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「主体仮想センサー」を発想!

(1)ソフトウェアとしての脳神経

 脳内に二股に分かれた物理的構造物があるわけない。なにをもって「二股(分岐)」を脳神経が認識するのか。カルシウムイオンとナトリウムイオンだろうか。これはどちらも陽イオンらしい。分岐構造は「安定」を求めているはずだ。なんらかの陽イオンと陰イオンの調和だろうか。調和の乱れが刺激になるのだろうか。
 ※神経細胞のつながり:脳の可塑性

 「主体センサー」を想定してみたものの、その”実体”を証明できる見通しがない。「主体仮想センサー」に改称することで「主体論」を導きたい。2024.9.9

明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p73
//他者が見つめる目のみに反応するニューロンや、そらされた目だけに反応するニューロンなどの存在が確認されている。
 霊長類の脳内には、他者の目から得られる情報を、ある程度自動的に処理してしまうメカニズムが存在するのかもしれない。//

(1-2)動的平衡(福岡伸一)に沿って考える

福岡伸一『動的平衡』小学館新書 p303

 ヒトの生体を構成しているアミノ酸(たんぱく質)は、生きている限り、生成と排出を繰り返す。これを動的平衡で説明している。ベルクソンの弧(いのちの数理モデル)で「生きることの原理」を問うている。

 分解(排出)>>合成(生成)。分解が合成を上回ることで坂を登れる。生きる(生きている)というだ。(※胎生期からあかちゃんの場合を想定して「>」を二つ重ねてみた)
 分解>合成。合成に対して分解が遅れると、老廃物がたまる。坂を登ってはいても、歩みはゆっくりとなる。(※二十歳頃、青年期であっても、生体の老化が始まるといわれる。)
 分解<合成。合成に対して分解が追いつかなくなると、坂を登るのが厳しくなる(転げ落ちそうになる)。「エントロピー増大の法則」に従わされることになり、生命の終焉を迎える。

(1-3)脳の完成までは時間がかかる

山口和彦(脳神経科学者)『こどもの「こころと脳」を科学する』ジャパンマシニスト社 2022年
p56
//それから「軸索=電線」には、脳のなかで漏電や混戦が起きないように脂質でできた被ふくが電気コードのようにぐるぐる巻きついています。これは生まれてすぐは巻きついていないのですが、成長の過程でだんだんと巻きついていき、25~30歳くらいに完成するといわれています。
 このように人間の脳が完成するには、かなり時間がかかることがわかってきました。//

(1-4)自動情報処理装置

明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p51
//それにしても、私たちはなぜこうした「自動情報処理装置」を持って生まれてくることができるのだろう。//
(参考)▶ 自動情報処理装置「モジュール module」とは?

(1-5)心神論

 こころは脳のはたらきで、二元論をしりぞけると捉えていた。脳(からだ)が消滅すると、こころも消滅する。だから「二元論」ではないけれど、「主体(論)」を問うには「脳のはたらき」に こだわっていたら解けないかもしれない。

(2)60万年前~~20万年前~? 7万年前-言葉使用の起源?

 山極寿一(霊長類学・人類学・生態環境生物学)は、脳の大きさから現代人と同じになったのは60万年前という(以下↓)。ネアンデルタール人(20~25万年前)は同時期に発生したホモ・サピエンスと比較して大脳の「かたち」が違うという。ネアンデルタール人は後頭部が大きく、現代人(ホモ・サピエンス)は前頭部が大きいという。これが何を意味するか?
 さらに、「しゃべる」ことは〈言語機能〉の証拠より「遅れて」いるという。ホモ・サピエンス出現20万年前に対して「しゃべりだした」のは7万年くらい前としている。
 では〈言語機能〉の発達は何であったか? 種の安全確保が理由で集団規模で、言葉つまりコミュニケーションではなく、〈言語機能〉が果たした役割は主体仮想センサーとしての必要性だったのか!

言語使用の起源と「意識」との関係

『山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ』ミネルヴァ書房 2018年
p209
//〔山極寿一〕現代人の脳の大きさに達するのは60万年前なんです。//……//ゴリラの脳の大きさは500ccで、人間の祖先は五百万年間もその大きさを越えられなかった。つまり、その間は二足で立って歩く類人猿だったわけですよ。600ccを越えられるのは二百万年前に登場したホモ・ハビリスからです。1400ccを越えるのが60万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスなんですよ。//
p210
//〔鎌田浩毅〕今のわれわれの身体が固定されたのは60万年前
〔山極寿一〕脳の大きさで言えばね。だって脳の中身までは分からないから。//
p211
//〔山極寿一〕現代人を基準にすると、脳の大きさは60万年前には現代人の大きさに到達していた。しかし大脳の形ということで言えば、ネアンデルタール人と現代人は違います。ネアンデルタール人は後頭部が大きくてね、現代人は大脳の前頭部が大きい。それぞれが何をつかさどっていたのか、形が何の違いをもたらしたのかということははっきり分かっていない。//……//ネアンデルタール人の脳との違いは歴然としている。それは脳の中身が分からないと何が起こったかは言いようがないわけです。しかもその間に言語が発生している
〔鎌田浩毅〕アッ、そうだ。言語についてはどうなんですか?//

