||||| 泣く、涙、共感、感情:「心の理論」:主体論 |||

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「主体論」の前に、「生きる(生命)」を考える。

主体論

 主体とは何か。主体者はだれか。主体者は「自分または自分自身」。
 そして、主体者の自由意志を指し示す。あかちゃんにおいても。
 主体を重んじるまたは尊重するとは、その主体者に対応している。
 自由意志はどのように生じ、自分自身や周囲の人がそれをどのように認識するのか。

 チョムスキーの言語理論に出会い、レヴィ=ストロース『野生の思考』でブリコラージュを知り、「主体」は生得的ではないかと考えるようになり、「主体仮想センサー」に辿り着いた。

主体論と主体仮想センサーの関係(整理)

「心の理論」Theory of Mind

この節、2024.8.29記す

(主体論/主体仮想センサー)発想 以前 2023年主体性の理解が「こども」の理解につながる


泣く共感感情

泣く、泣かない、泣けない
乳児の、「泣く」を考える……言葉の機能をもつ”泣き”
の跡とレジリエンス〈立ち直る力〉
は自分のために流す、人のために流すことはない。
泣く → ほほえむ → 笑う | 遊ぶ言語の表出


社会的な複雑さが脳を大きくさせた、そして共感というきずなへ

『山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ』ミネルヴァ書房 2018年
p200
//〔山極寿一〕危険に対処するためには、おそらく人間は社会性という方を発達させたんだと思います。
〔鎌田浩毅〕社会性、それは家族の、という意味ですか?
〔山極寿一〕集団規模を大きくして、警戒に当たる目を多くするとかね。//
……
p208
//〔山極寿一〕社会的な問題を解決するために脳が大きくなって、知能が発達するようになったおかげで、道具もどんどん発達するようになった。でも、石器の様式というのは何十万年も変わらないんですよ。道具を使うために脳が発達していったということは考えられない
〔鎌田浩毅〕じゃ、それは間違いなんですね。
〔山極寿一〕間違いなんです。脳が大きくなった結果、いろんな道具を使えるようになった。でも道具を使うために脳が大きくなったわけではない。道具を使うことによって脳が大きくなったわけではない、ということでしょうね。なぜなら脳が大きくなっていった時代に、道具がどんどん精巧になっていったかというと……。
〔鎌田浩毅〕そうではない。そこが反証になるんですね。//
……
p209
//〔鎌田浩毅〕人間の脳は社会脳として進化したと言われているんだけど、これはまだ脳の中身が調べられていないから何とも言えないんです。ただ人間以外の霊長類の脳の大きさを調べてみると、脳に占める新皮質の割合というのが、脳の大きさと比例関係にあり、共同生活を営む集団のサイズに正の相関があるということも分かっている。ということは、霊長類の場合集団サイズが大きくなるにしたがって、脳は大きくなったんだという類推が成り立ちます。おそらく人間の脳も他の霊長類と同じように、社会的な複雑さに対応して大きくなったんではないかという仮説があるわけです。これがソーシャル・ブレイン・ハイポテーシス(Social brain hypothesis)というやつでね、これ以外の仮説はいろいろ検証されたけれども、証明されてはいないんです。ソーシャル・ブレインも仮説にすぎないんだけど、集団規模との対応関係があるので、今のところはっきり間違いではないだろうと言われていますね。//

p224
//〔山極寿一〕人間が進化の過程で共感力を高めたというのは霊長類学者すべてが合意している見解です。それをアザー・リガーディング・ビヘイビア(他人を思いやる行動)と言うんです。これはとりわけ子どもの成長に時間がかかる類人猿と、多産のマーモセットやタマリンに多いことが分かっています。それが人間につながる。人間は他人のことを思いやる行動をすればするほど精神的に安定するとか、精神的に健康になるということが、精神医学の研究からも示唆されています。だから相手のことを思いやったりする時間というのは、今の経済優先の時代では無駄なことなんだけれども、それをする方が精神的には健康になる可能性がある。そういう社会性が人間の身体に反映されて作り上げられてきたプロセスを、今われわれは身体に温存しているに違いないということですね。
〔鎌田浩毅〕今の話、子どもを産むとか子どもを育てるということが、いかに現代人にも重要かということですね。
〔山極寿一〕さっきも言ったように、共同の子育てという行為が実は人間の社会性をつくったと思うんです。共同の子育てをするために、家族とコミュニティという二重構造が生まれたとぼくは思っている。//

