「豊かさ」を問う 連続思考

(1)3つのキーワード

  1. 豊か
  2. 幸せ
  3. 満たされる(という心持ち)

 「豊か」と「幸せ」は一つのコインである。
 「豊か」の裏側に「幸せ」があり、「幸せ」の裏側に「豊か」がある。「満たされる」という心持ちは、「豊か」であることの証であり、「幸せ」を実感する。

 「豊か」だが「幸せ」を感じられない。「幸せ」だが「豊か」ではない。貧しくても「幸せ」だ。こうした想いや文言のあることは知っている。
 所得や金銭の話になると、私は「豊か」ではなかった。だからと言って不幸でもなかった。一方、「満たされる」という心持ちは何度も味わった。そのときは、豊かな気持ちになったし幸せでもあった。「幸せ」になるためには、豊かさを感じられなければならない。豊かさを実感できてこそ「幸せ」なのだ。──とは言え、「豊かさ」とは何だろうか。

「だまされる」ということ。

 だまされるということは損をするということだろうか。だまされるということは、幸せから遠ざかるということだろうか。だまされて(故意でなくても、あるいは類似の行為で)損をした(しまった!)と思ったり、自らの行いを反省したことは、誰にもある。高い代償を払ってしまったと思い直し自らを慰めることになる。「満たされる」とは次元が違うかもしれないが、次へのステップや糧にすることはできる。「禍を転じて福となす」の成句はこのことを言っているのだろう。求めたい「豊かさ」や「幸せ」の路線を見直すことにもなる。潮が満ちるように、このとき「満たされる」心持ちにもなる。
 「豊か」と「幸せ」を同時に求める道筋は一筋縄では行かないようだ。しばし考え続けよう。

(参考)「正しい」を疑う /// 確からしさのループ

2022.1.1記す

(2)「満たされる」という心持ち

 白と黒、もとい黒と白、どちらが好きですか? あなたの好きな色はなんですか? あなたに似合う色は何ですか?
 好きなこと、似合うことに満たされると心が落ち着くかもしれない。ということは、好みの色はさまざまでしょうから、「満たされる」心持ちは人それぞれということになる。
 つぶあんとこしあん、この好みはけっこう分かれるようだ。好みでないものを押しつけられてはたまらない。自分本位でなく他者を認める。自分と他者が、親子であっても、違いを認めあえることが「満たされる」心持ちを保ち続けられる。そうであれば、行為ではなく対象でもなく、存在しているだけで「満たされる」。
 禅僧は無心で修行に取り組む。禅のことまで語れる自分ではないけれど、「無」が「満たされる」条件になるよう修行をつむ人たちがいる(ようだ)。

 産まれたばかりの新生児はやがて母の乳を吸う。そこには「満たされる」心持ちというものはまだ生じていないのかもしれない。私は男だから母の気持ちは定かではないが、新生児に吸われる母は「満たされている」のかもしれない。
 「満たされる」という心持ちは確かにあるが、それは自身の心持ちであって他者のそれは不明だ。自覚できる心持ちが他者にもあるだろうと思っている自分でしかない。なんだか哲学的になってしまった。
 「満たされる」という心持ちは必要なことであり、他者にも、だれにもそうであって欲しい。それは、他者の存在をしっかり認め、意識するということだろう。豊かさを求めるためには大切な前提となる。

2022.1.15記す

(3)敗戦後の子どもたち『きょうも生きて』

 本を読んで人生観が変わる──ということは、ある。その体験を坂本遼『きょうも生きて』で味わった。その感想というか衝撃を《坂本遼(1959年)『きょうも生きて』》に記した。長いけれど、関心がある人には読んでいただくしかない。「貧乏」を記した文学は数え切れないほどにあるだろうが、この本の物語もそうだ。貧乏な暮らしで懸命に生きる子どもの姿がそこにある。体力や精神のその強さは今の子どもたちは到底かなわない。しかし、比較することに意味はない。(精神/心は子ども特に幼児は昔も今もおそらく古代においても変わらない。しかし体力は比較にならないほどに異なる。その体力が及ぼす心の強さというものはあるだろう) 時代が及ぼした環境が違いすぎる。小学2年生が歩けなくなった担任の先生を皆で力をあわせ、山から降ろした話は圧巻だった。敗戦後、庶民の多くは貧しかったが、今のわたしたちが失って想像すらできないことがおびただしくこの本にはある。豊かさを論じるとき、今の時間で切り取るのでなく、こうした歴史というか時間軸で考える必要がある。そして、今から10年後、30年後、百年後、千年後、悠久の時間を想像することが大切だと私は思う。

