間主観性(かんしゅかんせい)

  • 参考文献
    1. 鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性』
      • ミネルヴァ書房 2006年
    2. M.メルロ=ポンティ『大人から見た子ども』
      • 滝浦静雄・木田元・鯨岡峻 /訳 みすず書房 2019年

間主観性とは?

以下、文献1 p12 より整理して引用する。

intersubjectivityという概念は、間主観性相互主観性共同主観性間主体性相互主体性などと、多様に訳出されていることからも分かるように、多面多肢的な──ある意味では曖昧な──概念である。

ちなみに筆者の理解では、この概念は少なくとも次の5つの次元に沿って裁断してみることができるように思われる。

  1. 二者の身体が意識することなく呼応し、そこに相互的な、相補的な関係が成立するという間身体的な関係(メルロ=ポンティ)の次元
  2. 相手の意図が分かる──こちらの意図が相手に通じるという相互意図性(トレヴァーセン)の次元
  3. 相手の情態(嬉しい、悔しい、くたびれた等の広義の情動)が分かる──こちらの情態が相手に通じるという相互情動性(スターン)の次元
  4. 相手の語ることが共感的に理解できる──こちらの話が相手に分かってもらえたと実感できるという相互理解の次元
  5. 我々に自らの主体性や主観性によって媒介されているという、相互主体性ないしは共同主観性の次元

これら5つの次元は互いに重なり合い、あるいは互いに他を規定しあっており、研究者の関心の焦点としてさしあたり区別することができるにすぎない。

ここまで 文献1 p12

 俗に言うところの〈自分さがし〉は、おとなの迷い。この世に生を受けたばかりのあかちゃんに〈わたし〉は存在しない。”生みの親”という表現は間違った観念をまき散らすのでいきなりだがこれを否定した上で、あかちゃんを抱いている多くの場合、その母が、あかちゃんと一体を為す〈わたし〉なのだ。
 母との一体から別れ、〈他者=あなた〉との違いに気づき同時に〈自己=わたし〉を認めるようになるのは、生まれてからかなり後で、3歳の誕生日を待つことになるようだ。
 ということは、この世に生を受けてから2歳満了までに育つ環境、人間関係はもとより、あらゆる環境(犬、猫、家畜、風、樹木、聞こえてくるもの、さわるもの、温かい食べ物、着せられる衣服、雨の音、日射し、……無数にあるだろう色々)が発育の基礎をなす。

以下、文献2 p194-196 より整理して引用する。

 フッサールは、他人知覚は「対の現象」のようなものだと言っていました。〈略〉 他人知覚においては、私の身体と他人の身体は対にされ、いわばその二つで一つの行為をなし遂げることになるのです。〈略〉
 幼児がまだ自己自身と他人との区別を知らない状態のときでさえ、すでに精神の発生が始まっているのだとすれば、他人知覚も理解できることになるのです。〈略〉
 幼児の経験が進歩するにつれて、幼児は、自分の身体が何といっても自分のなかに閉じこもっているものだということに気づくようになり、そしてとくに、主として鏡の助けを借りて獲得する〈自分自身の身体の視覚像〉から、人は互いに孤立し合っているものだということを学ぶようになります。〈略〉
 こうした考え方は、いろいろな傾向の現代心理学に共通のものであって、たとえばギョームとかワロン、ゲシュタルト心理学者、現象学者、精神分析学者などにも見られるところです。

  • 二つで一つの行為をなし遂げる」は「間主観性」の説明となる。
  • 「子ども──養育者」という二者の関係を考え、その繋がり(疎通性)を論じようとして導かれたのが間主観性という概念
    • ──文献1 p15
  • 発達心理学の領域では母子間相互作用という観点からの研究が増え、「行動の同期性」というような行動のことばで子どもと養育者のあいだの関係が語られていくことに、妻(※)と共々、何か釈然としないものを感じていました。その釈然としない何かとは、煎じ詰めれば心の問題を避けているということに尽きます。ここに間主観性という概念が登場してくる理由があります。
    • ──文献1 p11
    • ※妻……筆者の妻/鯨岡和子

哲学と心理学の狭間で

哲学的現象学の思弁性、つまりフッサールやメルロ=ポンティの注釈や読解ばかりにとどまって、一向に人の生き様に迫ろうとしない哲学の思弁的な立場を切り捨てようという……〈略〉

──文献1 p29

間主観性と相互主体性(主体の二面性)

文献1 p148

  1. 間主観的にわが子の気持ちが分かるのは、まずもって子どもを一個の主体として尊重し、その気持ちを受け止めようとしているからこそです。
  2. ここに、養育者側からの間主観的な把握が生まれる条件として、相互主体的な関係の問題が見えて来ます。
  3. 他方、乳児の方も、自分の思いを養育者に受け止めてもらえることを当然のこととして(基本的信頼)、自分を表現し、周囲世界に出かけたり、関わったりして、それを取り込み、自己発揮していくことになりますが(主体の一方の面)、そうしているうちに、自分が信頼を寄せているその他者も、単に自分の要求を満たしてくれるだけの人ではなく、その人の様子から、その人にもさまざまな思いがあるのだということに少しずつ気づき始めるのです(主体のもう一つの面)。この主体の二面性が形成される過程が、相互主体的な関係においてであるということ、これがいま私がもっとも強調したいところです。

2021.8.11記す

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