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他者の発見が、自己を確かにする

 「他者/自己」という言葉、「友達/自分」でも同じ意味になる。前者のような堅い言葉をつかわなくてもよいが、心理学は19世紀起原の学問で、それ以前は哲学だった名残ともいえる。

 砂場でおもちゃを取り合いするふたり。あっさりゆずる子もいれば砂を投げてしまう子もいる。「自己/自分」中心にみえる風景だ。もう少し年長になって、散歩のとき、並んで歩こうとする子がいると思えば、よそ見に夢中になってしまう子もいる。「他者/友達」を意識できる子・まだ意識できない子が混じる。

 脳に損傷を受けることで脳の機能が明らかになることがある。失われているにもかかわらず、その腕を動かそうという意思が働く。健常であれば想像することすら困難だ。自分を自分とわかるのは脳の右半球とする実証が多くある。右半球の前部と側頭部を損傷すると、鏡に映る自分を他人と思ってしまう例がある。
 視覚障碍者は点字本を左から右へ一気になぞる。点字の一つは6点で構成されているが、その一つ一つ、一字一字を読むのでなく、ピアノ鍵盤を左右に指を動かせば流れるような音がするように、点字本を読む。目視で読む能力を実現させる「脳の部分」が、視覚障碍者の場合、指の触覚を読む。このことは先天性の視覚障碍者に通用する話で中途失明者は点字を読むのに苦労するそうだ。

 自分を自分と認識するのは右脳説が有力だが、まだ探究は続いている。右脳を主としながら、左脳の役割もあるのではないか、ということだ。0歳、1歳では鏡に映る自分を認識しない。このことは、自分を認識する脳の働きはまだ発達途上ということになる。そこで「間主観性」が登場する。この言葉は、哲学者メルロ=ポンティ(フランス 1908-1961)が発想したもので、彼は「間身体性」という言葉も発想している。心も体も、母と一心同体ということだろう。ベビーシュマが母の本能をくすぐり、間主観性(と間身体性)という大切な発達保障が担保される。成長して3歳の誕生日頃、脳の局在箇所に自己認識する機能が備わるようになる。

 「他者/自己」は、これより後れる。1980年代以降に「心の理論」という考え方が始まり、古代心理学者に別れを告げ、自己が思うことをどうして他者がわかるのか、一方その反対、他者の気持ちがなぜ自分にわかるのか、そうした研究が本格的に進んだ。結果、他者の気持ちがわかるようになるのは4歳からで、3歳まではことごとく失敗するという。画期は極めて鮮明のようだ。自己があって他者があるという積木を積むような思考でなく、他者の存在が自己を確かにする、ということだ。こうした「人間らしい」尊いことが4歳までの幼い心に生じる。

 脳に損傷を受けることで脳の機能が破壊されるように、自己認識が脳によるものだということは、これに失敗することの恐ろしさを想起せざるを得ない。子どもの発達保障は、家庭の子育てという個人的なことでは役割が重すぎる。保育士にそれを求めても厳しいだろう。子育ては社会の責任である、という根拠になるだろう。福祉や教育が、幼い子どもの育ちに貢献するものであって欲しいと強く願う。

〈 心を読む 〉能力 ……「心の理論」とは?(1)

《「心」の理論》ではない。《「心の理論」である。》

 「心の理論」を学ぶと、3歳までは表れないが4歳になると表れるという表現がある。注意深く読むと、4歳になって初めて出現するということだ。個人差があり、出現頻度で目立つという程度だ。ということは、4歳児クラスではそこに到達しない子が少なからず含まれる。
 福岡伸一は、『動的平衡』(木楽舎 2009年)で「人間の子供は七歳くらいまでに」としている。他者の理解は7歳になっておよそ揃うということである。7歳は小学2年生に相当する。小学校に入学しても他人の心がわからない、自分の行いが友達に迷惑をかけているかもしれないことに理解できない子が、これも少なからず含まれるということだ。

