|||||「こども」とは、だれか?|||

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まえがき:1/2

 「こども/おとな」を区分するとき、おとなの立場で年少者を認識するとき「こども」かどうかは、我が子と他人とでは違うだろう。我が子の場合、すっかりおとなに成長して既婚者となっても親にはいつまでも「こども」だとする一方「おとな」であることは間違いない。こうしたこととは縁を切って、自立した個の「こども/おとな」区分を考えたい。
 「区分」と言いながらも、そこはシームレス(つなぎ目がない ※1)だ。個人差もあろう。そこで、一つのアイデアを提案する。こどもからおとなになるまでの間、3回の区分(期)があると考える。


※1……シームレス。つなぎ目がない。連続していて隣接している部分との区別が明確でない。

まえがき:2/2

 小雨のなかを野外活動に向かう5歳児の集団。子どもたちは、カッパを身につけていた。「ここまでしか、とまらへん」と少女は言った。ボタンを2つ止めたところで、うす茶のあたたかいジャンパーがのぞいていた。「おかあさんがユニクロで買ってくれた」とうれしそう。それを隣で聞いていた男児が「あかあさん、ユニクロで働いている」と。子どもたちの暮らしが一気に描けた。
 ボタンが2つで止まってしまったのは、大きくなった、ということでもある。冷たい雨だが、心温まる風景だ。

 カッパの頭部分が後ろ向きに はずれていて、かぶっている帽子がぬれている。カッパの頭をひきあげてあげようかと思ったら、手をまわして、器用に自分でかぶりなおした。5歳児のすることは、もう一人前だ。

 2歳半から小学2年生までを、私は「幼児」と区分し、4歳までを「前期」、5歳からを「後期」としている。幼児後期の最年少5歳(6歳に達している子が大半だろう)に大きく成長した片鱗が見える。

年齢(学年)による発達段階

 「こども」とは、だれか?──と、ときおり憤りを伴って思うことがしばしばある。こどものために、と謳いながら、こどものためになっていない事例が多い。「子供だまし」の表現が意味することと同一でないが、似ている。ときには大切にされ、ときにはいい加減にされている。それが「こども」の位置づけだろう。
 その「こども」とは、あかちゃんから小学2年生まで、だ。焦点を絞れば、幼児後期が「こども」に相当する。

 小学5年生からは、(私は)明らかに「おとな」なのだ(としている)。小学3・4年生は、その移行期とみている。子どもが移行するのではない。おとなが見方を変える、おとなに猶予を与える移行期だ。

 こんなふうに捉えると、こども期は、あっという間で、わずかな期間でしかない。こどものために、と謳うならば、小学生の低学年や幼児に対して、社会制度はもっともっと真剣に取り組んで欲しい、と訴える。

 一言つけ加える。コロナ禍が、これだけ長期化すると、わずかな期間でしかない、しかし極めて重要でかけがえのない「こども期」をなんとかして守って欲しい。緊急事態宣言の継続か、経済か、の二者択一でなく、子どもの遊び(学び)について真剣に向き合うべきだろう。

この項 2021.3.1記す

※修正……グレーの部分
「移行期」としているが、以下 記すように「第二次主体形成期」に修正する。(2022.7.23)

第一次主体形成期

誕生~およそ2歳半ば

 母から生まれ出たそのときに始まり、およそ2歳半ばぐらいまでであろうか。親(母)子のあいだに「間主観性」で説明される主体形成の時期がある。間主観性はやがて母から離れ、母とは限らない他者(人とは限らない)とも成立する。鯨岡峻は「相互主体性」を主張し、間主観性の成立時期も個の確立として個の主体性は存在するという(※2)。およそ2歳半ばまで続いたあと、狭い意味での「こども」が出現する。乳幼児の「乳児」を含まないが、「幼児期」は第一次主体形成期終了後に現れる。これが小学2年生修了(およそ8歳)まで続く。


※2……鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性』ミネルヴァ書房 2006年 p148

第二次主体形成期

小学3年生,4年生 8~10歳の期間

 小学3年生と4年生、年齢では8歳から10歳までの期間、「おとな」への移行期として第二次主体形成期が現れる。およそ8歳までの幼児期と別れ、新たな主体形成に進む。身体的には「こども」だが、心(精神)は変容し自立の様相を高める。昆虫に喩えて申し訳ないが、終令前のさなぎまたは幼虫で、成虫/羽化への準備をしている。
 日常生活ではゼロ歳に始まり、4年生ぐらいまでが「こども」だろうか。
 第二次主体形成期の終了でもって「おとな」になる。小学5年生から「おとな」だ。日常生活の感覚では違和感があるかもしれないが、我が子は自立したいと思っているだろうし、主体的思考や行動をとるだろう。「いつからおとな?──で、遊びを考える」で「つまずきの乗り越えかた」を述べた。つまずいたときに「おとな/年長者」が手をさしのべる、ということでよいのではないか。



加古里子『伝承遊び考 4 じゃんけん遊び考』p40 小峰書店 2008年

// 江戸時代までの、日本の大人たちが生活していたのは、身分制階級社会であり、子どもはそうした大人に対して小人、小供の存在であり、明言するなら添加者、邪魔者、ガキでしかなかった。したがって子どもに関することなど、よほどのことがない限り、文書や記録から除外されるのが常であり、ましてその遊びなどは「児戯に類する」どころか「児戯そのもの」であるから無視されるのは、当然であった。しかしそんな時代でも子どもは存在し、そして間違いなく遊んでいた。//

第三次主体形成期

高校2年生,3年生(~ およそ 25 or 30歳)のあいだ

 高校2年生から3年生頃。見当外れかもしれない。年齢の幅を具体的に提案できるようなイメージが湧かない。シームレスながらも画期として認められないだろうか。人類の社会集団としての「成人」と認知される。
 脳の発達は25~30歳で最終段階に到達するという(※3)。肉体、心(精神)の発達について、やっとこさ「おとな」に到達する。


※3……山口和彦『こどもの「こころと脳」を科学する』ジャパンマシニスト社 2022年 p56

2022.7.31更新
2022.7.23記す

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