 本のタイトル『きょうも生きて』は「も」なのだ。一日一日を懸命に生きる。その決意が短い書名に表れている。本の中身を読む前から、私は覚悟を決めて読み始めたことを覚えている。そして、壮絶な貧乏物語にうちひしがれた。それも、子どもが主役だった。幸せとは何か、「豊か」は求められるものか、涙して読んだ。
 一つ、付け足す。坂本遼は灰谷健次郎の師匠の流れにいる。灰谷は「やさしさ」を文学にしているが、私はそれにくみしない。灰谷のそれとは意見を違(たが)えるが、坂本遼のやさしさは震えるほどに共感するものがある。

2022.2.1記す

(4)子どもの姿と公共 ── 子ども文庫の歴史に学ぶ

  就学前、幼児期(3歳から5歳)は「遊び」が成長のすべてと幼児教育の関係者は言う。しかし、「遊び」とは何かを問えば、現代(今)と過去、江戸期以降、近代、明治・大正はもとより、戦前と戦後ではまったく様相が違う。高橋樹一郎『子ども文庫の100年』を読めば、そのことがよくわかる。内容は今日につながる子どもを対象とした「子ども文庫活動」の系譜だが、教育だけでなく、健やかに育つことを願ったおとなたちの思想がよく書き表されている。私の書評は、長いがその一端を記しているにすぎない。「子どもの姿と公共」とタイトルをつけた理由がそこにある。
 おとなの歴史は、コロナ禍で今まさに上書きされようとしている。しかし、あかちゃんから始まる子どもを見守るおとなの歴史は、親子、家族という小さい単位になればなるほど石器時代から変わらないだろう。となれば、その小さい単位に地域社会が続く。子ども文庫はそれを象徴している。

2022.2.15記す

(5)詩:草野比佐男「村の女は眠れない」を読む

 20代、一年のうち1か月は農村にいた。人口4千人に満たない平家落人伝説が残る山村A地で。村で出会う人びとは生き生きしていた。しかし、「村の女は眠れない」に現れる村人(B地)は暗い。A地の男たちはB地と同じく季節労働者だった。村と労働先での表情は違っていた。酒造元の杜氏(とうじ)は伝統的技術職として持ち上げられたりするが、ある男はトンネル工事で指を落とした。「もう次で辞める」と決断した男もいた。都会で成功?した男のウワサは複数耳にした。A地は小中1校ずつ。隣町の高校を出て地元に残るのは10人に満たなかった。
 「村の女は眠れない」はエロスでもって生の存在を主張している。この詩に出会ったNHKドキュメンタリー番組では、女は笑いを絶やさなかった。A地でも同じだ。エロス漂う村に子どもらが群れをなしていたはずだ。子どもの映像はないが、都会を除くすべての村は同じ情景だっただろう。
 何が「豊かさ」なのか? ウクライナでは子の手をひき逃げている人たちがいる。明日の豊かさを求めることは当然だが、過去や歴史を忘れては逆戻りしてしまう。

2022.3.1記す

(6)一本の棒が、子どもを目覚めさせる。

 2歳の子どもは石をよく拾う、なぜだろう? 4歳は棒切れをほしがる、なぜだろう? 私は子どもの頃、相撲ごっこをよくした。土俵にみせるためマルを描いた。描くには棒切れがいる。捨てられたホウキの柄などは探せばすぐに見つけられた。
 昔話をもう少し。おとなは空き地でたき火をよくしていた。子どもも火遊びにつきあっていた。おとなはゴミを燃やすためだが、火に放り込むものはいくらでもあった。思えば、まちはゴミがあちらこちらに散らばっていたということだろう。
 汚いよりも綺麗ほうがよい。だから、ゴミを見つければかたづける。あたりまえのようだが、私が子どもの頃、小学校での目標は「ゴミを拾いましょう」だった。そして実際、ゴミは”ふつうに”落ちていた。
 子どもの遊び場は○○をしてはいけないと「禁止」の張り紙が目立つ一方で、「△△してもいい?」と子どもが許可を求めてくる。モノ(衣食)は足りてもココロが満たされない。