模倣(まね)そして、共感という能力:ミラーニューロン

感情をよむ、相手の気持ちをよむ



デズモンド・モリス『裸のサル』角川文庫 p135
//言語的な信号とはちがって、これらの声は訓練なしに生じ、あらゆる文化において同一の意味をあらわす。ぎゃあという声、泣き声、笑い声、うなり声、リズミカルな泣き声は、どこででも、誰にでも同じメッセージを伝達する。他の動物が発する音と同様、これらは基本的な情緒的気分と関連しており、われわれにそれを発した個体がどのような動機づけの状態にあるかについて直接的な印象を与える。同じようにしてわれわれは、われわれの本能的表現──ほほえみ、しかめっ面、渋面、にらみつける眼つき、恐怖の顔、怒った顔など──を保持してきた。これらもまた、あらゆる社会に共通であり、文化による多くの身振りの獲得にもかかわらず、今なお存続している。//(下に続く)
※「感情」という言葉を使用せず「情緒的気分」と表現している。
※「ほほえみ、……」……ノンバーバルに相当する

p135(上から続く)
//これらの基本的な種の音と、種の表情が、われわれの初期の発育の中でどのようにして生じてくるか、考察してみると興味深い。リズミカルに泣く反応は(だれでもいやというほど知っているように)、出生のときから存在するほほえみはすこしおくれて、約5週間で現われる。笑いとかんしゃくは3か月または4か月までは現われない。これらの行動パターンについては、もっとよくしらべてみる価値があろう。//
うぶごえ

p135
//泣き声はわれわれが発するもっとも早い気分信号であるばかりでなく、もっとも基本的なものでもある。ほほえみと笑いは人間に独特で、むしろ特殊化した信号であるが、泣き声は他のきわめて多くの種と共通なものである。事実上すべての哺乳類(鳥についてはふれぬことにする)は、驚いたり、苦痛を感じたりすると、高い調子の金切り声や、きいきいという声を漏らす。視覚的な信号の手段として、顔の表情を進化させている高等哺乳類では、これらの声に特徴的な”恐怖の表情”が伴う。こうした反応は、幼い個体、生長した個体のいずれが発した場合でも、何か険悪な事態がおこったことを意味している。子どもは親に警告を発し、成熟した個体はその社会的集団の他のメンバーに警告を発するのである。//

p136
//われわれの赤んぼうはいろいろな原因で泣き声を発する。痛いとき、飢えたとき、一人ぼっちで置きざりにされたとき、奇妙で見慣れない刺激に直面したとき、突然に体の支持を失ったとき、望みのものを得られなかったとき、赤んぼうは泣き声をあげる。これらの原因は結局二つの重要な要因に煮つめることができる。肉体的な苦痛と不安とである。いずれの場合も、信号が発せられると、それは親の保護反応を導き出す(あるいは導き出すはずのものである)。信号が発せられたときに子どもが親から離れていたならば、信号は直ちに両者の間の距離をちぢめる効果を発し、子どもは結局は抱きかかえられ、ゆすったり、かるくたたいたり、さすったりされることになる。子どもがすでに親と接触している場合は、あるいは接触がなされたのちも子が泣きやまない場合には、子どもの体は調べられ、苦痛の原因と思われるものがさがし出される。親のこの反応は信号がやむまで続けられる(そしてこの点で、泣き声刺激はほほえみや笑いのパターンとは基本的に異なっている)。//

p136
//泣くという行動は筋肉の緊張から成り、それに首から赤くなること、眼から涙を流すこと、口を開けること、唇のひきつり、強い呼気を伴う大げさな呼吸、そして当然ながら高い調子のいらいらさせるような泣き声を伴う。すこし生長した赤んぼうでは、さらに親のところへとんでいって、しがみつく動作が加えられる。//


