||||| 人生究極の目的〈幸福になる〉|||

Home > 「豊かさ」を問う

アリストテレス ニコマコス倫理学

 人のこころは常に目的がある。それは「なんのために」という問いかけでもある。下図は、勉強はなんの目的でするのか?という問いである。「大学に入る」は一例にすぎない。目的はさまざまであろう。その目的を”理由(手段)”にして応えたところ、「なんのために」とさらなる目的を問われる。これを繰り返しているのが下の図である。
 しかし、「幸福になる」という目的については理由を問われない。

NHKテキスト 100分de名著 山本芳久「アリストテレス ニコマコス倫理学」2023.10
p21
//図の「幸福になる」より上にある項目に関しては、先ほどの〔上述のように〕しつこい質問者のように、「なんで?」「なんで?」と問うことにそれなりの意味がある。しかし、「幸福になる目的は何?」と問うことに、果たして意味はあるでしょうか? 幸福になれれば、それでよいのではないか、そのためにこそ他のあらゆることを為しているのではないか。多くの人はそう考えると思います。ですから、「何のために幸福になるのか」とは問わず、「幸福になる」ことが人間の行為のすべてを支えている究極的な目的としてあるのだと考える。これが、アリストテレスの幸福論的倫理学の基本的な構造です。//

アリストテレス……前384~322
p10
//アリストテレスは古代ギリシアの哲学者です。プラトン〔ソクラテスの弟子〕の学園アカデメイアで20年ほど学んだのち、リュケイオンという自らの学園を設立しました。現在刊行されているアリストテレスの著作群は、彼がリュケイオンでの講義のために作った草稿を、後代の人たちが本としてまとめたものです。今回取り上げる『ニコマコス倫理学』も、講義の草稿を息子のニコマコスが編集したものと言われています。//

 「幸福」を「こうふく」と読むのか「しあわせ」と読むのか定かではない。どちらでもよいのだろう。
 「豊かさ」について、「豊かさ」と「幸福」を単純にイコールでは結べない。貧しくても「幸福」はあり得るだろう。だから、「豊かさ」とは何か?──ということになる。

しあわせ三要素

level of happiness
やりたい、たべたい、たのしい

+++「豊かさ」を問う 連続思考
++ 「豊かさ」は「しあわせ」の足かせ

坂本遼(1959年)『きょうも生きて』

こもりうた
小島美子『音楽からみた日本人』NHK出版 1997年
p11
//日本の民衆の歌の中でもっとも残酷な歌の系譜は子守歌で、起きて泣く子は切り刻んで川に流してしまいたいというような歌詞も珍しくない。十歳前後の幼い女の子たちが子守り奉公にやられて歌う労作歌だから、その辛さが露(あらわ)になっているのだが、これをまともに口でいわれたら、雇い主はどんなに怒ったことだろう。自分たちの境遇を悲しんでいる歌というよりも、幼い子どもたちなりの抵抗の歌ではないかと私は思う。//

「みち 道」は、だれのもの?

朝日新聞取材班『子どもと貧困』

昭和の子どもたち
「戦争の世紀」戦火の中の子どもたち
「児童の世紀」『写真と作文でつづる 昭和の子どもたち』全5巻
……
小川太郎『日本の子ども』新評論

子どもの姿と公共 ──子ども文庫の歴史に学ぶ
むさぼり読む子があふれた過去は文庫の世話人を熱心にさせたが……

2023.10.7記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.