福岡伸一『動的平衡』(木楽舎 2009年)p243
//7歳くらいまでに「他人にも自分と同じ心がある。しかし他人はそこに自分とは違う考え方をもっている」ということが理解できるようになる。これが「心の理論」である。//

4歳に始まり7歳までに 他者の気持ちがわかる

クリスチャン・キーザーズ『共感脳 ミラーニューロンの発見と人間本性理解の転換』麗澤大学出版会 2016年
p10
//ほとんどの子どもは、7歳までに他者の感情を言い当てる能力を十分に発達させています//

他者先んじて自己生ず……わたしの創作成句 2020.12.21

岩波書店「科学」Vol.87 No.1 2017年1月号
+ 連載:ちびっこチンパンジと仲間たち「第181回 他者の心を読む類人猿」
+ 京都大学野生動物研究センター:狩野文浩・平田聡
//他者の心を読む能力は、社会生活においてもっとも重要な能力のひとつである。他者が何を考えているか、どのような気持ちでいるのかを察することで、協調したり、無用の衝突を避けたり、逆に出し抜いたりできる。他者の心を読む能力を、心理学では「心の理論」と呼ぶ。他者の心についての「理論」を構築する能力、という意味である。//

〈 心を読む 〉能力 ……「心の理論」とは?(2)

子安増生『心の理論』
p129
//発達心理学は、人の心の発生と成長を考える学問と言える。しかし、名実ともにそう言えるようになったのは、「心の理論」研究が登場した1980年代以降のことであるかもしれない。//
p129
//「心の理論」以前は、子どもの「行動」の発生と成長の研究が中心であった。しかし、「心の理論」以後は、子どもが人の心を理解する「心」をどのように発達させるかという問題にも焦点があてられるようになったのである。
 「心の理論」は、動物の「心」、人間の「心」、機械の「心」の三者をつなぐ重要なキーワードである。この三つの「心」を考えることによって、ミスティック(神秘的な)心の問題を科学の対象として論ずることが可能になったのである。//
p118
//人間は、集団生活を行なうことによって身体的な弱さを補い、一人前になるまで他者からの援助を受けなければならない。集団生活を営むためには、他者の心の理解が必要であり、それが人間の適応能力の一つとして遺伝的に組み込まれていると考えられるのである。//

ジュリア・ポール・キーナン(他*)
『うぬぼれる脳』NHKブックス 2006年
副題:「鏡のなかの顔」と自己意識
山下篤子/訳
(他*)ゴードン・ギャラップ・ジュニア ディーン・フォーク
p6
//心の理論とは、他人もまた自分と同じような考えをもっているということを理解できる能力//
//自伝的な記憶を再生する能力を、あるいは他者に共感する能力や他者を欺く能力//
//「人の心を読む」、ないしは人の考えを理解する能力のかなめはセルフ・アウェアネス〔自己覚知=自己に対する気づき〕ではないか//
//〔右半球は〕セルフ・アウェアネスや自己認識の鍵を握っているのではないか//
p7
//セルフ・アウェアネスや心の理論がいかに重大なものであるかは、日々の生活のなかでも、おおいに感じられる。//
//罪悪感、恥、プライド、嫉(ねた)みといった感情も自己感〔sense of self〕から派生しており、それらに必要な心的スキルのみなもとはセルフ・アウェアネスの能力である。//

ウタ・フリス『新版 自閉症の謎を解き明かす』東京書籍 2009年
p323 ヨーゼフ・ペルナーとビルギット・ラングは、……
//心の状態への意識的な気づきは、健常の4歳児に自己統制力が出現する必要条件になるとの興味ある可能性に注目しています。そして自分自身の心を理解するのは、自己統制力をいかに発揮するかへの洞察を深めるという、説得力ある示唆を行っています。//

J・W・アスティントン『子供はどのように心を発見するか』新曜社 1995年
p137
//1歳では無理だが、1歳半から2歳児は、他人の心的状態にいくらか気づいている//
※(参考)岡本夏木:自分認識は、一歳半ばから二歳

