつて、あやとりの主役は親指と人さし指だった。今は、親指と〈中指〉になっている。ここでも、人さし指は使われなくなった。なぜか!

 子ども(幼児)が初めて使う、手を補助する道具は、スプーンであろうし、はさみだろう。屋外で石や棒を拾い、それをつかみ・握ってなにがしかの動作をするときは道具といえるだろう。そうした道具について、たとえば、はさみ。はさみの指穴には、どの指を入れるか。親指を片方に入れ、もう片方については、人さし指以外の指を入れる。人さし指は、指穴に入れないで、はさみの動作に対してパランスをとる働きをする。しかし、多くが、人さし指を指穴に入れてしまい、バランスをとる指が存在しない。紙切り芸人や美容師は人さし指を指穴に入れてしまっては仕事にならない。

 機会あるたび実践で確かめているが、人さし指が指穴から外れているか指穴に入っているかは、おとなの場合ほぼ半数ずつの割合だ。人さし指の活躍がなくなっている。次回はポケットの話を予定しているが、ポケットは手”全体”というおおまかなものでなく、ポケットは「指」と仲良しなのだ。「手の労働」とは、じつは「指の働き」だ。今更、おはじき遊びが復活すると思えない。あやとりは風前の灯火だ。

 開き戸や引き違い戸の開閉に困ることがあるだろうか。暮らしが便利になり、ドアの開け閉めに”コツがいる”ということがほとんどなくなった。雑巾がけは少なくなっただろうが、タオルやハンカチ、ふきんを絞ることはまだまだ残されている。電化製品・電子機器は、「押せば」動作する。そして、活躍してくれる。直角に開けられる親指と人さし指が活躍できる機会はどれほどにあるのだろうか。

 力を加えなくても動作する製品(道具)が当然とされ、いつのまにか手や指が活躍する場面が著しく減っている。袋状のものは、切り取り(開封)しやすくなっていることが当然となっている。便利なことが、人間の能力を退化させていると思えてならない。不便を「不便」と思わず、「快い不便」と思い直すことがこれからは大事ではないかと思う。
 昔遊び(伝承遊び)にこだわらない。指の機能が必要であればなんであってもかまわない。そのためであれば、便利だけを求めないようにしよう。

(参考)福岡賢正(けんせい)『たのしい不便』

2021.8.1記す

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