ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波書店 1976年
p245
//灰色の男たちにとって最大の難事業は、モモの友だちだった子どもたちを思いどおりにあやつれるようにすることでした。モモがいなくなったあとでも、子どもたちは来られるかぎりしげしげと円形劇場にあつまって来ていました。そしていつも新しい遊びを工夫します。古い木箱や段ボール箱がいくつかあれば、船に見立ててすばらしい世界旅行にのり出したり、お城や宮殿をつくったりするのに充分ことたります。みんなはあいかわらずいろいろな計画に頭をひねり、たがいにお話を聞かせあいます。要するに子どもたちは、モモがなかまにいたときとすこしも変わりなく遊んでいたのです。こうしていると、ふしぎなことに、まるでモモが事実いっしょにいるかのようなぐあいでした。//
p245
//これにたいしては、灰色の男たちも手が出せませんでした。
この子たちをモモから引きはなすために、間接的にでも影響力をふるえるようにするには、ひとつ回り道をとらなくてはなりません。この回り道として利用されたのが、おとなたちです。おとななら、子どもにあれこれと指図できる立場にあるというわけです。でももちろんぜんぶのおとなでなく、手先として利用できるおとなだけですが、それがまたざんねんなことに、たくさんいるのです。//
p246
//「放置された子どもというのは、」と、またべつの人が声をあげました。「道徳的に堕落し、非行に走るようになります。市当局は、こういう子どもが野ばなしにならないよう、対策を講ずるべきです。施設をつくって、そこで子どもたちを、社会の役に立つ有能な一員に教育するようにしなくてはいけませんね。」
またべつの人はこう主張しました。
「子どもは未来の人的資源だ。これからはジェット機とコンピュータの時代になる。こういう機械をぜんぶ使いこなせるようにするには、大量の専門技術者や専門労働者が必要ですぞ。ところがわれわれは、子どもたちをあすのこういう世界のために教育するどころか、あいもかわらず、貴重な時間のほとんどを、役にも立たない遊びに浪費させるままにしている。このようなことは、われわれの文明にとって恥辱だし、未来の人類にたいする犯罪ですぞ!」
こういう声を聞いて、時間貯蓄家たちは目のさめる思いがしました。そしてこのころにはもう大都会にはすごくたくさんの時間貯蓄家がいましたから、この人たちの説得は短時間のうちに効をそうして、市当局はおおぜいの放置された子どものためになにかする必要を、認めるにいたりました。
そこで各地区ごとに、〈子どもの家〉と呼ばれる施設が建てられました。大きな建物で、だれも面倒を見てくれ手のない子どもはぜんぶ、ここに収容されなくてはいけないことになり、親が手のあいたときに家につれて帰ります。子どもが道路や、緑地その他のところで遊ぶことは、厳禁になりました。そういうところを見つかったりすると、たちどころに近くの〈子どもの家〉に連れて行かれてしまいます。そして親は、定められた罰金を払わなければなりません。
モモの友だちとても、この新しいきまりから逃がれられませんでした。みんなはそれぞれの住む地区にしたがって、べつべつに〈子どもの家〉にほうりこまれました。こういうところでなにかじぶんで遊びを工夫することなど、もちろん許されるはずもありません。遊びをきめるのは監督のおとなで、しかも遊びときたら、なにか役に立つことをおぼえさせるためのものばかりです。こうして子どもたちは、ほかのあることを忘れてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになることと、夢見ることです。
しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
たったひとつだけでも子どもたちがまだやれたことはといえば、さわぐことでした──でもそれはもちろん、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹だちまぎれの、とげとげしいさわぎでした。
けれど灰色の男たちじしんは、どの子どものところにもすがたをあらわしませんでした。彼らが大都会に張りめぐらした網の目は、いまではいちぶのすきもなくて、破ろうにも破れない感じでした。どんなにりこうな子どもでも、この網の目をすりぬけることは不可能でした。灰色の男たちのもくろみは、みごとに成功したのです。モモが帰って来るのをむかえる準備は、すっかりととのっています。
このときいらい、円形劇場あとはだれもおとずれる人のないままに、見すてられていました。//
p279~290
//16章 ゆたかさの中の苦しみ//
p286
//「で、これからどこに行くの?」
「遊戯の授業さ。遊び方をならうんだ。」と、フランコがこたえました。
「それ、なんなの?」//
p287
//まわりはまだたくさんの子どもがいて、みんなここの門をくぐって入ってゆきます。どの子も、モモの三人の友だちと似たような服と表情です。
「きみのとこで遊んだときのほうが、ずっとたのしかったよ。」と、フランコがふいに言いました。「あのころは、じぶんたちでいろんなことを考え出したもんな。でも、それじゃなんの勉強にもならないって、言われるんだ。」//
p288
//「あたしもいっしょにつれてってくれない? いまじゃいつも、ひとりぼっちだもの。」
ところがそのとき、奇怪しごくなことが起こりました。三人はまだだれもこたえるひまもないうちに、まるでとてつもない磁力に引かれるかのように、建物の中に吸いこまれてしまったのです。そのとたんに、戸口は音を立ててしまりました。//
カシオペイアが導く『モモ』
灰色の…… に、異議ひとつ
子安美知子『「モモ」を読む』を読む
伴走者
子どもの、時間と空間の概念:秋山さと子
2023.11.6記す