明和政子『心が芽ばえるとき』NTT出版 2006年
p24
//言葉を獲得するずっと前から、ヒトはすでにヒトらしい心を芽ばえさせている可能性はないだろうか。言語だけが、ヒトらしい心を支えるものでないとしたら、具体的には、どのような心の側面が他の霊長類の赤ちゃんと共通していて、どのあたりがヒト独自の色合いが強いものなのだろう。そして、そこにはどのような理由が潜んでいるのだろう。//
p44
//赤ちゃんが選びとる情報とは生存の可能性を高めるうえで役立つものに違いない。では、霊長類の赤ちゃんにとって、選ぶべき価値ある情報とはいったいどのようなものなのだろう。それらは、それぞれの種で異なっているのだろうか。//

p48
//自ら動き、かつその動きが目的指向的参考リンク〕なものである場合、ヒトの赤ちゃんはそこに「意図」を感じる。図1-9〔下図〕を見ていただきたい。意図を持つと見なされる二つのボールが、互いに関係を持ちながら動いている状況を表わしたものである。//

p49
//赤ちゃんは、二つのボールの動きを二分して捉える。二つのボール間の弱い接触はプラス(+)、たとえば「なでる」「そっと押す」などに割り振られる。他方、強い接触はマイナス(-)、たとえば「ぶつ」「蹴る」などに割り振られる。さらに、ひとつのボールがもうひとつのボールの目的の達成を助ける動きはプラス、逆に目的の達成を妨害する動きはマイナスとして、赤ちゃんは反射的に区別するという。//
p49
//プレマックらが主張する心を見いだす能力は、私たちが想像するほど複雑なものではなく、プラスかマイナスのどちらかの値にもとづいて決められるレベルのものだ。しかし、このレベルではあっても、心を見いだすことがある程度できれば、ヒトは出生直後から他者がこれからどのようにふるまうのかを予測できる。つまり、他者にうまく対処するための方向性を、解釈なしでガイドしてもらえるわけだ。もし、プレマックらの考え方が本当だとした、生きるためとはいえヒトは何とうまくできた状態で生まれてくるのだろう。//

p50~51 //ヒト以外の霊長類の赤ちゃんと比較する//
p51
//他者とそれ以外のモノとをとりあえず区別する能力を生まれてすぐに発揮し、他者の詳細な特性については生後の経験により学ぶ。こうした発達プロセスは、ヒトとヒト以外の霊長類の赤ちゃんに共通したものらしい。//

二カ月革命……ヒトらしい心、社会的存在へ

p140
//興味深いことに、ヒトでは生後2カ月頃、それまで頻繁に見られていた行動パターンがいったん停滞し、その後再び類似した行動が現われるという現象が多く見られる。こうした発達的変化は、「U字型現象」と呼ばれている。
 たとえば、さきに紹介した微笑の発達を思い出してみよう。出生直後から見られた新生児微笑は、生後2カ月頃いったん消え、それに変わり社会的微笑が新たに出現してくる。
 U字型現象が研究者の注目を集めることには、わけがある。それは、U字を描く前と後の行為が見かけ上は似ているにもかかわらず、それぞれの行為の果たす機能がまったく異なっているからだ。行動上は同じ微笑のように見えても、新生児微笑は、視覚、聴覚、触覚を通じたさまざまな物理的刺激に誘発されて起こるのに対し、社会的微笑は、他者からの社会的なかかわりによって引き起こされる。
 この革命〔※〕期に起こる大脳皮質の急激な成熟は、多くの原始反射を抑制し、いよいよ自分自身で制御した行為を実行することを可能にする。しばらくの沈黙期間を経て、ヒトの赤ちゃんは、主体的に他者とコミュニケーションする社会的存在として、新たな飛躍を遂げる。//
※ //この章では、生後2カ月目を境に、ヒトの赤ちゃんがいかに劇的な変化を遂げるかについて見てきた。ヒトの赤ちゃんの発達に携わる多くの研究者が、この時期の変化を「二カ月革命」と表現する理由を納得していただけたと思う。//p139
p227
//生後2カ月頃に見られる心のはたらきの変化は、ヒトやチンパンジーやボノボの共通祖先と分岐する以前にすでに認められた可能性が高い。オランウータンやゴリラなど、チンパンジー以外の大型類人猿の赤ちゃんに関する資料がほとんどないため、進化のどの時点でこうした心の特性が獲得されたかについては謎のままとなっている。//