柴田敏隆 / 一本の棒が彼らの夢をふくらませた

 長文だけど、ぜひ全文に目を通して欲しい。結語の手前に──子供は死ぬもの、怪我するものという基本的認識に立って──から始まるくだりがある。
 柴田さんだからこそ書けた凄い文章だ。柴田さんと金田平さん、二人の特訓を、神奈川県丹沢の山中で、私は20代に受けた。お二人は鬼籍に入られた。自然観、子ども観、フィールド観はお二人からその基礎を学んだ。
 時流に染まることなく「豊かさとは何か」を考えたい。

2022.3.15記す

(7)食と家庭の崩壊

「食と家庭の崩壊」を表題にするとセンセーショナルになる。「食と家庭の崩壊」のページで案内している岩村暢子「も」、1960年代に「何かが起きた」としている。「も」については、いずれ「なぜ キツネに だまされなくなったのか」をテーマにして取り上げる。
 ただ、文明批評を論じるとき、上から目線になりたくない。今、子育ての渦中にいる人たちにとって遥か”昔/過去”のこと。失われたモノに意味があるとしたら、どう論じたらよいのか、私には迷いがある。船はすでに港を出発した。海図を頼りに航海しているが、その海図が間違っていると言うようなものだ。正直、ではどうしたら良いかという代替案を私は示せない。子育てに「修正は必要ない」というのが、私のモノの考え方。
 新しい知見に出会ったら、それに刺激され、自分で海図を書き直せばよいと考える。それは苦痛でなく楽しみでもある。否、楽しみに置き換えれば良いのだ。

 食に関しては、経済優先社会では個々の健康は二の次になる。1960年代はまさにそういう時代だった。その反省にたって、今は「マシ」になっているかもしれない。悲しいけれど、しんどいけれど、マシ情報は、学校で「消費者教育」として優先させて学ぶ必要のある課題と思うがあきらかに不足してい。現実は自衛しかない。自分の身は自分で守る。1960年代を境に端を発しているので学ぶしかなく、敢えてこのように警句として記すことが私の出来ることかなと思う。

2022.4.1記す

(8)大切と思われている「体験」について考える

 目覚めているあいだのすべての行為を必ずしも「体験」として意識しているわけではない。行為の最中に「体験」として意識していなくても、回想して「体験(していた)」と思うこともあるだろう。夢体験もその一つで、こちらは就寝中ということになる。自意識のすべてが体験というわけではない。
 「まねっこ」を子どもは喜ぶ。動作をまねたり発語をまねたり。しつこいと、やめてよ!と言ったりする。友達(他者)が自己の動作をまねる。他者のなかで自己をみつめることになる。つまり、他者の行為でもって、自己の体験をすることになる。無くて七癖と言うように、気づきにくいこともある自分の特徴を他者が教えてくれるというわけだ。
 前置きはここまでにして、こうした「体験」を論じたいわけではない。

 こうしたあらゆる体験を私はまず2つにわける。積極的体験と消極的体験である。積極的体験をさらに2つにわける。「感動する体験」と「繰り返す体験」である。多くの場合、「感動する体験」を「体験」と称し、この「感動する体験」を求めていると思われる。子ども(特に幼児)の場合、「感動する体験」を味わうともう1回と要求してくる。つまり、繰り返すことになる。「感動する体験」は1度きりの体験で、その学習は「繰り返す体験」に反映される。幼児は、これを無数に体験することで成長がうながされる。
 幼児期を過ぎた子どもや青年、おとなも似たような意識をもつが、体験が繰り返される可能性をおもんぱかる。この「おもんぱかる意識」が働く前の幼児期に、この2つの積極的体験を十分に経験しておくことが極めて重要だと、私は考える。「みんなちがって、みんないい」など、個性を謳う文言はそのとおりと思うが、身につけるには積極的体験が必須になる。
 豊かさを感じとるモノサシは積極的体験によって得られる。

 ところで、健康であるためにはよく眠ること。睡眠のとりかたに関心を持つ人/悩む人は多い。健康を維持するためにはよく歩くこと。健康であるためには、人さまざまな工夫があるだろう。
 眠る/歩く、はこれも体験であり、消極的体験である。「食べる」を含めて日常の”なんでもない”体験は、消極的体験であり、積極的体験は消極的体験を前提(安定)に支えられている。
 貧困課題が社会問題になっている。貧困は消極的体験の欠乏をまねく。消極的体験が乏しくなれば積極的体験は不十分にならざるを得ない。
 「体験」という言葉が上滑りしないよう、豊かさを考えるとき、消極的体験×1+積極的体験×2を1セットで捉えたい。