//言語のはじまり//※小見出し

p212
//〔山極寿一〕たぶん7万年くらい前だろうと言われているんですけどね。でも言語はホモ・サピエンスに初めて登場したのではなくて、たぶん言語を喋(しゃべ)る機能ができてしばらくしてから喋るようになったのであろうと言われています。言語を喋る基本的な喉の構造とか舌骨(ぜっこつ)とかはネアンデルタール人にもあるわけです。彼らは喋らないわけではなかった。何らかの言語は使ったかもしれない。でも今の人間の言語につながるような言語体系を喋りはじめたのは、おそらく数万年前だろうと。//
※この会話の様子では、言語と言葉を区別していないように思われる。「喋る」という機能を再三使っているので「言葉」の意味合いが強いように思われる。
//〔鎌田浩毅〕数万年と特定できるのはどういう証拠で?
〔山極寿一〕FOXP2(ふぉっくすぴーつー)遺伝子というのがあるんですよ。これが人類で二回変わっているんですね。それがおそらく言語に大きな関係があるだろうと。
〔鎌田浩毅〕なぜですか?
〔山極寿一〕いろんな動物のFOXP2遺伝子を調べているわけです。
〔鎌田浩毅〕声を出す動物と声を出さない動物?
〔山極寿一〕そうです。この遺伝子が発声機能に深い関連をもつことは間違いない。もともとイギリスで言語障害のある家系というのがあって、その人たちのFOXP2遺伝子に異常が認められた。これが正常に働かなかったから言語が喋れないんだという話なんです。その遺伝子がチンパンジーに比べると大きく二つ変化しているんです。それが人類の系統だけに起こっているわけです。実は、それはネアンデルタール人でも起こっていたことが最近分かりました。
〔鎌田浩毅〕そういう論理ですか。
〔山極寿一〕言語を喋ったであろうことで起こった変化が、ライオンマンと言われている彫像だとか壁画だとか装飾品など象徴物の出現なわけです。言語のもっている大きな特徴は比喩なわけですね。あるものを他のものに移し替えて表現することです。これはもちろん言語がなくてもできることではあるけど、言語が二つの全く異なるものをつなげる。この椅子と向こうの椅子は形が違うんだけれども同じ椅子と呼ぼう、というのは比喩なんですね。実はこれは非常に効率的なツールなんですよ。それまではぜんぶが違うわけだから、ぜんぶを違う形で表現しなければならなかった。それを一つの言葉で言い表せるわけですから。椅子、瓶とかね。これはものすごく効率的ですよね。しかも言葉はポータブルなんですよ。
〔鎌田浩毅〕ポータブル?
〔山極寿一〕持ち運びができる。
〔鎌田浩毅〕誰でも喋れるということ?
〔山極寿一〕いや、目に見えなくたって言えるわけでしょ。わざわざ事物を運ばなくていい。
〔鎌田浩毅〕あぁ、そういう意味でね。//

明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p4
//2002年の『ネイチャー』誌に掲載された研究によると、人間の言語の獲得に深くかかわる遺伝子が発見されたという。重症の会話および言語障害が三世代15名(半数)にもわたって見られたある家系の遺伝子を調べてみたところ、障害を持つメンバーの「FOXP2」と呼ばれる遺伝子の配列だけが、他の健常なメンバーと比べて特異的に変異していたというのだ。これを「言語遺伝子」と呼ぶにはまだまだ慎重にならざるをえないようだが、人間らしさの象徴とされる言語が、遺伝子のレベルで説明される日が遠からずやってくるのかもしれない。//

ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』紀伊國屋書店 2005年
p160
//言語は人間なるものの本質的な部分なので、その由来は人類の歴史をさかのぼり、まさにヒト属の起源、つまり約200万年前までたどれるに違いないと一般には考えられている。知人の言語学者はみな、これが真実だと私を説得したがる。しかし、この見解には断固として反対したい。人類の祖先がこの200万年を通して、原始的とはいえ話し言葉を持っていたとしたら、素朴な文化や技術さえ存在した証拠がほとんど見つからないのはなぜだろうか。紀元前4万年までは、きわめて粗末な石器以外、考古学的遺跡はほとんど何もないのだ。//
p161
//言語は物事や人に対する人類の認識を根本から変えるに違いないし、非常に広範な情報の伝達を可能にするので、そうした変化が起きたことを考古学的に示す時代に発達したに決まっている。そしてそのような時代は更新世後期(おおむね紀元前7万年から紀元前8000年にかけて)だ。この時代は、気候の面では氷河の状態変化に呼応して気温が激しく変動し、生物学的には、このような気候変化のせいで動物や人類が大々的に移動したことが特徴だ。人類の祖先は、アフリカ中心部からユーラシアの亜北極地帯へと、またその後はアメリカやオーストラリアへと爆発的に進出していった。地中海沿岸地域の人口もそれまでにない数に達し、彼らが文化刷新の先導に立ち、人類の文化的・生物学的中心は、熱帯地方から中緯度地方へと移った。火や洞窟、毛皮の利用によって、いわば可搬型の微気候が生み出されたので、こうした人口移動が実現したのだ。
 普通、これらの人々は「後期ネアンデルタール人」と呼ばれている。ひところは、紀元前3万5000年頃のクロマニョン人に取って代わられた。現代の人類とは別種のヒトだと考えられていた。しかし最近になって、彼らは人類の一般系列に連なる存在と見なされるようになった。その系列は大きな変異を経験した。その変異によって人類の進化は大幅に加速し、人間は人工的環境を携えて、新しい生態的地位へと広がっていった。実際の定住様式を明らかにするには、さらに調査が必要だが、最新の説は定住の多様性に重きを置いているようだ。ある集団は移動し続け、別の集団は季節によって移動し、さらにまた別の集団は一年中一つの場所に定住していたらしい。
 私は移動が起きた最後の氷河時代の気候変化に注目したい。なぜならこの変化が、言語いくつかの段階を経て発達させた淘汰圧のもとにあると信じるからだ。//

