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 夕陽の沈みゆくさまを見つめ、去りゆく今日を想い、来たる明日を信じる。しかしながら、夕陽のそれは8分20秒「前」の光だ。

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 ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ。有名だったから作品の存在は知っていた。秋山さと子「子どもの深層心理」(光村図書 1985年)に触発され、このほど読む機会を得た。小学5年生以上を対象とした「子どもの本」でもある。平仮名は多いけれど、「廃墟と化しました」「不承不承におみこしをあげた」「「鋲止めや溶接」「歴戦錬磨」「鉤針のように」「漆喰壁」「情状酌量の余地」「轟音」「無尽蔵」「静粛に」などの意味がわかるのだろうか。すべてに振り仮名がうたれているから読めるけれど、書くとなれば、わたしだって書けそうにないものがたくさん!
//「謹聴、謹聴! もっとくわしい説明を!」//p185 「謹聴」は辞書を引いた。
//手にとって、ためつすがめつながめてから、封を切り、中の紙きれをとり出しました。//p251 目で追っては読めず、わたしはつぶやいてみた。
 『モモ』は少年少女に人気で、その頃に読んでおとなになった人は多い。わからないところは適当に読み飛ばしていた。なんでもかでも「わかりやすい」というのは考え物だ。どこかに引っかかりがあったほうが、よい。小学5年生以上を対象とするならば、「わかりやすい」というのは棚に上げておいたほうがよい。

 秋山さと子が提起した「深層心理」に関心があり「時間と空間」について考える契機になった。
 『モモ』に登場する時間支配者マイスター・ホラはモモに「三人の名前を当てる」なぞなぞ課題を出した。その名は「未来」「過去」そして「いま」。わたしたち人間は時間を認識して空間を把握するのではない。空間を認識することで時間を把握できるようになる。陽が沈むことで夕刻を知る。
 「空間」とは、あかちゃんにとっては自身とママの関係だ。幼児で言えば、友達関係が空間になる。あるいは、遊び(空間)に夢中になることで時間認識が身につく。これを逆さの時間軸で考えると、遊びが足りないと時間の認識が甘くなる。『モモ』はそれをストーリーにしている。すごい物語だ。小学高学年で読めるとは言え、伝えられる中身は深い。こうした文学が子どもに提供されている環境がすごい。

 時間の案内役にカシオペイアの名前をもつカメが登場する。
 //「カシオペイアはね、」と、マイスター・ホラは説明しました。「すこしさきの未来を見とおせるのだ。ずっとさきまでとはいかないが、それでも半時間くらいさきのことならね。」
 「セイカクニ!」とカメの甲らに文字が出ました。
 「ごめん、ごめん。」と、マイスター・ホラは訂正しました。「きっちり半時間だ。三十分さきまでに起こることなら、確実にまえもってわかるんだよ。だからもちろん、たとえば灰色の男に出くわすかどうかも、ちゃんとわかるんだ。」//(p198 1976年版)
 カシオペイアはモモの伴走者となる。カシオペイアは甲ら(背中)に文字を光らせモモを導く。モモに寄り添うカメが愛らしい。
 カシオペイアが導く『モモ』

 そういえば、セルバンテスの『ドン・キホーテ』には、サンチョという伴走者がいた。名脇役というところだ。

カシオペイアが導く『モモ』
役にも立たない遊び:時間どろぼう
子安美知子『「モモ」を読む』を読む
灰色の…… に、異議ひとつ
子どもの、時間と空間の概念:秋山さと子

2023.11.15記す

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