2022.4.15記す

(9)ある画伯の、赤ン坊のときの記憶

 司馬遼太郎『街道をゆく5〈新装版〉モンゴル紀行』(朝日文庫/朝日新聞出版 2008年)から引用する。──p234

***

 星の群れのなかから私の名を呼ぶ者があっておどろいてふりかえると、須田さんだった。
「赤ン坊のときの記憶というものを信じますか」
 と、須田さんはいった。私のはあとから教えられて記憶になったという感じじゃないんです、二歳のときです、という。
 埼玉県熊谷の在にうまれた須田さんは、まだお若かった母君に抱かれて村の祭礼に行ったという。途中、雨が降って、知りあいの家に雨宿りした。
 帰路、夜道になった。
「そのとき、抱かれて見あげていた星がこれと同じでした」
 嬰児の目に刺すように飛びこんできた星影がおどろくほど大きい感じで、嬰児の須田さんは、あの星をとってくれ、とむずかったという。その後、あれほど大きい星を見ず、結局は錯覚だったのかと思っていたが、その後、六十数年ぶりで、嬰児のころの網膜に焼きついた星が本当だったということを確認した。
「この星なんです」
「どの星ですか」
「これ、ぜんぶの星です。赤ン坊のとき、鎮守の祭礼の帰りに見た星にやっとめぐり逢えました。あれはほんとうでした」
「さっき、ぼんやりしておられたのは、それでしたか」
「それでした」
 須田さんはうなずいた。その足もとを懐中電灯で照らしてあげると、黒い靴が前へ前へと進んでいる。すこし内股であるようだった。嬰児を抱いている母君のお気持ちになって歩いておられるのかもしれない。

*** 引用おわり

 「須田さん」とは、須田剋太画伯(1906-1990)のこと。

 赤ン坊のときの記憶をおとなになっても思い出せるというのは俄に信じがたい。なぜ、あかちゃんのときの記憶がないのかは諸説いろいろあるようだが、「記憶がない」ことは共通している。一般には、4歳の頃の記憶があるかないかで、それらしいものを思い出せるのは5歳に達してからだろう。
 ただ、憶測だが、画家は自身の目で見た記憶を留められるという才能があるのかもしれない。我々に出来ないことを画家はその天分故に可能なのかもしれない。
 それにしても、何もかもすべてを記憶するのではなく、記憶したいか/したくないかの選択をするのではと思う。その選択は、自身に対する「満たされる気持ち」が作用しているのではないかと、少々我田引水になるだろうが、想像してみた。

2022.5.1記す

(10)絵本『水たまりの王子さま』

 幼児向け物語絵本(昔話を含めて)は子どもに知恵を伝えようとするものだが、その知恵の多くは、おとなになる子どもらの幸せを願ったものだろう。小学生やおとな向けの絵本形式も、知の蓄積として幸せにつながるものであろう。しかし、「幸せ」をテーマにしているのではなく、テーマにすることで絵本が創作されるものでもない。
 そういう背景で、「幸せ」をテーマにしたと思われる絵本に出会った。山崎陽子/作『水たまりの王子さま』(安井淡/絵 岩崎書店 1983年 復刊2014年 現在は品切れで図書館蔵に期待)がそれだ。
 おんぼろアパート裏、露地の水たまりに青い空が映っていた。アパートの窓から見下ろす少女がいた。水たまりが踏み荒らされたとき、「わたしの空をこわさないで」と声が降りかかった。スリの男は、おまわりに追いかけられ、水たまりに足を入れてしまったのだ。物語はここから始まる。
 少女は、なぜ水たまりの空を見つめていたのか? とんちんかんな会話が、少女と男のあいだで始まる。
 ──わたしだけのヒミツの空よ。すずめやおほしさまがこっそりあそびにくるの。木の葉のおふねは空をとぶのよ。ステキでしょう、わたしの空──
 「それにしても、どうしてそとにでないんだい。もっとデッカイ空があるのによ」
 「だって、わたし あるけないんですもの」

 少女は、唐突に……
──あなた、もしかしたら…… しあわせの王子さま、と言った。
──わたし、いつもかみさまにおねがいしていたの。しあわせの王子さまにあわせてくださいって。──
 男は、王子さまを演じてやろうと思った。しかし、”王子さま”は、追いかけてきたけいさつにつかまってしまった。
 こんな話から、どのようにして「幸せ」が展開されるのだろうか?
 理由あって外に出られなくなった少女と、根性の狭い男──の物語。「豊かさ」から程遠い二人。「満たされる」テーマは描かれるのだろうか?

