||||| 両手に、砂を盛る |||

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 寄せては返す渚(なぎさ)は心おちつく。波うちぎわにたたずみ、膝を折って砂をすくう。両手で砂を、できるだけたくさんすくう、なるべくこぼれ落ちないように。
 さらさらと砂はこぼれ落ちる。落とすまいとしてもこぼれる。落ちてゆく砂も美しい。音を立てずに落ちてゆく。「子育て」とは、すくった砂をこぼさないようにすること、と考えてみた。
 すくった砂に「足そう」とするのが「子育て」になっている。足す=育てる、と考えることは自然だろう。だが、「すくった砂を、なんとかしてこぼさない」が「子育て」と提案してみたくなった。
 誕生したとき無事に産まれたことをよろこび、同時に母が元気なことを確かめてホッとする。子を抱いて「母」になった実感を、すぐさまかまたは時間とともに得られる。「父」も安堵とともにそれを自覚することになる。

 独り立ちしても生きてゆけるよう、将来を気遣う親の願いは当然だ。だから、親として出来ることは何かと考える。子どもの可能性に期待を寄せる。

 さらさら落ちる体感は養浜した砂浜では得られない。たとえば、須磨海浜公園は視界の広さを感じられる場所だが、砂つぶは荒くて大きく気持ちよいとは言えない。ビーチサンダルに入り込む砂は、きめ細かい砂だと痛くなく乾くとさらさら落ちる。これも気持ちよい。しかし、荒い砂だと痛くて乾くのを待つよりも払ってしまいそうになる。名の知られた海浜よりも、ひっそり静かな浜の砂が「子育て」に思いを寄せる砂に向きそうだ。

生まれて15分後
母やぎになめられている
2000.7.31相模湖近くで

臨床保育(子育て)学の提案
「お乳を吸う乳児の行動」精緻な表記
絵本『ガンピーさんのふなあそび』
「こたえ」は層をなしている
足し算で始まる子育て
細やかに応答 / 愛があるから気分的
叱られる側で考える
呼称「センセー」
女人禁制と子育て

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卒園式、入学式の季節に、いつも思うこと
305412(さん・ぜろ・5・……)
子育てとジェンダー
毎日がドラマ、だから保育は楽しい。親はツライ。
「なまえ」のこと
内発的感動と無限の魅力が共生社会を成熟させる
将来の夢をもつようになったダウン症生徒

2022.8.11Rewrite
2019.2.19記す

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