||||| 子どもの、時間と空間の概念:秋山さと子 |||

Home > 砂をすくうように >「心の理論」

「空間」と「コミュニティ」
カシオペイアが導く『モモ』


秋山さと子「子どもの深層心理」
+ 『子どもの発見』光村図書 1985年 p165~191
+ 本田和子らとの共著

p169
〔子どもは〕//特になにかの”ため”ではなく、もっと無為に、無心に時を過ごしています。おとなが無心になれないのは、この目的だとか向上心があるからなので、それはもちろん、おとなが生きていく上で大切なことですが、しかし、子どもの過ごす”無時間の時間”の中からこそ、本当の意味の生きる意味や、生活や、心のやさしさや、精神の輝きがあらわれるのです。それは子どもにとって、とても大切なことのように思われます。子どもはそこで美しく、やさしい心を育て、生きることの喜びを知るのです。それなのに、最近のおとなはあまりにも子どもにかまいすぎて、自分たちの時間を、強引に子どもに押しつけすぎているような気がして、それが私には不安に思えます。
 親も先生も、なんとかして子どもたちに、積みあがることや、後に残ること、その他、時間を無駄にしないで上手に使うことなどを覚えさせようとします。でも、それはおとなが考えている合理的で物質的な時間であって、子どもたちは、もっと心の時間に生きているのです。たとえば、その時間の概念にしろ、おとなが外国語を覚える時のように、文法的に過去だとか、未来をあらわす言葉を覚えるわけではありません。それは自分と他人という関係がわかり、距離がわかり、ものごとを自分から離れて、全体的に見ることがわかり、時間と空間という概念が子どもの心に芽生えると、ある日突然、未来や過去をあらわす言葉が使えるようになるのです。それは心の成長と関係があって、ただ、勉強したからできるものではないのです。//

p175 節のタイトル//自分と他人の区別を知る//
//ところで、子どもたちはいつ頃から、どうして自分の他に他人もいることを知り、世の中のあり方を覚えて、社会的な行動がとれるようになるのでしょうか。//
p175
//いつでも誰とでもつき合える八方美人的な社交家ばかりがいいというわけではありませんが、他人の存在を知り、ものごととの距離を知って、自他の区別を知ることは、人間にとってなによりも大きな問題です。そこから、子どもは時間や空間の概念を覚え、心も考えも発達させるのです。//
p175
//そして、そこからまた敵味方の意識や、向上心や、おとなのもつ計画性も生まれます。子どもたちの時間は、だからおとなのものとは別といっても、まったくかかわりのないものではありません。子どもたちの持つ豊かな心と、その時々の充実した時間が基礎となって、おとなに成長するのです。
 子どもがおとなに成長する過程を研究する発達心理学という学問があります。これまでは何歳になると、どういうことができるとか、どの程度の言葉を知っているとかいう、知識や技術の修得の面から、子どもたちの発達の過程が考えられてきました。それで自分の子どもが大体、他の子に比べてどの程度に発達しているのか、やや早いとか遅いということはわかりますが、子どもによって、さまざまな性格や環境の変化があって、それだけでは子どもの発達、特に心の発達はわかりません。そして、心こそ、あらゆる行動のもとになるものなのです。
 しかし、たとえば、フランスの心理学者で精神分析家のラカンや、哲学者のメルロ=ポンティ、あるいはイギリスの精神科医のR・D・レインなどは、もう少し広い意味で人間そのものへの興味から、子どもの発達論を展開しています。//
p176
//ラカンは構造主義的なフロイト派とよばれている人ですが、子どもたちが、2歳から3歳ぐらいにかけて、鏡を見るように改めて自分を認識する時があり、これを鏡像段階とよんでいますが、この時に、自分という存在が、それまではただ一つの自分だけであったのに「見ている自分」と「見られている自分」の二つに分かれるというのです。それはおそらく、子どもにとって、大きな心理的危機でしょう。メロル=ポンティも、このラカンの説を使って、子どもの発達論を展開していますし、レインもまた、精神分裂病の問題の解明に、同じようなことをいっています。//

ミヒャエル・エンデ『モモ』より

p176
//子どもが他のものや、人の存在を認識するのは、もっとずっと早い時期ですし、母親とのかかわりが始まるのも、たとえばD・W・ウィニコットというイギリスの対象関係学派といわれる心理学者は、生後半年から一年くらいの間に、子どもは自分と他人を認識するといいますが、これはあくまで一方的な認識であって、相手の人格を認めた対等のかかわりではありません。子どもの自閉症の問題なども、二、三歳ぐらいで明確になってくるのであって、自閉的な子どもは、時間の概念がよくわかっていないといわれますが、子どもたちは、この年齢で、時間と空間の概念と一緒に自分と他人との距離がわかってくるし、それだけではなく、昨日も今日も明日も、実は一つの連続した時間の一部であり、他人も自分も、別ではあるけれども、大きな全体の部分であることもわかるようになるのです。こうして、子どもはおとなになる第一歩を進めるわけですが、しかし、すべてが全体の立場から、冷静に客観的に見られるようになるわけではありません。子どもたちは、「見ている自分」と「見られている自分」の間に、さまざまなファンタジーを飛ばし、その中で他人とかかわりながら成長します。//

カシオペイアが導く『モモ』
役にも立たない遊び:時間どろぼう
子安美知子『「モモ」を読む』を読む
灰色の…… に、異議ひとつ
伴走者

2023.11.8記す

© 2024 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.