──三か月もぶちこまれてた おれ、まっさきにあの露地にとんでいったが、白いかおはない。(外に出られない少女の顔は日焼けすることなく白かった) おもてへまわって、こわごわ戸をたたいてみた。── 「あなた、しあわせの王子さまですね」と声をかけたのは、少女ではなく、別の女だった。「この本をしあわせの王子さまにわたしてほしいと、あの子が いきをひきとるまえに」

 男の目に涙があった。
──”しあわせの王子”になんかなれなかった。あの子は はなしあいてがほしかっただけなのに、おれは金やものでしあわせをやろうとしたんだ。あの子にあっているとき、おれはしあわせだった。──

(完。機会あれば実物を手にしてみてください。)

2022.5.15記す

(11)フランクルに学ぶ──危機における「こころ」

 「豊か/幸せ」を考える条件として「満たされる」という心持ちがキーワードと思い連載の素材をこれまで探してきた。これに、「学ぶ」を付け足したいと思う。戦争は「幸せ」を破壊するものだ。戦争がもたらす悲劇は体験するものではなく、過去の戦争からそして現在進行形のウクライナにおける戦争などから「学ぶ」ものであり、イメージすることで克服されねばならない。イメージすることは「学ぶ」ことを意味する。

 山口和彦(脳神経科学者)『こどもの「こころと脳」を科学する』(ジャパンマシニスト社 2022年)から、以下、長い引用──//
 (以下p105)
 精神科医のヴィクトール・E・フランクルが『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房)で書いていたことがあります。彼はユダヤ人だったため、第二次大戦中ナチスの手により強制収容所に入れられていましたが、最後まで生き残ることができました。なかには収容所の生活に耐えきれず、縊死(いし)してしまう人や、無理をして壁によじ登り脱走しようとして銃殺されてしまう人などがいました。しかし、そういう状況のなかでも、人としての尊厳を守り、収容所の外にいたときと同じような習慣や態度を毎日くり返していた人は、最後まで自分を保つことができたといいます。
 そういう人間らしさを保つ「態度価値」が大事だということを、フランクルは書いています。
 (以下p170 生き延びた人がいた一方──)
 逆に生き延びることができなかった人は、「目的達成型」や「自己実現型」、「ここを出たらこういうことをしてやる」というタイプの人でした。そういうタイプの人は、精神状態を保つことが難しくなりがちです。
 そうではなく、毎日尊厳をもって生きること、平常心をもつこと、過酷であってもその運命を受けとめる態度を決めること。そういう自由が人間には残っているということに気がついて、隣人にあいさつをしたり、食べ物を分けてあげたり、無私の精神をもちつづけたりできたか。もしくは、保身の戦いのなかで人間性を忘れてしまうか。そうしたことで、解放の日まで生き延びられるかどうかが分かれてしまったそうです。
 「自分はいまなんのために生きているのか」ではなく、「いま生きているのだから、なにをしたらいいか」というふうに、生きる意味について考えを180度変えなければいけない、とフランクルは述べています。//──引用おわり
 著者山口は脳神経科学者として、セロトニンが果たした役割を指摘している。
(p170)//たいへんなストレスのなかでも、平常心をもって規則正しい日常の習慣を維持していくことが、セロトニンの分泌というかたちで、こころと体を壊さずに生きることを助けるのではないかと考えています。//

 習慣や態度(人間性)はクライシス状況下でも(でも、ではなく、だからこそ)有効だとすることに身の引き締まる思いがする。

2022.6.1記す

(12)イマジネーションが豊かさを支える

 よからぬ為政者を除けば、戦争を望む者はいない。戦争の恐ろしさ、その破壊力は、体験し得ない。想像(イメージ)することが抑止力となる。非戦の誓いは平和を堅持しようとする強い意思によって支えられるが、平時においては、勇ましい態度ではなく、隣人や家族など近親者への愛、やさしくよりそう気持ちが優先されて実現する。
 大国ロシアがウクライナに戦争をしかけた。テレビ映像やネットで”実況”が伝えられている。避難者を受け入れている国内の報道も伝えられているし、ウクライナやロシアの人々に出会っている人もいるかもしれない。戦争の見え方は変わっても、当事者意識としての戦争はイメージを超えることはない。
 イマジネーションは学ぶことで培われる。戦争の悲惨を伝え、平和を呼びかける本は多い。以下、《おはなしのピースウォーク》全6巻をご案内したい。
 → リンク先《おはなしのピースウォーク》全6巻