自己と他者

自閉症スペクトラム障碍は誤信念課題に失敗する
他者の発見、他者との出会い
鏡のなかの「わたし」
自閉症スペクトラム障碍の子ども

子どもの、時間と空間の概念:秋山さと子

幼児は「いのち」に気づくか?
坂道を転がって……
模倣(まね)そして共感という能力
目線の高さに……と、言うけれど
まわりみちで子どもの心が育つ

「心の理論」のはじまり

子安増生『心の理論』p11
(1)//1978年に、アメリカの動物心理学者ディヴッド・プリマックとガイ・ウッドラフは、「チンパンジーは心の理論を持つか」という論文の中で、//……//「心の理論」という考え方で解釈することを提唱した。// ことが嚆矢。
同p28
(2)//オーストリア出身の心理学者ジョゼフ・パーナーとハインツ・ヴィーマーが1983年に書いた論文//……//「誤った信念」課題を用いて、物語の登場人物の誤解を理解することが3歳児には困難だが、4~6歳の間に理解が進むことを明らかにした。//
(3)//イギリスのウタ・フリス、アラン・レスリー、サイモン・バロン=コーエンの三人が1985年に書いた「自閉症児は〈心の理論〉を持つか」という論文//……//これは、バロン=コーエンの博士論文をまとめたものであるが、//……//その後バロン=コーエンは、「心の理論」の成立に必要なプロセスをまとめ、1995年に『マインドブラインドネス』を書いた。//……//バロン=コーエンとその共同研究者による10年間にわたる自閉症児の「心の理論」研究の成果をまとめたものであり、「心の理論」の基本的文献のひとつとして大変重要である。//
同p31
(3-2)//この三人が連名で発表したバロン=コーエンの学位論文が「心の理論」説による自閉症研究の出発点てなった。//

マシュー・リーバーマン『21世紀の脳科学』p109
//心理学者の言葉を借りれば、「自分以外の人間も考えを持ち、他者がその考えに基づいて行動する」という現象を理解できる能力を、「心の理論」を持つと言う。そしてその能力を用いて他者の心の状態を読み取り、相手の行動を理解したり、予測したりする姿勢を「メンタライジング」と呼ぶ。自分と他者の考えをうまく調整し、協力し合って共通の目標を達成できるのも、私たち人間が心の理論を持ち、他者の心の状態を読み取れるおかげなのである。//
p110
//この30年というもの、心の理論の研究者は次のふたつの問いに取り組んできた。すなわち、「誰が心の理論を持ち」、「どの時点で発達するのか?」。//

「心を読む」ための4つのシステム

子安増生『心の理論』p31
//バロン=コーエンは『マインドブラインドネス』の中で、図〔下〕に示すような4つの機構からなる「心を読むシステム」を提唱した。//

1. 意図検出器:動く物に感ずる心

2. 視線方向検出器:見つめあう心

参考書
山口真美(2013年)『赤ちゃんは顔をよむ』角川ソフィア文庫

3. 共有注意の機構:分かちあう心 ※指さし ほか

 あかちゃんがママに抱かれている。かわいいなあと思い、私も抱きたいと思って手を差し出すが、そう簡単にはこちらに来ない。イヤイヤとそっぽを向かれるだけだ。諦めて、ママと親しく話していると……あかちゃんは私をみつめてくる。私もチラチラとあかちゃんに目線を送る。なんだか距離が縮まったみたい。そして、再度、手を差し出してみる。体重を傾け、いとも簡単に抱けるではないか。……そう思うも束の間、あかちゃんはママを求め、もどってしまう。あかちゃんはママの視線を共有し、「ママの友達に」安心するのだろうか。

J・W・アスティントン『子供はどのように心を発見するか』
p53 上述に対する参考記事
//赤ん坊は、見知らぬ人やおもちゃに出くわしたときにも、母親の顔を確かめる。もし母親が敵意をもったり怖がっているように見えたら、赤ん坊は引き下がる。しかし友好的なようすやうれしそうに見えたら、勇気づけられて、その人やおもちゃに近寄って行く〔これを「社会的参照」という〕。このように、子供は、母親の情動的な反応に気づいている。あるいは少なくとも、母親の顔の表情しだいで、外界の物にちがうように反応する能力がある、ということが分かる。//

