||||| 模倣(まね)そして、共感という能力 |||

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開一夫『赤ちゃんの不思議』岩波新書 2011年
p114
//チンパンジーやゴリラなどヒトに近いとされている霊長類を対象にした研究から、模倣はヒトに固有な能力であるとも言われています。//

ミラーニューロン

模倣(まね)について
p115
//模倣にはいくつかのレベルが存在すると言われています。マイケル・トマセロによれば、//
※次の3段階に分けられている
p115
1)ミミック mimic……モデル(模倣される方の人間)の行動の意図や目的とは無関係に、模倣する側が同じ動作を行う。新生児模倣が相当する。
2)エミュレーション emulation……モデルの行動の意図や目的をまねる。それらを達成するための「動作」が同じかどうかは問わない。チンパンジーはエミュレーションまでは行う。
3)イミテーション imitation……意図も目的も動作も、同じ模倣。
//ヒトにしか存在しない能力であると議論されています。//

もうひとつの模倣
p116
//日常的な会話は、どちらかがずっと「話し手」でもう一方がずっとそれを聞いている「聞き手」というような一方向的なものでなく、話し手と聞き手はダイナミックに交代します。//
※話し手も聞き手も会話の内容だけでなく、互いの表情や手ぶりなどの動作をも見ている。
p116
//模倣にはもう一つの機能、即ちノンバーバルなコミュニケーション手段としての機能が存在します。//
※おとな同士に限らず、おとなと新生児のあいだで生じる”コミュニケーション”という模倣の陰ではノンバーバルコミュニケーションが成立している。
p117
//大人(母親や父親)は、模倣されていることを特に「意識」// していないということだ。
p118
//新生児模倣は、その名の通り、生後3ヵ月以降になると(新生児でなくなると)消失すると言われています。しかしこの時期の赤ちゃんは、「クーイング」と呼ばれる音声を発するようになります。大人は赤ちゃんのクーイングに反応して音声を返し、それに応じて赤ちゃんもクーイングを繰り返します。仮説の域を脱しませんが、こうした(原初的)音声コミュニケーションの出現が、新生児模倣の消失を促しているのかもしれません。//

模倣から共感へ
p119
//ライブのお母さんとそうでないお母さんを見分けられるという2ヵ月ごろの赤ちゃんは、他者の喜怒哀楽にともなう表情を区別できるのでしょうか。//
(参考)坂道を転がって……
p119
//これまでのところ、7ヵ月以前の赤ちゃんは、新たな表情に脱馴化しない研究が多数を占めています。
 ただし、新生児であっても喜怒哀楽の表情に呼応した行動を示すことが知られています。//
※ということは──表情を読みとれないということは確かなようだ。にもかかわらず、「表情に呼応した行動を示す」とは、どういうことか?

p120
//1982年に新生児を対象に行われた実験では、「舌だし」や「口開け」ではなく、笑顔や悲しい顔といった「表情」を呈示して、赤ちゃんが「同じ」表情を示すかどうかが調べられました。実験の結果は、メルゾフらの結果と同じく、モデルが示した表情と同じ表情を示しました。新生児でも「表情の模倣」ができるのです。//
※「表情に呼応した行動を示す」=模倣が見られるという。これを解明するために、以下「共感」が導かれることになる。

p121
//共感は、模倣と同様に他者の存在が前提となっています。この点では、模倣と共感は似ています。しかし、(高次の)模倣は、真似しようと思えば真似できるのに対して、共感の場合は、共感しようとしてもできない場合もあります。共感の本質的な部分は、自動的かつ潜在的な認知機能であり、目を開けると「見えてしまう」のと同様に対峙している人の感情状態を「感じてしまう」ことなのだと私は思います。つまり、不可避的であり自分自身の意志でコントロールできないものです。私は、この共感こそが、社会を構成する上で最も基本的であり、コミュニケーションにおける最も重要な機能の一つであると考えます。//

p123
//私たち大人は自分自身のとるべき行動を決めあぐねているときに、周りにいる他者の表情を見て、それに応じて行動を決定することがあります。こうしたことは、「社会的参照」と呼ばれ、人間の赤ちゃんでは1歳前後で他者(大人)の表情に基づいて、新奇な場面での行動を決定できるようになります。//
→参照《「段差で育つ」


橘玲『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』幻冬舎文庫
p236 小見出し //相手の気持ちを理解する能力//
//共感はネズミやサルなど社会性の動物に広く見られるが、じつは社会をつくるうえでヒトにしかない(とされている)能力がある。それが「メンタライジング」で「こころの理論」とも呼ばれる。共感が「相手の気持ちを感じること」だとすれば、メンタライジングは、「相手のこころを理解すること」だ。──これを「情動的共感」と「認知的共感」と区別することもある。
 共感とメンタライジングは脳の異なる機能だが、しばしばいっしょくたにされて議論が混乱する原因になっているので、ここですこし詳しく説明しておこう。//
※このあとサリー&アン課題が紹介される。
p237
//これが「メンタライジング」で、相手と自分の気持ちを重ね合わせる「共感」とは異なる。乳児は泣いている隣の乳児をなぐさめようと共感するが、その子の気持ち(なぜ泣いているのか)を理解しているわけではない。
 メンタライジングは社会生活を送るのに必須の能力だが、他の認知課題にはなんの問題もないにもかかわらず、他者のこころの状態を類推するのが困難なひとたちがいる。これが自閉症で、イギリスの発達心理学者サイモン・バロン=コーエンは、自閉症者はメンタライジングの能力が欠けているとして、これを「マインド・ブラインドネス」と名づけた。//
p238
//目の見えない子どもに、「お母さんに自動車を見せて」というと、右手にもった自動車のオモチャを高く上げる。これは「見る」ということがどういう感覚なのかわからないとしても、「見る」ことがなにを意味しているのかを生得的に知っているからだ。だが自閉症の子どもは、視覚になんの問題もなくても、この課題に正しく対処できない。//

「図10」は p238

感動は共有できない、共感はできる



明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p185
//つまり、新生児模倣とその後出現する模倣とは、別のメカニズムによって成り立っている、という解釈だ。そしておそらく、ヒトだけが特異的に後者の模倣能力を発達させることにより、ヒト独自の心のはたらきが実現していく、と私自身は考えている。//
明和政子『なぜ「まね」をするのか 霊長類から人類を読み解く』(河出書房新社 2004年)で詳細を確認したい。



ジェインズ『神々の沈黙』紀伊國屋書店 2005年
p57
//他人の行動からその動機を推察するときのことを考えてみてほしい。これらは明らかに神経系による「自動推論」の賜物で、意識はそこに不要であるばかりでなく、//

2024.9.6Rewrite
2022.12.13記す

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