2022.6.15記す

(13)バッドシステム

 ある咄家(はなしか/名前を忘れてしまった)が健康を話題にしていた。笑いは健康によいとか、闘病中の人たちは好んで笑いを求めることについて、咄家も触れた。咄家が名付けたらしい「バッドシステム」がおもしろかった。人の話/世間話/ウワサあるいは朝から晩までの気分で良いことは「2」くらい。悪いことも「2」ほど。残り「6」がふつうでどうでもよいこと。その悪いことは「2」ほどなのに、そのことが気分の「8」ほどを占領して暗い気持ちになる。良いこともちゃんと「2」あるから、「2」を「8」にして気分良くすごせばよい、という話。しかし実際、悪いこと「2」に勢力がある。これがバッドシステムだ。バッドシステムで気分を占領されないよう気をつけましょうと咄家はやさしくお説教。
 気が滅入ると、なかなか抜け出せない。確かにそうだと思う。アドレナリンやノルアドレナリンという脳内ホルモンが生理的に放出される。自然現象だから興奮してしまうのはしかたない。でも、90秒が経過すると、放出されたホルモンは消失するらしい。90秒後も気がおさまらないのは、自身でひきずっているからで、生理現象は終わっている/過ぎている。興奮してくるのを我慢するのはむずかしい。耐えるに90秒は長い。もし誰かさんが怒ってしまったら、ゆるそう。ときを待とう。そして、90秒さえ過ぎれば、あとは自分次第。「2」を「8」にしない。「2」をひきずらない心がけを修得したいものだ。

2022.7.1記す

(14)優先順位

 「わたし」にとって1日24時間は限られている。じつは、「わたし」だけではなく、みんな同じだ。だのに、時間にゆとりある人と「わたし」のように時間に追いまくられている人がいる(ように思える)。不公平に思える。
 私は学生時代、夜8時以降は電話に出ないようにしていた。早いときは8時を過ぎれば眠ってよいことにしていた。そして3時を過ぎていれば、いつ起きてもよいというマイルールを実行していた。夜が明ける頃には一仕事が出来ていた。誰にも邪魔されない時間を確保したかったし、確保できていた。最優先は自身の時間確保だった。
 自分だけでなく、誰しも忙しい。アポイントをとられるとき「忙しいですか?」と訊かれることは多くある。「忙しいけれど、『忙しい』を理由に断りません。優先順位で判断しているので遠慮なく、どうぞ」と応えている。70歳代になった今ではさほど忙しくなく「いくらでも空いています。大事な用事なら合わせられます」と応えることが多くなった。面倒だと思ったら、引き受けないこともある。
 〈家事〉と〈仕事〉に優先順位をつけなくなったのも若いときから。必要な家事であれば時間を”優先して”あてている。
 養育している子どもが幼いときは、子育てが文句なしに最優先だった。
 一方、子どもは年長者やおとなに「待ってね……」と言い渡されることがしばしばだ。言われなくても仕方なく待っている様子をよく見かける。乳幼児に優先順位という発想があるのだろうか? おやつをもらうとき、「じゅんばん!」を要求し、その順番を守っている。4歳から中学生までの異年齢集団でやきいもをしたとき、焼け具合や大きさは様々だった。どうやって分けるか。彼らはジャンケンで順番を決めていた。あるとき、「ジャンケンでない方法で決めたら」と提案すると、年少からとった。順当な考えだなと思った。そして次、同じ方法で指示すると、今度は年長からとった。4歳は最後だった。(あなたたちの公平とはそういうものか!)と私は憤った。
 (じゅんばん)はおとなに決めてもらうのでなく、子ども自身が決める練習/学習が必要なのだと気づいた瞬間だった。翻(ひるがえ)って、おとなである私たちはどうか。自分を優先させながらも、仲間と協調できる時間のとりかたに心をくだきたいと思う。

2022.7.15記す

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