(2-2)ヒトだけではないかも

 鳥類や哺乳類、子育てをする動物には「主体仮想センサー」が備わっているかもだ。主体仮想センサーに分岐構造が必須である。分岐構造がベビーシュマをもたらしているとしたら、それは鳥類と哺乳類に共通している。

明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p59
//霊長類が祖先から受け継いできた生存術、モジュールについて説明してきたが、霊長類の新生児が見せる能力はじつはこれだけにとどまらない。生まれたばかりの赤ちゃんは、視覚、聴覚、触覚など全身のあらゆる感覚器官をフルに稼働させて、外界の情報を捉えているらしい。私たち大人とは異なる知覚世界に生きる彼らの姿を覗いてみよう。//
p180
//最近の比較認知科学による成果は、「サルまね」ということばがじつは間違っていることを明らかにした。驚いたことに、身体を使った模倣は、サル類はもちろん、チンパンジーにとってすらひじょうに難しいことだったのだ。模倣は、ヒトの祖先がチンパンジーやボノボの祖先と枝分かれした500~600万年以降どこかの時点で飛躍的に獲得してきた独自の能力であるらしい。//
p226
//おそらく、ヒトの新生児の知覚能力は、ニホンザルやチンパンジーなどのヒト以外の霊長類と共通している部分が多い。これまで安易に主張されてきた、ヒトの赤ちゃんの「有能性」については、ヒトが他の霊長類と共通の種として生きていた時代にすでに獲得されていた可能性が高い。//

(3)主体仮想センサーのイメージ

 文法中枢をイメージしたときは「分岐構造」に意識をとられた。しかし、主体という「いのち」を連想させたり、”すべて”に通ずるというのは、球体ではないか。「球」に(おそらく化学的または電気的)操作を加えれば「分岐構造」を生じさせることができる、ということではないか。

主体仮想センサー群

 意識=主体仮想センサー群。となれば、「無意識」は?
 生=意識+無意識。主体仮想センサー群は「脳」に限定させないで「生」ということか。からだ全体と言ってよいかもしれない。

(4)主体仮想センサー(または主体センサー)から連想すること

ストレス レジリエンス
つまずく たちなおる
考えこむ 内なる自分
みつめる / みられる / みつめられる

(5)主体仮想センサー(または主体センサー)が失調したとき

以下、考えるためのヒント
+ 冷や汗をかく
+ 興奮しすぎる
+ パニックに陥る
+ ……

(6)立位と「主体」

 主体仮想センサーを発達的にみた場合、生得的ではないかとする初期段階(胎児から新生児期を経てしばらくのあいだ、這い這いの時期をすぎて)に対して、立位の姿勢がとれるようになると、二足歩行になり、目線が飛躍的に高くなり、行動が自由に多岐になる。この立位になった頃を境にして第二段階に進むと推測してよいのではないか。1歳3か月頃(個人差をどう解釈するか?)、立位姿勢をとれる。

(7)仮想は、仮説ではない。

 五感等、感性感覚器を含む意識の源(みなもと)総体。しかしながら、実体(物理的にも生理的にも)を伴わず、論理的思考の要素として「仮想」とした。用例として「(主体仮想)センサーがはたらく」など。感性的であり、見えないものを見えるようにした合理的思考ということになるか。

(8)主体仮想センサーの終焉(任務終了)

 言語を獲得してからの画期を乳児期にみる見解がある。ジェインズ『神々の沈黙』では神の声に従うことがなくなって意識が誕生したとしている。言語を獲得した頃はまだ仮想センサーが働いているように思うが、意識、つまり主体仮想センサーではなく「主体センサー」に入れ替わることによって仮想センサーはその務めを終えるのかもしれない。
 考えたくないが、子どもの自殺は仮想センサーが消えることによる現象ではないか。

(9)主体センサーと認知症

 主体センサーは実体ではない。思考しやすくする道具である。認知症になっても感情は残る。個人の尊厳という課題もある。主体センサーが作用しているということだろうか。

2024.9.15記す

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