子どもの遊びを「(夢物語ではなく)現実として」確保するためには、一気呵成には到底無理だ。非現実である。①まずはこの認識(遊びが必須)の共有から始まる ②クルマと人の生活空間の分離を実現させる社会設計 ③または④「子どもが遊べる時間の確保」 ③または④「子どもが遊びたくなる場所の確保」 ①~④の前提、人間社会が崩壊していないこと。
子どもの遊び確保基本法(案)
※「私案」です。国等の法とは関係ありません。
前文(定義)
生まれたばかりの新生児そして乳児を起点としたとき「保育(子育て)の公理」に導かれ、ここに「遊び」が加わることでその後の生長がある。生得的に由来する素質を損なうことなく──。
《「こども」とは、だれか?》の命題に照らせば、わたしは小学2年生までであろうと考えている。子どもは「遊ぶ」ことで育つ。子どもが納得のゆくまで十分に遊べる環境を確保することは、社会一般おとなの責務と考える。
目的
「こども」を対象とすることはもとより、「こども」時代が過ぎ去った「おとな」を対象とする。子ども時代の遊び体験がもたらす効果を背景に、遊び体験を逸した「おとな」についてどう考え、どのように補償するか、その道筋を示すことを目的とする。
事業(企画)名称
The Renaissance of Childhood 子ども期の再生
理念
幸福追求に優先順位を干渉させてはならない。個人または社会の経済生産活動に対して、子どもの遊びは独立して尊重されその権利を侵さないこと。
生得的機能
「うまれつき」を意味する生得的機能は特定個人に由来するのでなく、ヒトに所属し由来は哺乳類起原に基づく。学術成果に影響されるものの生得的機能の延長上に子供の遊びは位置づけられる。
実施主体
主体の第一は家庭(養育者)である。子どもの遊びは単独では成立しない。したがって、地域や施設管理者(園・学校等)が第二の主体となる。これに続く基盤整備や制度設計の実施主体として自治体や国が第三として位置づけられる。
時間的制約または発育における社会保障
「保育の公理」における「順序どおりに発育する」は、今の発育は明日の発育を約束する。このことは、発達は遅延を許さず猶予がないことを表す。基盤整備や社会的制度設計は発育の社会保障である。
失われたX年の考え方と保障
貧困は経済優先社会を許容する。子ども労働、戦争や災害等で子ども時代の遊びが不足したX年が生じた。子ども時代の遊びで得られる成果物を後年であってもこれを保障し、子育て安心社会を求める。
遊び専有域の指定(クルマ社会との分離)
経済優先社会はクルマの自由横行を許し、子どもの遊び行動圏を制約した最大の要因である。都市構造を見直し、クルマと歩行者の分離をさらに進め、通学通園圏の安全確保、子どもの遊び場空間や保育空間に専有域を設け、クルマとの分離を図る。
人材育成
子どもの遊び確保推進にあたっては、子どもの遊び必要の周知が必須となる。安心して子どもが遊べる環境は、放任・放置ではなく社会的コストが必要になる。子どもの遊び理解に必要な受講機会を設け、子どもを見守る制度設計が求められる。
国と自治体とのかかわり
「教育」がそうであるように、子どものが遊ぶ環境に関与するのはそれぞれの地域(自治体)がふさわしいのではないか。国など大きな権限の関わりは少しでよい。たとえば、クルマ社会のあり方は国、遊び場の確保や運用は自治体。
石けりができる場所:加古里子
「からだ」学ぶ体育教育を:平沢弥一郎
2023.11.3記す