そして、「九カ月革命」……本格的に

p229
//以上より、ヒトという種が独自の心を本格的にはたらかせはじめるといえるのは、生後9カ月頃ということになるのだろう。M・トマセロは、この時期のヒトの赤ちゃんは、他者を「意図を持つ主体」、つまり目標を持ち、その目標を達成するための手段となる行動を能動的に選択する存在として理解しはじめると述べている。そして、この能力はヒトという種に特有のものであり、ヒトが記号などの人工物や社会的営みの実践といった高度な文化遺産を、他者の視点を通して学習し、時空間を超えて継承することを可能にした強力な手段であると主張している。
 トマセロ以外にも、多くの発達研究者がこの時期のヒトの赤ちゃんが見せる社会的能力の目覚ましい変化に注目している。この時期の変化は「九カ月革命」という名称で呼ばれることも多い。//

p187 他者の意図……18カ月齢の理解
//②ターゲット操作〔シリンダーの中に首飾りを入れる(目的)〕をおこなおうと試みるが、手を滑らせて何度も「失敗」する操作〔(意図)〕〔メルツォフの実験〕//……//18カ月齢の赤ちゃんは、他者の行為の失敗を見ただけで、他者が本当は何をしようとしていたのか、その意図を理解できたのだ。//
p191
//こうした性質は、他者と深く心を通わすことができるという恩恵をもたらした反面、他者の心にあまりに敏感となり、自分の心との間にズレが生じたときに起こる葛藤など、ネガティブな側面も同時にもたらすことになったはずだ。//

p221
//なぜモーツァルトが心地よいのか。外国語をコミュニケーションの手段として生かすにはどう使いこなせばよいのか。こういったことに気づくには、記憶した刺激が持つ価値を赤ちゃん自身が見いだしていかねばならないが、そうした心のはたらきは、生後の他者とのやりとりの中でようやく実現されるものだ。//

ヒトらしい心

p234
//ヒトらしい心を生まれ持った設計図をもとに機能させるためには、赤ちゃんがヒトとして扱われる環境が何より不可欠だと考えられる。//
p235
//ヒトの養育環境がチンパンジーやボノボの心の特性の一部をヒトらしいものに発達させるという事実は、養育環境という外的要因に、それぞれの種に備わった設計図のできあがり具合を可塑的に変化させる力があることをはっきりと示してくれている。//
p239
//ヒトらしい心が発達する過程において、きわめて重要な役割を果たすのは、ヒトとチンパンジーの間にはっきりとした違いが見られる模倣能力だ、と私自身は考えている。模倣に限らず、九カ月革命として起こる社会的能力の目覚ましい発達と時をほぼ同じくして言語獲得が急激に始まるのは、単なる偶然ではないはずだ。
 ヒトの心の発達の道すじを科学的に解明するには、言語獲得以前の時期の赤ちゃんに何が起こっているのか、確認しにくい部分ではあっても見落とさないよう丹念に調べなければならない。さもなければ、ヒトらしさへの謎解きの根本的な手がかりが見失われてしまうことになりかねない。//

2024.8.28Rewrite
2021.3.6記す

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