子安増生『心の理論』p80
//健常児の場合は生後10か月~14か月ころからできはじめるが、自閉症児の場合には発達が著しく遅れる。// ※以下、3つについて。
//(1)視線の追従……人の視線の動きを追いかけることができる。//
//(2)宣言的指さし……人の注意を引きつけるための指さしの理解と産出が可能になる。//
//(3)物の提示……物を他の人に見えるように示すことができる。//

4. 心の理論の機構:心を読む心

ウタ・フリス『新版 自閉症の謎を解き明かす』

p151
//画家が描いたのはトランプゲームのいかさま場面だと判るのです。//
//通常の大人なら誰もがもっていて、さまざまに使いこなしているある強力な心の仕組みに基づきます。//
//その働きが、心の理論なのです。//

ウタ・フリス『新版 自閉症の謎を解き明かす』扉ページ
ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール 17世紀

p151
//外的な事物の世界の状態と、内的な心の世界の状態の相互の関わりあいを予測する// 能力
//私〔ウタ・フリス〕はこれを「心理化 メンタライジング」の能力と呼びたいと思います。//

p154
//「心理化」とは、通常ならば子どもにも大人にもごく当たり前のことでしかないのですが、自閉的障害の人たちにはそれが何とも不思議なことなのです。//

p156
//「心の理論」という少し煩雑で誤解もしやすい言葉の代わりに、私はよく「心理化」という造語を用います。この言葉もまた誤解を受けることがありますが、少なくとも意識的に考えた理論という誤ったニュアンスを伝えることはありません。心理化とは一つの動詞であり、自動的に完全に無意識のレベルで働くある活動を表します。それは、私たちが他者の心の状態を読みとって、それによって他者の行動を予測するときに行っていることです。//

p180
//脳には他者の心の世界の情報処理を進める生得的なメカニズムがあるという見方を私は打ち出してきましたが、ここで述べてきた研究はその考え方を裏づけます。ほかの人にも心があり、心の世界は物の世界とは異なると私たちが直観的に感じるのは、結局のところ、一つの本能のなせる技なのです。これは、他人の心への社会的な洞察は、何年もの学習を積み上げた果ての成果で、意識的な思考を必要とするという見方とは対極にあるものです。自閉症のケースだけは、その本能がおそらく欠如するため、逆にこの見方が当てはまるのです。現実の生活でも、絵画を見たり、映画を見たり、小説を読んだりするときでも、この心理化の働きは何の苦もなく否応なく生じてきます。これこそ、人間の頭脳システムが生まれつき備えたその真骨頂です。人間が社会に適応していくには、そうしたシステムを必要とするのです。//
学習を積み上げた果ての成果……「体験」のこと、といってよいだろう。

「心の理論」以前の「心」

 「我思う、ゆえに我あり。」これは、西洋のデカルト(1596~1650)が言ったこと。これが何を意味するのか? デカルトさんは、何を言おうとしているのか?
 「我」と言われるけれど、”我の心”まではわかりません。わかるのは、自分の心とからだしか……。

 幼い子が泣いていたら「どうしたの?」と尋ねることもできよう。見知らぬ他人だけど、乙女が泣いていたら気になる。気になるけれど「どうしたの?」と尋ねるには躊躇する。

 誕生してすぐにあかちゃんは、自分に向けられた笑顔を即座に受けいれ、自分からも笑えるようになる。こうしたことは、なぜか?
 メルロ=ポンティ(1908~1961 フランスの哲学者)も不思議に思った。
 このことを「幼児の対人関係」に著している。「心の理論」の研究が始まったのは1980年代ということだが、それより以前のことだ。

M.メルロ=ポンティ『大人から見た子ども』みすず書房 2019年
+ 滝浦静雄・木田元・鯨岡峻 /訳
「凡例」より
//本書は、1949年から1951年にかけてメルロ=ポンティがソルボンヌ大学の児童心理学と教育学の講座でおこなった一連の要録、およびそれに関連するテクストを合わせて一書としたものである。//

