ミヒャエル・エンデ様
訳者 大島かおり様
ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 『モモ』岩波書店 1976年
p178
//灰色の明りに照らされたはてしなく長いろうかや通路では//……//大きな会議室に幹部会の灰色の男たちは集まっていました。//……//小さな灰色の葉巻をすっています。//……//二列にならんだ灰色の顔が、//
p298
//やっとひとりが口をきりました。いままでとはべつの方角から聞こえてきますが、やはり声のひびきは灰色です。//
「灰色」で修飾される「男たち」「葉巻」「顔」のそれぞれではその「灰色」を窺うことができます。「声のひびきは灰色」はどんな色?と思ってしまいますが、イメージの範疇です。しかし、「灰色の明り」に限っては、明かりに「灰色の色」をイメージすることができません。「赤色の明かり」「青色の明かり」であれば舞台でのライトアップのように、赤や青のフィルターを透した光が届けられているとイメージできます。その赤や青のライトは明るくすることも暗くすることもできるでしょう。〈灰色〉とはどんな色でしょう。「男たち」「葉巻」「顔」の場合はイメージできるのです。しかしながら、「明かり」に関しては残念ながらイメージできません。
「すりガラスを通り抜けた光」「薄暗い」という表現であればイメージできます。廻り灯籠では、明るい部分、影の部分、薄暗い部分で物語が投影されます。
ということで、「灰色の明り」については、やはりイメージできません。灰色の男たち軍団は恐ろしくて不快です。
p77
//ちょうどそのとき、しゃれた型の灰色の自動車が走って来て、フージー氏の理髪店のまえで止まりました。灰色ずくめの紳士がおりて、店の中に入ってきました。そして鉛のような灰色の書類かばんを鏡のまえのテーブルにおき、かたくて丸いぼうしを洋服かけにかけ、鏡のまえのいすに腰をおろしてポケットからメモ帳を出し、小さな灰色の葉巻をくゆらしながらメモ帳をめくりはじめました。//
不気味な灰色の集まりに対して、モモの活躍に期待するところです。でも、「灰色の明り」だけは納得がゆきません。
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