目次
心理学的に見た幼児の言語の発達
大人から見た子ども
幼児の対人関係
表現と幼児のデッサン

① 以下、「幼児の対人関係」より

p186
//古典心理学では、私の身体は私に、あなたの身体はあなたに、体感によって把握され、認識されるというわけです。//

 「体感」とは自分で感じることのできる感覚。自分のは当然ながら”わかる”が、他人(ひと)のことは推しはかれても所詮わからない、ということだろう。

p187
//あなた方は、私がどんなふうに自分の身体を感じているかを、思い浮かべることはできません。また私も、あなた方があなた方自身の身体をどう感じているかを、思い浮かべることはできません。//

 ①と同じことを言っている。古典心理学の時代はそうかもしれないけれど、現代の私たちは、相手を気遣って「しんどそう」と思ったり、映画を一緒にみて、細かいことは別にしても感動したことは同じかもしれないと思ったりする。

p187
//〈他人経験〉という問題は、そこではいわば4つの項をもった一つの系として立てられています。第一に私、つまり私の「心理作用」があり、次に私が触覚や体感によって抱く私の身体像、つまりわれわれが簡単に〈私自身の身体の内受容的イメージ〉と呼んでいるものがあり、第三の項として、私に見えているような他人の身体、つまりわれわれが〈視覚的身体〉と呼ぶものがあります。最後に、これははなはだ蓋然的なものですが、第四の項として、わたしがまさに再構成したり推測したりしなければならぬもの、つまり他人がその視覚的身体によって私に示してくれる諸現象を通して、私が仮定したり想像したりする限りでの〈他人の「心理作用」なるもの〉、いいかえれば他人が自分自身の存在について感じている〈彼自身の感情〉というものがあるわけです。//

 哲学をする人たちは、このように考える、のだと思うしかない。

④ ところが、メルロ=ポンティは、おもしろい。

p190
//幼児が笑いかけられたから笑う、というようなことです。私がさっき仮定した〔古典心理学の〕原理からいえば、私は、他人の笑顔についてもっている視覚像を、運動の言葉に翻訳しなければなりません。幼児も、他人の笑顔と呼ばれている視覚的表現を再生するように、自分の顔の筋肉を動かさなければなりません。だが、どんなふうにして幼児がそれをするというのでしょうか。//……//そうしたいくつかの古典的偏見を放棄するならば、その問題は解決に近づきます。//

 続けて……

p190
//「心理作用」は、きっちり自己自身に閉じこもって、「他人」はいっさい入りこめないといった一連の「意識の諸状態」ではありません。私の意識はまず世界に向かい、物に向かっており、それは何よりも〈世界に対する態度〉です。〈他人意識〉というものもまた、何にもまして、世界に対する一つの行動の仕方です。そうであってこそはじめて私は、他人の動作や彼の世界の扱い方のうちに、〈他人〉というものを見出すことができるわけでしょう。//

 現代の私たちが常日頃、特に意識することなく実行していることと同じ。

むすび、として

 〈他人〉の心をどのように捉えていたのか。「古典心理学」というものがあったとして、そこでは、《私は私、あなたはあなた》という壁があったようだ。メルロ=ポンティが言うように〈あかちゃん〉の場合、そこに模倣があり、古典心理学的な手続きによるものでないと、きっぱり否定している。
 《私は私、あなたはあなた》という口上は現代の今でも使われている。それは他者に立ち入らない、干渉しないという意味で、気持ちが通じ合わないということではない。〈あかちゃん〉の場合は、過去も現在も同じだが、では、他者の「心」に気づくようになるのは、何歳ごろからだろうか。
 〈他者の心〉については、推し量るというだけでなく、脳生理学者(神経生理学者)が〈ミラーニューロン〉を発見している。意識以前に他者の行為はミラーニューロンによって生理的に自己の体内に伝わるというか。

2023.3.5Rewrite
2021.8.2更新

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